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スピッツの「ヤマブキ」はなぜ邪悪や陳腐とみなされるのか。~スピッツ歌詞解釈~

更新日:3月15日



ヤマブキ、めっちゃかっこいい曲ですよね。

一回聴いただけで、すぐに好きになりました。あんな曲を作れるなんて天才ですね、と今更言わなくても、私たちはもっと早い段階でマサムネさんが天才だということは重々理解しているんですけれども、でもあえてそう言わざるを得ないほど、いい曲です。圧倒されます。


ところで、この曲。

どんなことを言いたい曲なのでしょう。

ヤマブキが綺麗だということを表現した曲なのでしょうか。もちろん、それはあると思います。

田植えとか雨とか崖とか、わりと田舎の風光明媚な土地をイメージして、作ってくれたのかもしれません。八百屋テクテクのある福井もなかなかの田舎ですが、もしかすると福井をイメージしてくれたのかもしれないと、妄想が膨らむばかりです。なんせ福井は米どころで田んぼが多いですし、北陸なので雨量も多いです。なにより、東尋坊という、崖の名所がありますからね。

その崖の上に咲くヤマブキ。うーん綺麗な情景ですね。


と書いてはみたものの、実は私、「ヤマブキは、福井の風景を描いた曲だ」と本気で信じているわけではありません笑


私が最初にヤマブキを聴いて思ったのは、「ヤマブキとは高嶺の花のことであり、その花のもとにコッソリ忍んでいく曲なのかな」という印象でした。

「監視カメラをよけて密会をしようとする人の歌」「自分にとっては高嶺の花だけど、頑張って壁を登っていこう」みたいな。

でも、よくよく歌詞を眺めてみると、その解釈だと、意味の通じない部分がでてきます。

そもそも、高嶺の花に向かってコッソリ忍んでいくことを、サビで高らかに「よじ登っていけ」とか「突き破っていけ」と煽っているところが、おかしいですね。人目を忍んでいるんじゃないのかと。会えることがわかっているのなら、そんなに鼓舞する必要もないですし。

逆に、今は高嶺の花で会えないけれど、会えるように努力する、という意味なら、そんな忍んでいてもしょうがないでしょう。もっと堂々としていなければ。

なので、これも矛盾を抱えてしまうと。


では、ヤマブキとは、いったい何を歌った曲なのか。


私のヤマブキの解釈ですが、この曲は「現代に対する反骨精神」を描いている曲なのだと思います。

もっといえば、これはスピッツなりのロックだということです。


どういうことなのか。

少し前の時代は「金」「女」「権力」「暴力」が正しい、持つべきだ、みたいな風潮がありましたよね。金を持っているのが正義。女にもてるのが正義。偉くなるのが正義。そのためなら強引な手を使っても成り上がるのが正義。みたいな。

だから、この時代のロックは、これに反発してきました。

「金なんて必要ねえ!金にまみれた汚ねぇ大人なんて、まっぴらごめんだぜ」「うるせえ女なんかいなくてもなぁ、一人でも生きていけるんだ」「社会の歯車で終わりたくねぇ」「暴力なんてダセーよ。戦争反対!」みたいな。

そういう反骨精神が、曲のテーマになっていたわけです。その時代に流行していた曲を思い浮かべると、思い当たる曲、すぐに見つかると思います。

多くのロックアーティストたちが、このテーマに沿って、作詞していたわけです。


さて、時代が移って、現代。

金だ女だ暴力だといった時代が終わって、世の中が穏やかになりました。とくに若い人は欲を持たない、いわゆる「さとり世代」とか言われるようになりました。

現代は、緩い平等が支配する世の中になりました。

みーんな横並び。一緒にスタートして、一緒にゴールする。はみ出ている人を見つけたら、それを集中的にたたく。お金も必要以上にはいらないし、恋愛も面倒。権力を持ちたくないわりに、権力側の人が清廉潔白でないとすぐに怨嗟の声が吹きあがる。みんなで足を引っ張りあうために、お互いがお互いを監視しあっている状態。

だから、そういう怨嗟の声におびえて、ますます金や恋愛に対する感情が、表に出なくなる。欲の薄い人が「謙虚」とされ、欲がある人は避けられ、批判の的になる。

問題を恐れて自分の行動にも他人の行動にも細心の注意を払い、おかげで外にはめったに出ませんし恋愛も怖くてできません、というヒカキンさんが、日本では一番人気のユーチューバーだったりします。ヒカキンさんの人気の高さは、まさに時代を反映していると言えるでしょう。


こういう時代背景がある場合、ロックはどうなるのでしょう。

ロックミュージックであるなら、この窮屈な時代に対しても、異議を唱えていかなくてはいけません。

こういう窮屈で、やたらと賢く、そして臆病になった時代に、あえて金や恋愛に貪欲になることを訴えていく。それがこの時代のロックの、ひとつの形なのではないのでしょうか。



「似たような身なり 似たような能力 群れの中から抜け出したのさ 監視カメラよけながら夜の泥に染まって走れば遠くに見えてきた」

曲のはじめは、今の時代を表しています。「似たような身なり 似たような能力」を装っていないと、まわりに叩かれるという状況を表しています。

でも、そんな中、群の中から抜け出してみます。そんな平等は、もう飽き飽きだぜ、と言わんばかりに。

でも、わざわざ批判の的になるような振る舞いまでは、行う勇気がないようです。監視カメラをよけて夜の泥に染まって、コッソリ、行動しています。そうやってコソコソと、自分が目指したいものを目指す。現代がいかに窮屈であるかを表現しているかのようです。



「あれはヤマブキ 届かない崖の上の方で ハングリー剥がされてもよじ登っていけ」

さて、ヤマブキの歌詞における最大の疑問です。ヤマブキとはいったいなんなのか。

普通に考えると、植物のヤマブキのことですよね。山吹です。

ところが、歌詞のヤマブキをそのまま植物の山吹ととらえると、ちょっと不自然なんです。

ヤマブキは、低山に生える植物です。日本の気候と相性がいいようで、観葉植物として全国で植樹され、楽しまれています。

あえていうなら、どこにでもある植物で、わざわざ「届かない崖の上」まで取りに行くようなものでもないというわけです

崖の上に生えているのなら、崖の下にも生えているでしょう笑

そこで私が思いついたのは、ヤマブキに関する有名な比喩です。

「ヤマブキ色のお菓子」って聞いたことがありますか? 時代劇とかで、悪徳商人が悪代官に送る賄賂のことです。「こちら、ヤマブキ色のお菓子にございます」「フフフおぬしも悪よのぅ」という場面で使われます。

ヤマブキ色のお菓子の正体は、小判です。ヤマブキ色は、別名黄金色です。

歌詞の中のヤマブキは、実は、お金のことを表しているんじゃないかと思います。

お金なら、確かに、たいていの人において、手が届かない場所にあるものです。そして、それを追い求めています。

ただハングリーを満たすためだけでなく、自分の欲望のため、追い求めていかなければならないものです。お金を求めることが悪徳とされる時代だけど、あえてお金を求めていこう。自分の欲望を満たすためにお金を稼ぐことは、この時代におけるロックなことなんだ。周りになんと批判されようとも、ジャリンジャリン稼いでいこう、と言っています。

この解釈、どうでしょうか。



「滑らかに永遠を騙るペテン師に 生き抜く勇気を頂いてたけど 田植えの季節過ぎれば雨がいろいろ消してくれそうで へへへと笑ってみた」

「滑らかに永遠を騙るペテン師」とはいったい誰のことなのでしょう。ここまでの解釈で意味をなぞってみると、これはもしかすると、マサムネさん自身であるかもしれません。

マサムネさんじゃなくても、その主張に近しいことを言っていたアーティストだと解釈ができます。

まだ時代が熱狂的に金やモノを追い求めていた時代には、マサムネさんはロックの立場から、「いやぁそんなにガツガツしないで、もっと緩く生きていってもいいんじゃない? 疲れちゃうよ」みたいな主張を込めた曲を作っていました。そして、そういう曲は、ガツガツするのに疲れた人々の心を癒していたわけです。マサムネさん自身もきっと、そんな主張をするアーティストの曲に出会って、生き抜く勇気を頂いていたはずです。

「永遠」というのは、その時代追い求めていた「重厚長大」の逆だと思います。「重厚長大」のような形があるものは、いつかは滅びます。金、権力、地位、名誉……すべていつかはなくなります。そんな、いつかはなくなるものを追い求めるのではなく、もっと本質的なものを求めていこうよ、というのが「永遠」という言葉に集約されているのではないのでしょうか。

でも、それから時代が下るにつれて、それはペテンのような意味を持ち始めました。形があるものを求めることが、いわば人間の本能であるにもかかわらず、あまりにも忌諱されはじめたのです。形のないものを求めようとするあまりに。アーティストたちが率先して、形のないものを大事にしよう、と煽りまくったために、形のあるものを大事にしない風潮になってしまったわけです。これだけ貧富の差が増大した社会で、「形のないものを求めていこう」と訴え、それで自分が私腹を肥やしていたとするなら、まさにペテンのやり方じゃないか、と。

形のないものを追い求めることが必要とされる時代も過去にはありました。でも今は、時代が違う、とマサムネさんは感じています。

「田植えの季節」とは、みんな一緒にスタートして、一緒にゴールしようね、という価値観が美徳とされていた時代のことだと思います。田植えは、そういうやり方をします。

でも、その平和を求めた時代は、過ぎようとしています。再び雨が降り、激流の時代がやってこようとしています。この雨が、「いろいろ」のついでに、過去の自分が求め、表現してきたものを消してくれるんじゃないか、と期待しています。

「へへへ」とは、何かバツが悪いことがあったときにする笑い方です。ごまかそうとしています。このあたりも、過去の自分が表現してきたことが、時代に合わなくなってきたなということを言いたいのだと思います。



「恋はヤマブキ新しい光を放ってる 邪悪とみなされても突き破っていけ」

「あればヤマブキ 続くよ独自のロードムービー 陳腐とけなされても突き破っていけ 突き破っていけ よじ登っていけ 崖の上まで」

なかなか、生々しい表現になりますね。恋はヤマブキ、つまり、これまでの意味を当てはめると、恋はお金ということになります。恋愛感情に金銭が入りこんでくるのは、そりゃあ、一周回って新しい考え方ですし、たいていの人は、邪悪とみなしますよね。

いやいや、あるいは、恋は黄金に匹敵するぐらい、すばらしいものなんだよ、ということなのかもしれません。

これだと、邪悪、とまでは言えませんが、もう今の時代には古い考え方であることには、違いありません。恋以外の生き方だって、いくらでもありますからね。

いやまぁ、恋はすばらしいから、恋しろよ、などと押し付けがましいことを言うようなら、確かに邪悪と言われちゃうかもしれませんけれども。

でも、今の歪んだ時代を突き破るには、あえて、こういう、強いメッセージを武器にする必要があるんです。

生ぬるい、時代に寄り添ったメッセージなんて、そもそもロックではないですからね。時代に反発し、風穴を開けていかなければいけないのです。

でも、最後に「続くよ独自のロードムービー」とも言っています。時代がまた回って、再び「恋は金だよね、素晴らしいよね」という時代が来るかもしれません。そうなれば、この曲は陳腐になってしまいます。いや、すでに、過去に自分たちが作り上げてきた楽曲たちは、時代が追い付いてしまったために、陳腐とけなされている、とマサムネさんは感じているともとれます。

それでも、自分たちは、常に時代の風に逆らい、突き破って、よじ登っていく。



どうでしょう。草食系男子の代表だ、などと言われていたスピッツですが、奥底にはこういう力強さがあるんです。

ロックの精神が、血肉となって、ドクドクと熱い脈をうっているのです。

そのロック精神を代表する曲が、ヤマブキと言えるでしょう。



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