こんにちは。八百屋テクテクです。
今回は、スピッツ「美しい鰭」について解釈していこうと思います。
この曲は、アルバム「ひみつスタジオ」の4曲目に収録されている曲です。このアルバムの特徴としては、1曲目の「i-O(修理のうた)」や、2曲目の「跳べ」の項目にて説明しておりますとおり、いままでスピッツが作った曲に対するアンサーソング集になっているんじゃないかなと、個人的には思っているんです。
そして、4曲目にあたるこの曲は、なんのアンサーソングになっているかというと、「空も飛べるはず」なんじゃないかなと。
どういうことなのか、詳しく見ていきましょう。
「空も飛べるはず」がどういう歌かというと、みなさんは青春の歌だと認識していると思います。でも私は、「宇宙(そら)も飛べるはず」と解釈しています。つまり、この曲の主人公は地球なのです。そして、天動説が主流だったころの、まだ文明が未発達な時代の中で、ガリレオ=ガリレイが地動説を唱えたことで、地球が痛みとともに、深い眠りから「めざめ」た。これが、「空も飛べるはず」の、そして、「空も飛べるはず」のデモ版である「めざめ」の内容だ、というふうに理解をしています。
詳しくは、「空も飛べるはず」の解釈の項目で、やりたい放題に述べています。
「空も飛べるはず」の詩の中で語られているのは、めざめに伴う「痛み」です。神様の影を恐れていたり、色褪せたりひび割れたりしたり、ゴミできらめく世界に拒まれたりしています。さらにデモ版の「めざめ」のサビでは「君と出会った痛みがこの胸にあふれてる」となっています。まるで「空も飛べるはず」の主張は、「何かおおきな変化には、強烈な痛みが伴うべきだ」と言っているかのようです。より作詞したマサムネさん目線で言うなら、「大きな変化には、強烈な痛みを添えたほうが、より臨場感がでるだろう」という感じが、「空も飛べるはず」から感じられます。
このように、「空も飛べるはず」の頃のマサムネさんは、この世の真理のようなものを描こうとしていた感じがします。マサムネさんが想像していた世界観は、壮大で、憂鬱で、冷酷で、この上なく美しいものだったはずです。
さて。
「空も飛べるはず」から月日が流れまして、マサムネさんにも心境の変化があったはずです。
あの頃描いていた世界観を、月日を経たマサムネさんが眺めた時、「若いなぁ」と苦笑いしたのではないのでしょうか。確かに「空も飛べるはず」の世界観は美しいですが、それは例えるなら、若い女性にありがちな「美しくないものを許さない」タイプの美しさです。美しさを求めれば求めるほど、自分にも他人にも厳しくなっていき、先がどんどん細くなっていくタイプの美しさです。(だからこそ、スピッツが若い時は、若い女性のシンパシーをことさらに集めることができていたのかもしれません。)
いやいや、と、今のマサムネさんは、首を振ったことでしょう。美しさって、もっと他にもあるじゃん、と。
だからこそ、新しい曲にて、「空も飛べるはず」と同じ被写体を使って、もっと優しい世界を表現してみたい、と、そういうふうに考えたのではないかなと。
波音で消されちゃった はっきりと聞かせろって
わざとらしい海原
100回以上の失敗は ダーウィンさんも感涙の
ユニークな進化の礎
まず、この詩は、何が被写体になっているのでしょう? 私はたぶん、「地球」と「人類」だと思います。
進化を続けてきた人類と、それを見守り続けてきた地球。この二人が、対話している様子なんじゃないかなと。
さらに、「海原」というワードを歌詞の一番最初に放り込んできたことに、何か意図的なものを感じます。まるで「空も飛べるはず」とリンクしていますよ、と案内してもらっているようです。そう、「空も飛べるはず」にて海原へ流れたのは、夢を濡らした涙でした。そういう小さな思いが、大きな海原に流れたことで、「空も飛べるはず」の儚さに繋がっておりました。
この美しい儚さを、最初から、ガーンとぶち壊しています。波音で、そんな夢なんて、バーンと消し飛ばしてしまっています。さらに、「おい、お前の夢、はっきりと聞かせろよ、きこえねーぞ!」と、喝をいれています。気取ってんじゃねーぞ、やりたいことがあるなら、もっと自分を出していこう、と。
そのあと、進化に思いを馳せています。サルから人に至るまで、数多くの失敗がありました。私たち人類を形成してきたのは、儚い夢ではなく、進化してやるぞという強い意志です。何回失敗してもあきらめない、強い意志が、今の、奇跡のような進化を遂げた人類たちを作っているのです。
あの日のことは忘れないよ
しずくの小惑星の真ん中で
しずくの小惑星とは、水の惑星である地球のことだと思います。そして、その中心にいるのが、人類です。
人類が地球と交信した日、つまり、人類が地球のことを知った日があったとしたら、この日は忘れられない日になるでしょう。たとえば、天動説が中心だった頃の地球にて、地動説が発見された日は、まさに人類が地球と交信した日といえるでしょう。地球に、本当のことを教えてもらったのですから。他にも、人類がはじめて宇宙に旅立った日とか。人類が自らの目で、地球が丸いことを知った日なのですから。
流れるまんま 流されたら
抗おうか 美しい鰭で
壊れる夜もあったけれど自分でいられるように
「美しい鰭」とは何なのかについて、ずっと考えていました。いったいこれは、何を言おうとしているものなのか、と。
鰭というのは、水中で動かし水をかいたり水流を制御したりすることによって、主として身体姿勢を制御することに使用する運動器だそうです。海を泳ぐ生物が、進化の過程で身に着けたものです。海を泳ぐ生物が、早く泳げるように長い年月を望んで望んで、やっと手に入れたものなのです。
つまり、この詞の中で鰭を登場させた意味とは、進化を言いたかったんじゃないかなと。進化の象徴として、鰭を使いたかったんじゃないかなと、私は思います。
人間は、進化をし続けることで、数々の困難を乗り越え、ここまでやってきました。そして今現在もまた、「抗う」ことが必要な何か重大な危機に直面しています。これからも、危機に直面することでしょう。どんな危機なのかは人それぞれです。仕事がハードで死にそうになっている人、恋人に振られて死にそうになっている人、人生になんの意味も見いだせず、孤独で死にそうになっている人、だけではなく、地球を見渡せば、戦争や飢餓、病気、いろんな危機が、まさに人類を襲っています。
これを、長い進化の過程で身に着けた、これまで数々の危機を乗り越えてきた、鰭で抗おう、と言っています。
びっくらこいた展開に よろめく足を踏ん張って
冷たい水を一口
心配性の限界は 超えてるけれどこうやって
コツをつかんで生きて来た
「美しい鰭」の主体が、海洋生物のことだと解釈していると、この部分は読み解けないことになります。魚には、足がついていませんからね。
逆に「足」というワードを埋め込むことで、「この詞は、魚のことではありません。鰭は、なにかの比喩なんですよ」と教えてくれているような構成です。
びっくらこいたり、心配性になったりと、この主体になるモノは怯えています。怯えているけれど、今まで生きてこれたのです。未来に怯えることこそが、進化に必要な材料なのです。
秘密守ってくれてありがとうね
もう遠慮せんで放っても大丈夫
もしこの詞が、人類と地球の対話だとすると、秘密を守ってくれていたのは、地球のほうです。地球は、人類に対して、答えを教えることは最後までしませんでした。人類が進化して、その真理にたどり着くまでは。
でも、そのおかげで、人類は探求心を高めることができ、真理を突き止める能力を身に着けることができました。
そして、次に人類が向かうべきは、宇宙です。これまで地球は、重力によって、人類を守ってきました。逆に言えば、人類を地面に縛り付けることで、進化を制限してきました。とめどない進化は、人類を不幸にしてしまうからです。力の使い方を誤った結果、核戦争にでもなったら、地球は滅びます。
でも人類の精神もまた、成長したはずです。宇宙にいくまでの力を持つに至っても、それを悪い方向に使うことはないでしょう。自制できるように進化し、これからも進化し続けることでしょう。そう思えたから、「地球さん、もう私たちを宇宙に放っても大丈夫ですよ」と言っているのです。
流れるまんま流されたら
出し抜こうか美しい鰭で
離される時も見失わず 君を想えるように
成層圏を突き抜けたロケットが、衛星軌道を流れるまんま流されて、ぐるぐる回っています。その速度のまま、地球の重力を出し抜いて、宇宙に飛び出そうとしています。
人類が身に着けた「鰭」は、地球の重力を出し抜くまでになったのです。
でも地球を離れても、母なる地球を忘れることはありません。見失うことはありません。
そういえば、ロケットにも「美しい鰭」がついていますよね。この鰭で、宇宙を泳ぐことを想像したのかもしれません。
強がるポーズはそういつまでも
続けられないわかってるけれど
優しくなった世界をまだ 描いていきたいから
ずーっと進化し続けるなんてことは、もちろんできません。
でも、地球とこれからも一緒に生きていきたい。そう人類は思うのです。
これからの地球を、優しいものにしていきたい。そういうふうに進化の力を使いたい。そんな思いが込められています。
という感じで解釈してみましたが、いかがでしたでしょうか?
「空も飛べるはず」が、問いであるとするなら、「美しい鰭」は、その答えになっているんじゃないかなと、私は思うのです。
「空も飛べるはず」では、地球の減少をただただ美しく叙述しているにすぎなかったんです。いろんなことがあったので、空を飛んだね、と。それ自体には、私たちを、どこかに導くような、そういうメッセージ性を持ち合わせていませんでした。なぜなら、「空も飛べるはず」の世界観には、残酷さ、冷酷さが混じっており、それらを含めた美しさを表現することに力を注いでいたからです。
その投げっぱなしになっていた課題に対して、「美しい鰭」は、人類は常に進化をし続けなくてはいけない、という答えをぶつけているように思うのです。
地球と仲良く共存できるような、世界を優しいものにするような進化が、これからの人類に求められている、そんな内容だと思うのです。
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