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スピッツ「甘ったれクリーチャー」は、栗の甘露煮説。



こんにちは。八百屋テクテクです。

今回は、スピッツ「甘ったれクリーチャー」について解釈していこうと思います。

ブログタイトルにもありますとおり、今回は真面目な歌詞解釈を諦めました。どうにもしっくりくる解釈がなくて、もうおふざけ方向にいくしかなかったんです。これが、野菜のことしかよく知らない、八百屋さんの限界というやつですね。しょうがないです。トホホ。

本物の歌詞解釈は、それこそ文学の知識を沢山身に着けた人に任せるとして、八百屋さんは八百屋さんなりの解釈をしていこうかなと。

というわけで、「甘ったれクリーチャー」は、「甘いタレ栗ーじゃー」つまり栗の甘露煮のことだということにして、解釈してみようと思います。たぶんマサムネさんが年末年始に帰省した際、おせち料理の準備をしていた母君あたりが「うわ~、この栗の甘露煮、甘いタレの栗じゃのぅ」と呟いたのを聞き間違えて、「えっ、甘ったれクリーチャー? なにそれ?」って聞き返したのではないのでしょうか。母君は「お前の耳はどうなってるんじゃ」と呆れたに違いありません。が、マサムネさんはこの聞き間違いをめっちゃ面白く思ったのではないのでしょうか。「甘ったれクリーチャーって、なかなか語感いいよね。実は栗の甘露煮のことなのに。ウケる…」と。のちのツアー名が「あまったれ2005」となっていますとおり、マサムネさんの中に強烈に印象に残った聞き間違いだったんじゃないかなと。

実際にこんなやりとりがあったのかはナゾですけれども、このように想像してみると、面白いですね。

はなして、栗の甘露煮説で、どこまでこの歌詞を読み解けるのか。実際に見ていきましょう。




壊れたんじゃないよ 待ちに待ってたこと 寂しいだけの空気の中

消えかけた灯 絶やさず起きていた かじかむ指に息吐いて

スピッツは、年末の紅白歌合戦に絶対に参加しないということは、ファンの間で有名な話です。なぜなら、年末年始はゆっくりしたいからだ、と本人たちは言っています。

とはいえ、スピッツほどの大御所ともなれば、年末年始をゆっくり休んでいるなんてことはできないでしょう。ファンには年賀状も用意しなくちゃいけないし、各方面に年賀の挨拶もしなくちゃいけないでしょう。

そんなクソ忙しい年末に、いきなりマサムネさんが実家に帰ってきたら、家族はビックリするに違いありません。

「あら、アンタどうしたのこんな時期に。スピッツはどうしたの?」

「いや、栗きんとんが食べたくなって。予定前倒しで帰ってきたんだわ」

こんなことを言ったら、「こんな、いつもは忙しい時期のはずなのに帰省してくるなんて…しかも理由が栗きんとん? 絶対嘘だ。もしかしたら、心身を壊したんじゃないか。スピッツは大丈夫かしら…?」と心配になるに違いありません。

そう心配する家族に、マサムネさんは続けます。「あ、いや壊れたんじゃないよ。本当におせち料理を食べるのを、待ちに待っていたんだ。栗きんとんが食べたいんだ」と。

「寂しいだけの空気の中 消えかけた灯 絶やさず起きていた かじかむ指に息吐いて」は、年末で休業する街の雰囲気じゃないかなと。街のお店とか工場は閉まっているけれども、大掃除とか、正月の準備をしているので、中でバタバタしている状態。まさに「消えかけた灯 絶やさず起きていた」という状況です。



そして すぐに ここで

栗きんとんは、栗の甘露煮を加工して作るお菓子です。

いますぐ、栗きんとんを食べたい、と熱望しています。



甘えたい 君の手で もみくちゃに乱されて

新しい生き物になりたい

ひとときのもつれ合い ゆるやかな下り坂

どこまでも転がって いきたい

栗きんとんは、栗の甘露煮をもみくちゃにして、さつまいもやハチミツを混ぜて固めるお菓子です。栗の甘露煮が栗きんとんという、新しい生き物になったんですね。「あっ、栗とクリーチャーって、関係あるやん」っていうヒラメキに感動して、この詞を作ったのだとすれば、かなり精密に作りこまれていると思います。いや、たぶん違うんでしょうけれども…。

「ひとときのもつれ合い ゆるやかな下り坂どこまでも転がって いきたい」は、美味しい栗きんとんを食べた時の感想だと思います。「うーん、ウマい! 幸せで、下り坂を転がっていくようだ~!」という表現なのかなと。



ちょっとしたミステリー 余裕は無いけれど 夜明けをめざして歩いた

倒れそうな時も 心に立っていた 大事な樹だよ切らないで

ここは、年越しの初詣の表現なのかなと。普段は夜は不気味な神社でも、この日は近所の人でごった返します。地球的には特別でもなんでもない、ただのカレンダー上での元旦を、みんなご利益があると思って崇めるのです。これは「ちょっとしたミステリー」ですね。でもマサムネさんもまた、どうして行うのかもあまりわからないまま、家族のみんながやっているように、神社に参拝します。

でも、そういう根拠のない習慣みたいなものが、意外とマサムネさんのルーツになっているのかもしれません。この神社に立っている樹は、「倒れそうな時も 心に立っていた 大事な樹」になっているのかなと。

こういう、「よくわからないけど習慣だから」というものこそ大事にしたい、というのが、この詞の主張なのかなと。だから正月に家族で食べる栗きんとんもまた、大事にするべきことなのです。



やがて 開く だから

おせち料理の蓋をひらく瞬間が、ついにやってまいりました。



甘えたい 超えられる? わからない 今はただ

ちっぽけな 思い出になりたい

海鳥の声を背に 桃色の空を見る

何ひとつ残さずに 飛びたい

「海鳥の声を背に 桃色の空を見る」は、初日の出を眺めた表現なのかなと。マサムネさんの出身である福岡県の福岡市は、西側に位置しています。なので、初日の出を眺める場合は、「海鳥の声を背に」しなければいけません。福岡市からみると、太陽は海から登ってくるのではなく、北九州市から登ってくるのです。

この元旦に近所の神社に初詣をして、おせち料理を実家で食べたという行事を「ちっぽけな 思い出になりたい」としています。毎年恒例となっている行事をすることで、いつもどおりのマサムネさんとして整うのです

そうやって、自分のルーツを確認したあと、「何ひとつ残さずに 飛びたい」としています。また新しい一年を、後悔を残さないよう、がんばるぞー! と気持ちを新たにしているのです。




という感じで解釈してみましたが、いかがでしたでしょうか?

なんかわりとしっくりくる解釈ができてしまったんじゃないかと困惑しているところなんですけど、でもやっぱりたぶんこの解釈、違いますよね…?

他にも「甘ったれクリーチャー、ゾンビ説」ってのも途中までやってみたんですけど、どうもうまくハマらず…。どうせハマらないなら、八百屋さんだし、栗でいこう、と書き始めて、こうなりました。

でも、もっとちゃんとハマる解釈が、きっとどこかにあると思います。スピッツファンを公言している有名なアーティストとか、高名な文学者とか、沢山いるのですから。きっと誰かが、ちゃんとした答えにたどり着いてくれると思います。

それまで、「甘ったれクリーチャー」は、私の中では、「甘いタレ栗ーじゃー」でいこうと思います。




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