スピッツ「小さな生き物」で深く掘って埋めたのは、猫の遺体だと解釈したという話。~スピッツ歌詞解釈~
- 2021年8月7日
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更新日:1 日前

こんにちは。八百屋テクテクです。
今回は、スピッツ「小さな生き物」について解釈していきたいと思います。
「小さな生き物」の歌詞は、何か自分の手で守らなくてはいけない生物がテーマなんじゃないかなと感じています。何かの生物が危機に瀕していて、それを救う話。そんな風に思います。その生物は、か弱い女の子なのかもしれませんし、保護ねこかもしれませんし、このアルバムの象徴としてでてくる、金魚のことかもしれません。
私の場合、保護ねこの話が、これまたしっくりきたので、紹介したいと思います。
負けないよ 僕は生き物で 守りたい生き物を
抱きしめてぬくもりを分けた 小さな星のすみっこ
「負けないよ」というフレーズから、この曲が始まります。負けないよ、ということは、負けることもありうる状態なのだということです。何に対して、負けるのか。
私は、生きることに負ける、と考えました。生きることができない、ということです。死ぬ運命にある生き物が、いるということです。
これを僕は、助けようとしています。抱きしめて、命のぬくもりを分け与える。小さな星のすみっこ、つまり、部屋飼いにして、餌をあげたり、世話をしたり、しようとしているということです。
知らないままで過ごせるのならその方がよかったこととか
たくさんあるよだけどいまだに アホな夢見てる
何か知りたくないことを知ってしまったようですね。野良猫は保健所に引き取られて、殺処分されるという話でしょうか。
「なんでそんなことをするんだ、野良猫はほっとけばいいじゃないか、かわいそうだろ」なんていう人、いますか? 野良猫は実はとても危険な存在なんです。
野良猫は、危険な病原菌の温床になる場合があります。野良ですから、ネズミやヘビ、虫、鳥の死骸を食べ、病原菌を一緒に貰うわけです。その病原菌をもった猫が、その牙や爪で、人間の子供を襲ったら、どうでしょう。
人間だけでなく、同じ猫にも被害が向きます。猫エイズというものがあり、主に猫同士のケンカのひっかき傷で感染します。感染すれば免疫力が落ちていき、やがて死に至ります。飼い猫を放し飼いにできない、ひとつの要因でもあります。野良猫に病気を貰ってきちゃいますからね。
また、畑を荒らしますし、鳴き声は騒音にもなります。猫好きには気にならないかもしれませんが、そうでもない人にとっては、悩みのタネとなります。
こういった理由から、野良猫は、人間のために、捕獲され、処分されています。
飼い猫から野良猫になってしまうこともありますし、飼い主やペット販売業者のマナー違反により、野良猫が増えるといったこともあります。
猫に関する事情は、知れば知るほど、知らなきゃよかった、と思えることばかりです。
それでも、あの猫の愛らしい姿を見ると「アホな夢」をみちゃいます。殺処分される猫を減らしたい、とか。できる限り保護したい、とか。
治療代や餌代。一匹飼うのにも大きなお金が必要なのに、それを何匹も、となると、とても個人ではどうにもできない現状があります。
叶えるのが難しい夢を「アホな夢」と表現するのだとしたら、これがしっくり当てはまると思います。
臆病な背中にも 等しく雨が降る
それでも進むとにかく先へ 有っても無くても
背中に雨が降る、という表現は、四足歩行の動物に対する表現なのかな、とも思ったりします。二足歩行の人間の場合だと、雨があたる場所は頭か、肩です。人間が雨にうたれた場合、髪の毛を濡らす、とか、肩を濡らす、という表現を使いそうです。背中に雨が降る、という表現も使わなくもないですが、どうなんでしょう?
そして、等しく降る雨とは、どういうことでしょう。健康な人なら、雨に濡れることをそんなに意識しないでしょう。服が濡れて困るとか、その程度で済みます。
でも人間より小さな生き物であるなら、雨の深刻さはより増します。子猫の場合、一雨が生死を分けることにもなります。
同じ雨でも、誰かにとっては何気ない雨でも、誰かにとっては深刻な雨ということです。
また、この場合の雨は「現実」の比喩表現かもしれません。誰かにとっては何気ない日常、でも誰かにとっては深刻な事態。そういう見方もできそうです。
深刻な状態に曝されている生き物があって、それを何とかしようと、進む。その先に救いがあるのかわからないけれど。
こういう状況が、保護ねこと、保護ねこ活動の状況をよく表している気がします。どんなに頑張っても、現状では救える猫の数なんて、ほんの一握りにすぎませんし、仮に今の命を救えたとしても、その先に幸せが待っている保証はありません。
それでも、進むのです。
負けないよ僕は生き物で 守りたい生き物に
出会えるって思いもしなかったもう一度果てを目指す
果て、とはどこでしょう。もう一度、と言っていますので、かつて一度は目指した場所なのでしょう。
猫の場合、果てとは寿命のことを指しそうです。寿命まで、守り切るということですね。もう一度ということは、以前に猫を飼った経験があるのかもしれません。そこで悲しみに直面して、もう猫を飼うのはいいや……、と思っていたところ、もう一度守りたい猫に出会った。こういう状況が、この詞から浮かんできます。
深く掘って埋めても無くせないはずだから
裸の言葉隠さずさらす そこから始めよう
ブログのタイトルにした部分ですが、ここの意味は、ふた通りの解釈ができます。
ひとつは、文字通り深く掘って埋めることです。お墓ですね。猫が亡くなって、土に還ったとしても、一緒に過ごした思い出までは無くせないはずです。
猫を飼う場合、悲しみはつきものです。人間に比べて寿命が短いですから。でも、悲しくなるのが嫌だから飼わない、という人がいたら、それは違うよと言いたいです。猫を飼うことは、悲しみを増やすことではありません。寿命を迎えるまでの思い出、猫が生きた証……いろいろあったはずです。悲しみも、喜びも、全部ひっくるめての、飼育なのだと思います。尊い時間になるはずです。猫との時間を見つめるところから、はじまるのだと思います。
もう一つの意味としては、保護ねこ活動に関心のある人がまだまだ少ないから、もっと関心を持ってもらいたいなぁ、と考えているという解釈です。多くの人は、野良猫の現状について、何とかしなくちゃなぁ…と薄々気が付いていても、つい目を逸らしてしまっています。目を向けるべきことが他にも多いので、仕方のないことなのかもしれません。
でも、問題に蓋をして、見ないようにすれば、問題は消えてなくなるわけではありません。深く掘って埋めれば、形は見えなくなりますが、なくなるわけではないのです。
そうやって隠さずに、問題をさらしてこそ、問題の解決につながる、ということを言いたいのだ、という解釈ができます。
いかがでしょうか。
私は保護ねこに焦点を当てて解釈してみましたが、他の生き物でも、十分当てはまることなのだと思います。
小さな生き物を守りたいという思いは、人間の本能のように思えます。そういう優しさを表現してくれる曲なのだと思います。
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