スピッツの「空も飛べるはず」は青春の歌ではなかった説~スピッツ歌詞解釈~

更新日:2021年12月19日




言わずと知れたスピッツの名曲「空も飛べるはず」

発表されてからやがて30年ほどにもなりますが、近年になってカバーされたり、学校の課題曲になったりと、今でもよく耳にする曲となっております。

すっと耳に入ってくる心地よいサウンドと、マサムネさんの爽やかな声のおかげか、雰囲気で「青春の曲だ」と捉えている人が多いのではないのでしょうか。

でも、歌詞をよくよく眺めてみると、意味が通じにくい部分があります。



「幼い微熱ってなんだろう? 風邪でもひいてるのかな? それなら、隣で歌っているだけでは慰めにはならないだろう」

「君と出会えたことが嬉しくて空も飛べちゃうぐらいテンションが高いのに、色褪せたりひび割れたり涙で濡らしたり、はたまたゴミで世界が煌めいていたりと、背景がなんか暗いのは、そぐわない気がする」

「深い眠りに落ちていたのに、髪の毛が揺れただけで目が覚めるものなのか」



このあたり、たぶんみなさん、今まで無理やりに解釈していたのではないのでしょうか。



「幼い微熱っていうのは、子供のころによくある不満とか理不尽のことで、それを年上のお姉さんがおどけて諭してくれたんだよ」

「背景が暗いなかで、いいお姉さんに出会えたことを強調したいから、嬉しくて空も飛べちゃうっていう表現なんだよ」

「好きな女性が隣に現れたら、それだけで深い眠りも覚めちゃうでしょ」



みたいな解釈も、できなくもないですよね。




ところで、空も飛べるはずには、デモバージョンがあります。

「めざめ」、というタイトルになっています。

歌詞の違いですが、3か所あります。

まず、サビの「奇跡」がデモバージョンでは「痛み」になっています。

君と出会った奇跡ではなく、痛みが、胸にあふれていたんですね。

でも、それでも、次は、きっと今は自由に空も飛べるはず、となっています。

あれ? 空も飛べるはず、っていうのは、嬉しくて飛び上がっちゃうという意味ではないのか…?と思ったのがあります。



また、「おどけた歌」「懐かしい歌」になっています。

「懐かしい歌」と表現したことは間違いではなかったけれど、それよりも「おどけた歌」だと表現したほうがいいということで、おどけた歌を採用したのだと思います。でも、それはもともと懐かしい歌という側面もあった、ということになります。

「懐かしい歌」であるにも関わらず「懐かしい歌」という表現は、ここでは適当ではない、という判断をした……。これはいったい、どういうことなのでしょう?



あと、

「ゴミできらめく世界が僕たちを拒んでも」の部分が、「やがて着替えた季節が僕たちを包んだら」となっています。

着替えた季節ってなんだろう? 季節が変わったら、という意味でしょうか。それだと、季節が変わったら、そばで笑っていて欲しい、ということになりますが、じゃあ季節が変わるまでは、どうすればいいのでしょう。この部分、1番のサビの「夢を濡らした涙が海原へ流れたら」の部分と重なることで、さらに時間的な長さを感じます。涙が海原まで流れるのって、相当な時間がかかりますよね。それまでの間は、どうしたらいいのでしょう?



フレーズは変わっていますが、大まかな曲の意味は、変わっていないはずです。

意味が変わらないよう、慎重に言葉を選んだはずです。

つまり、痛み=奇跡なのです。

かつ、月、海原、海原、神様、空と、やたら壮大なものを曲のあちこちに配置しているのは、何を暗示させているのか。

そして、めざめ、というタイトル。これは一体何を意味しているのか…。



私は、歌詞の中にでてくる僕=地球説を唱えたいと思います。



この曲が表しているのは、まだ世界が迷信であふれていたころの地球で、悪魔とか呪術とかが信仰されていた頃の話だと思います。

そして「君」は、近代文明をもつひと。髪が揺れる表現があるので、女性だと思いますが、もしかすると男性かもしれません。

迷信で溢れていた世界に、科学の理論が入り込んだことで、一気に世界が痛みとともに「めざめ」た。そういう曲だと思うんです。



「幼い微熱を下げられないまま神様の影を恐れて 隠したナイフが似合わない僕をおどけた歌で慰めた」

この部分は、迷信を表しています。神様の影は悪魔のことで、幼い微熱は文字どおり病気のことです。ナイフは天罰のことですが、どうして似合わないかというと、そういうものは本来存在しないからです。それを、近代文明をもつ人間は、おどけた歌で慰めています。おどけた歌は、「めざめ」では、懐かしい歌、と表現されています。呪術が流行る前の、本来正しい宇宙の論理のことです。それは地球しか知り得ないことです。地球にとっては、懐かしい歌に聞こえるはずです。一方で、呪術を信じている人にとっては、おどけた歌に聞こえるでしょう。



「色褪せながらひび割れながら輝くすべを求めて」

心の表現かと思いきや、実は地球の変化を表していたんですね。地球は環境の変化によって色褪せたり、ひび割れたりします。そして太陽や月や、ほかの天体のように、輝く術を求めていたのでしょう。



「君と出会った奇跡がこの胸に溢れてるきっと今は自由に空も飛べるはず」

空=宇宙です。昔は天動説が主流で、地球が宇宙の中心だと考えられていました。でも正しい地動説によって宇宙を感じた時、はじめて地球は、宇宙の中を自由に飛べるようになったのです。歴史の授業で習ったとおり、この天動説から地動説に切り替わるまで、さまざまな痛みがありました。同時に、霧が晴れるように呪術信仰から科学文明へと切り替わっていった時期でもあります。地球にとっても、奇跡のような変革だったはずです。



「夢を濡らした涙が海原へ流れたらずっとそばで笑っていて欲しい」

これは、たぶんめざめの「やがて着替えた季節が僕たちを包んだら」と意味が被るので、本番ではフレーズを変えたんだろうなぁ、と思ったところです。どういうことかというと、僕=地球だとして、かつ上記の解説が当たっていたとすると、「夢を濡らした涙」とは、迷信の中で眠っていたころの、夢の中にいた地球…それを濡らす涙という名の痛み、つまり変革の痛みが、海原にまで流れてしまった後で、地球は科学文明とずっと一緒に仲良くいたい、という意味になります。これならデモバージョンのフレーズとも意味が合致します。



「切り札にしてた見え透いた嘘は満月の夜にやぶいた」

これは、悪魔側の最後の反撃でしょう。夜は、悪魔のもっとも得意な場面。でも、文明はそれをやぶいた。



「はかなく揺れる髪の匂いで深い眠りから覚めて」

ここでは髪となっていますが、もしかしたら神だったかもしれません。いにしえより信仰されてきた神が、はかなく揺れている。これは世界が科学に取って代わられる表現になります。神が死んで、科学が生まれたのです。髪だったとしたら、それは科学文明をもたらす人間が地上に誕生したということになります。いずれにせよ、科学の論理で、地球は深い眠りから覚めたわけです。



「ゴミできらめく世界がぼくたちを拒んでもずっとそばで笑っていて欲しい」

科学が世界を席巻したとしても、まだまだ古い信仰にとらわれた人間がいます。古い信仰がもたらす結果や事象を「ゴミ」と呼んでいるのだと思います。価値観というのはなかなか変えることができません。そういう彼らから科学者たちは迫害を受けてきました。それでも地球は、科学文明に一緒にいてほしい、と願っているのです。




いかがでしたでしょうか。

空も飛べるはず、というのは、宇宙も飛べるはず、という意味だった、という結論に私の中では至ったわけですが、みなさんは、どう感じましたでしょうか?

もし、本当に地球と文明との交信の話だとすると、これはとても壮大な話ですよね。

自分でこのブログを書いている途中で、どうして地球は、呪術より科学のほうが好きなんだろう、と気になったんですけど、こういう話があります。「地球には意思があって、宇宙全体のことを知りたいと思っている。だから科学の力を人間に与えた。人間はその科学の力を使って、衛星やロケットを作った。地球はその映像を、人間の目をつかってみている」という話なんですけど、どうなんでしょう。マサムネさんは、空も飛べるはず、を手掛けたとき、そんな空想をしていたのでしょうか。



空も飛べるはず。すごいですね!!





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