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スピッツ「灯を護る」から感じる、絶望と希望

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こんにちは。八百屋テクテクです。

今回は、スピッツ「灯を護る」について解釈していきたいと思います。

この曲は、アニメ「SPY×FAMILY」の主題歌として書き下ろされたものだそうです。


これまでスピッツの曲は、映画やドラマなどで使われてきたことがありましたが、歌詞の内容を眺めてみると、映画やドラマの内容に必ずしも沿うようなものでは、なかったかのように感じます。例えばドラマ「白線流し」は、高校生の青春が主題でしたが、その主題歌である「空も飛べるはず」は、空とか神様とか海原とか世界とか、なにやら壮大な言葉で構成されており、解釈の幅が広い内容になっています。純粋に「これは青春の曲である」とは断定できないのです。げんに、この八百屋さんの解釈では、「空も飛べるはず」は、地球が主人公の曲と解釈しています。訳わからん解釈だと思いましたか? そりゃそうですよね。まあとにかく、ドラマのための曲として採用された実績のある曲でも、歌詞を眺めただけでは、ドラマの内容を指しているとは言い難い、というのが、これまでのスピッツと、それを主題歌として採用するドラマや映画などの関係性であったと言いたいのです。あいや、とはいえ、全く無関係というつもりもございません。「空も飛べるはず」を聴いて、その青春性がドラマ「白線流し」にぴったりだ、と考えている人のほうが多いでしょう。むしろ「空も飛べるはず」は青春の歌だよね、と信じて疑わない人もおります。それぐらい、「空も飛べるはず」からは、青春のオーラがムンムンに漂っているのです。その圧倒的な青春の存在感の前には、歌詞の細かい内容など、ほんとうに些細な違和感にすぎないのです。

まあこのように、スピッツにおける、タイアップ先様への態度としては、「曲の全体の方向性としては、作品のテーマに沿うようなものを提供いたしますが、細かい歌詞の内容については、自分たちの好きにやらせてください」というような気持ちが伺えます。いやそれとも、マサムネさんは本当にタイアップ先の内容に沿うような曲を作ろうとしたけれど、あまりにも芸術性が天才すぎるあまり、「青春とは宇宙だー!」的な感じで、才能をドカーンと爆発させてしまい、その結果、一般人からみて「……おや?」という感じのものが出来上がっていたのかもしれません。


しかしながら。

この「灯を護る」については、タイアップ先様であるアニメ「SPY×FAMILY」の内容を感じられる、内容に寄り添った、内容に寄り添っているなと我々一般人にもわかりやすい歌詞になっています。

私はこの現象にこそ、かなりの関心があります。

どうしてこれほどまでに、タイアップ先様に寄り添うように、なったのでしょう?

どうして、アニメの内容に、ちゃんと沿うような歌詞にしたのでしょう?

これには、たぶんですけど、マサムネさんにはアニメに対するリスペクトをオープンにしたいという意思があったんじゃないかなと思うのです。




スピッツはロックバンドですから、かっこよく存在していなければいけません。

そんなかっこいい存在であるはずのロックバンドのボーカルが、アニメに感化されて、アニメの主題歌も手掛けるなんてことになったら、世間の反応はどうでしょう?

いや正直、本当の世間の反応としては、別にそれほどでもないでしょう。平成初期の昔はともかく、令和の現在となっては対して違和感のないことだと思います。桑田佳祐さんがちびまる子ちゃんの主題歌を担当し、西川貴教さんがガンダムの主題歌を担当する時代です。ロックバンドがアニメの主題歌を手掛けることを、みんな当たり前のこととして受け入れています。いまや、スピッツがたとえプリキュアの主題歌に抜擢されたとしても、それほどの驚きはないでしょう。熱心なスピッツファンだったらむしろ、スピッツが主題歌を担当することに両手をあげて喜び、シーズン中ずっとプリキュアを見続けてくれるかもしれません。

関心事としたいのは、私たちオーディエンスのほうではなく、アーティストであるスピッツの内面にあります。

昔、「アニメなんてダセェよな」という世論が支配していた頃にデビューし、活躍したスピッツ。「オタク」とは、アニメ好きな人を揶揄し、見下した言葉だったし、このアニメ好きの人が事件を起こそうものなら、「これだからアニメは」的な論調で、テレビのワイドショーでしきりと叩かれていた時代でした。ロックバンド界隈としては当然ながら、ダサいアニメと、ダサいアニメファンからは距離を保っていました。ことさらに嫌っていたというわけでもないと思いますが、だからといって歩みよりを見せていたわけでもありませんでした。ファッションリーダーとして、イケイケのみんなの尊敬を集めるアーティストの口から「ガンダム観てます」とか「プリキュア観てます」なんて言葉が出てくるなんてことは、ありえない話だったのです。イメージを壊すという点においては「熱愛してます」「不倫してます」と告白するのと同等だったかもしれません。所属事務所的にタブーとされていたとしても、納得できる話です。


とにかく、ロックバンドとしてのイメージもあって、アニメのことに触れずに関わらずに、ここまでやってきたスピッツ。

でも、アニメ自体は悪くないどころか、無限の可能性を秘めています。アニメもロックも、いわば同じ芸術性を高めた芸術家が手掛けた芸術作品です。親和性は本来、めちゃくちゃいいんですよね。スピッツのメンバーだって、公言していないだけで実はアニメめっちゃ観ていたかもしれません。ガンダムにめっちゃ詳しいかもしれません。

アニメのことは純粋にいいと思っている。公言してもいいと思っているし、むしろ表現したいと思っている。

でも、今まで培ってきたロックバンドとしてのイメージがある。「スピッツがアニメの主題歌なんて、なんか意外…」って思われたら、どうしよう…。

そんな葛藤が、スピッツメンバーの中で、あったのではないのでしょうか。




でもその、葛藤の答えが、「灯を護る」において存分に発揮されていると、私は思うのです。

先ほどの「空も飛べるはず」の話になりますが、あの頃のスピッツは「おれたちは別に、ドラマに媚びることなんてしない。たとえ大人気ドラマの主題歌として選ばれようとも、自分たちの表現したい曲を最大限に、黙々と作る。それがアーティストとしての責任だよ」と考えていたようなフシがあります。げんに「空も飛べるはず」の内容が、ドラマ「白線流し」の内容に沿っていないことからも、伺うことができます。そういう、自分たちの曲に対するストイックさと責任感が、ひしひしと感じられるのです。

一方で、「灯を護る」の歌詞から感じる、アニメへの寄り添い方。これにはマサムネさんの優しさと、リスペクトが詰まっているように思えます。それらは、「空も飛べるはず」が、大ヒットドラマである「白線流し」に見せていた冷たさを越える、猛烈な温かさをもって迎え入れてくれたような、そんな熱量を感じるのです。

「このアニメすごいっすね! めっちゃリスペクトしています。私たちもまた、このアニメの世界観を彩れるよう、微力ながら力を尽くしてまいりたいと思います。どうぞどうぞ、よろしくどうぞ」

と、マサムネさんがニコニコしながら、案件を持ってきてくれた営業の人に、握手を求めている様子が思い浮かぶようです。




前置きが長くなってしまいましたが、ここからが本題です。

上記のように、「灯を護る」は、アニメ「SPY×FAMILY」の内容に沿うように製作されたものだと、私は思っています。

つまり、「SPY×FAMILY」と一緒に読み解けば、すんなり理解できる内容じゃないかなと思います。

「SPY×FAMILY」を読んでいる人にとっては蛇足かもしれませんが、歌詞を順番にみていきましょう。




泣くのはわがままなことと信じていた

モノクロの裏道を走り抜けてきた

出会いなんて予想もせずにこの街で

儚い定めと知ってるよ どれほど強い祈りでも

落書きみたいに消されてく 大切な想い出まで

「SPY×FAMILY」の登場人物において、主人公は3人おります。スパイで夫役のロイドと、暗殺者で妻役のヨル、そして戦争の道具として心が読める能力を身につけさせられた子供役のアーニャです。血のつながりのない、別々のところに籍があった3人ですが、いろんな思惑が重なり家族を演じることになる、というのが物語のはじまりです。

といっても、このアニメは主人公たちの境遇の不幸さに焦点を当てたものではありません。だいたいの場面において、子供役のアーニャがドタバタと騒動を巻き起こし、夫役のロイドと妻役のヨルが悪戦苦闘するという、その様子を楽しむドタバタコメディになっています。特にアーニャの天真爛漫な可愛さが話題となり、街にはアーニャグッズが沢山売られたり、アーニャのコスプレをした子供が沢山出現したりしていました。アニメを観たことのない人でさえ、アーニャの名前だけは知っている、なんて人もいたでしょう。「SPY×FAMILY」の作者もそれを知ってか知らずか、原作ではアーニャがドタバタするシーンばかりが延々と続き、いっこうに話が前に進まないため、「このSPY×FAMILYって作品は、スパイの話かと思ったら、アーニャが可愛いだけの話だった」だなんて悪口(?)をいう人もいました。そのぐらい、アーニャの可愛さに焦点が当たっている作品なのです。

だからこそ、とでも言いましょうか。ロイドとヨル、そしてアーニャが背負っている闇とも呼ぶべき時代背景が、辛いものとして浮かび上がってきます。夫役のロイドは、アーニャがジタバタするのを普通の父親目線では眺めることはできませんし、父親としてどう振舞えばいいのか理解もできません。そしてアーニャもまた、ロイドが自分のことを子供のように接することができないことを理解しています。ロイドにとってこの偽りの家族は期間限定のものであり、用が済めばこの関係はなくなるのです。一方、親のいないアーニャにとっては、ロイドをずっと夫役としておきたいために、「ちち」と呼んで慕い、できないことに対して必死でもがいていくのです。

この詞の部分は、まさにそんな、鉄の塊の中に心を封印してしまったロイドを紹介しているような、そんな内容になっています。



それでも手を伸ばす精一杯 いつか僕ら赦されるなら

幸せの意味にたどり着きたいんだ

密かにともるこの可愛い灯を護ろう

「密かにともるこの可愛い灯」とは、アーニャのことであり、また自分とヨル、アーニャの関係性のことだと思います。偽りの家族としてはじまった関係ですが、アーニャの可愛さに触れるにつれ、ロイドにも少しずつ心の変化が現れはじめるのです。ロイドの、この心の変化を描きたいがために、一部の読者を辟易とさせるぐらい、作者は延々とアーニャの可愛さを描き続ける必要があったのでしょう。

戦争の非情さが背景にあることで、心を封印しなければならなかったロイドによる、しかもアーニャの本当の父親ではないロイドによる「それでも手を伸ばす精一杯」「幸せの意味たどり着きたいんだ」には、めちゃくちゃ意味が重いです。よくぞこんなワードをこの詞に使ってくれました。マサムネさんの長年にわたる、スピッツとして感性を磨き続けてきた活動は、まさにこの詞のこのワードを産まんがためにあったのかもしれません。

ちなみに「灯を護る」という一見変わったタイトルにも、ロイドとヨル、アーニャの物語を追いかけていくことで意味を感じることができます。このタイトル、普通につけるなら、「火を守る」となるでしょう。だけどこの詞は、普段はあまり使う機会のない、「灯」と「護」を当てはめています。

「火」は、火そのもののイメージと強くむずびつきすぎてしまいます。戦争が背景となっているこの物語において、火は戦争の火を連想させてしまうかもしれません。ここで言い表したいのは、ずっと寒い荒野であった心の中に灯った、ともしびとしての火です。ヨルそしてアーニャが、温かい「灯」として現れたのです。

そして「護る」ですが、「守る」には、ルールを守るという使い方があるとおり、決められた規則に従うことを意味します。ロイドの立場としては、任務のために偽の家族を作ったのであり、任務が終われば棄てなければいけません。それが自分にとって「守る」という意味になってしまいます。これでは、アーニャをまもることにはなりませんし、ヨルとアーニャ3人で築いてきた、家族としての絆をまもることにはならないでしょう。

なのでここは「護る」である必要があります。「護る」には、保護するという意味があります。心のともしびを、家族としての絆を、これからもずっと護り続けるという意味になるのです。仕事上のしがらみとか、立場上の規則とか、そんなことよりも家族を選ぶんだ、という意味になるのです。

「灯を護る」という一風変わったタイトルを見て、ほとんどの人は違和感で終わっていたでしょうけれども、「SPY×FAMILY」を観たことのあるスピッツファンなら、もしかすると、「ああ!なるほど!まじか!」と意味に気が付いて驚嘆した人がいたかもしれません。まさにこのタイトルからして、物語の意味に沿うように、精巧につくられているのです。



気がつけば指先も汚れたままで

錆びついたドアノブいくつ回したっけ?

昨日と同じ誰もいないと思ってた

正解はこれじゃないのかも やり直しながら進もうか

越えられない柵を越えていく 切なさをバネに変えて

1番ではロイドが「モノクロの裏道」を歩いてきたことの絶望を表現していましたが、ここでもそれがよりはっきりと描かれています。ひとに言えない仕事をして、ひとを罠にはめ、悪事に手を染めることが自分のスパイとしての仕事なのです。何度も希望が打ち砕かれ、やがては鉄のように冷えて動かなくなった自分の心。そんなふうに諦めることを繰り返してきた人生の中だったけど、「昨日と同じ誰もいないと思ってた」けど、そこにはヨルとアーニャがいた。



君がいる世界の続きに触れたい もしも僕ら赦されるなら

囚われの結び目をほどきたいんだ

微かだけど温かい灯を護ろう

鉛色の雲の隙間から 水色が小さく見えるから

下向かずにすぐ起き上がる 絵空事と笑われても

やめないよ手を伸ばす精一杯 いつか僕ら赦されるなら

幸せの意味にたどり着きたいんだ

密かにともるこの可愛い灯を護ろう

そしてロイドは今、「君がいる世界の続きに触れたい」と願っています。この意味は、とてつもなく重いです。

「赦す」とは、罪をゆるすことを表します。普通の人は別に罪を犯すことがないので、あまり赦されるということはないかもしれません。この曲は、罪を背負った人にたいする、ゆるしの曲だということを想定して作られているということがわかります。

ロイドとヨルは兵役という、いわば国家の罪を背負わされています。そんな彼らに、「鉛色の雲の隙間から 水色が小さく見え」たのです。この小さな希望がやがて、「下向かずにすぐ起き上がる 絵空事と笑われても」「やめないよ手を伸ばす精一杯」という大きな原動力になっていくのです。




という感じで解釈してみましたが、いかがでしたでしょうか?

これは余談になりますけれども、スピッツはロックバンドとしてのイメージをまもるために、アニメを避けていた的なことを申しましたけれども、実は結構昔からアニメや漫画に影響を受けたんじゃないかという曲がチラホラあったりします。マサムネさんはストイックなので、ジャンルを問わず他作品を取り込み、貪欲に自分のものにしたいと考えているフシがあります。当然、アニメもまた立派な芸術作品です。アーティストとして、むしろ影響を受けないでいるほうが難しいというものです。一方で、アニメに関する話などは本人たちから聞くこともないので、やはりその部分については今でもナゾのままなのです。

もし、「SPY×FAMILY」からスピッツにハマったという人がいたら、ぜひほかのスピッツの曲を聴いてみることを、スピッツファンとして、ぜひぜひおすすめいたします。私なぞは、どこにでもいる八百屋のオジサンですので、アニメにそこまで詳しくないのです。なので、私が発見できていないスピッツのアニメ曲がまだまだ潜んでいるかもしれません。そういう発見があると、とても楽しいなと思います。




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