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スピッツ「遥か」は、再チャレンジを決意した人の話だった説。



こんにちは。八百屋テクテクです。

今回は、スピッツ「遥か」について解釈してみたいと思います。

この詞は、ブログタイトルにもありますとおり、再チャレンジを決意した人の話を描こうとしてたんじゃないかなと、想像しています。一度は諦めた夢だったけど、もう一度奮起して、憧れていた「遥かなる場所」に飛ぼうとする、っていう話なんじゃないかなと。

ちょうどこの曲は、ドラマ「Love Story」の主題歌になりました。このドラマは、スランプに悩む恋愛小説家を描いた話だったそうなのですが、なるほど状況がよく似ています。

マサムネさん自身も、一度は音楽の道を諦めたことがありました。ブルーハーツの音楽がすごすぎたおかげで、自分が目指すべき音楽を見失ってしまっていたんですよね。でもそこから、どうにかこうにか再浮上し、今に至った経緯があります。マサムネさんもまた、再チャレンジの人だったのです。

とすれば、この詞を解釈することで、マサムネさんの、再チャレンジの心情を掴めるかもしれません。伝説的とまで言われたロックバンド、スピッツの、知られざる内面ですよ。これは歴史的価値がでそうですね!

順番に眺めていきましょう。




夏の色に憧れてた フツウの毎日

流されたり 逆らったり 続く細い道

あとの詞で出てくる「君」との出会いが、再チャレンジのきっかけだとすると、この部分は、再チャレンジ決意前の、夢を諦めていた時の心情だと思います。つまり、フツウの毎日とは、アーティストとかを志してもいない、ごくごく普通の人の、普通の毎日のことです。普通の人は、普通の学校あるいは普通の会社に通勤通学し、指示されたタスクをこなし、時間になったら家に帰る、を繰り返しています。休日は家でダラダラしたり、趣味にふけったり、友人と遊びにいったりすることでしょう。まさに「流されたり 逆らったり 続く細い道」という感じです。

これを前提とした時に、注目すべきなのが「夏の色に憧れてた」という部分です。

フツウの人というのは、夏の色に憧れを抱いたりすることがありません。そもそも、夏の色って何? って感覚だと思います。「夏の色ってステキですね」と、詩的な感覚を持つ人に言われてはじめて、「あ~確かに、そうかもしれませんね、いいこと言いますね~」みたいな、そんな感じだと思います。詩的な感覚を、普段から張り巡らせるようなことを普通の人はしていないから、わからないのです。

この詞の主人公は、かつて、そういう詩的な感覚を磨いて磨いて、研ぎ澄ませてきた人です。なので、過去には夏の色の良さもわかったし、冬の色の良さも理解できていました。でも夢を諦めたので、一旦は感性を研ぐのを辞めてしまっていました。なので、この時点での彼の感性が及ぶのは、普通の人がかろうじてわかる程度の感覚である、「夏の色」のみなのです。もう普通の人なので「冬の色の良さ」にまで感性が及ぶような、感覚の鋭さは失っていた、ということがわかります。一般人よりは鋭いけれど、プロのアーティストほどではない、というのが、彼の立ち位置なのだと思います。



君と巡り合って もう一度サナギになった

嘘と本当の狭間で 消えかけた僕が

ここは、「君」と巡り合ったことで、「もう一度」アーティストとしての道を歩むことを決意した、という部分でしょう。決意したからといって、いきなりアーティストになれるわけではないのです。まずは「サナギ」の状態からはじまるということも、リアルな表現だと思います。

「嘘と本当の狭間」というのは、嘘、本当のどちらかが一般人の生活であり、どちらかがアーティストとしての偉業のことを表しているのだと思います。一般人目線だったら、アーティストとして成功することは現実的ではないので、いわばアーティスト人生のほうが「嘘」になります。でも、アーティストを志す人にとってみたら、自分の才能を自分から投げ捨てて、一般人としてひっそり生活していくことのほうが「嘘」になるでしょう。

でも、この彼の場合でいえば、どちらが本当でどちらが嘘、というわけではないのです。ただ、どちらも選びきれない中途半端な人間だったので、「狭間で 消えかけた」という事態に陥っていたということだけは、確かなようです。



思い出からツギハギした 悲しいダイアリー

カギもかけず 旅立つのは 少し怖いけど

「思い出からツギハギした 悲しいダイアリー」とは、これまで彼が手掛けた作品のことだと思います。自分の人生で経験したことを、精一杯ツギハギして、完成させた作品だったのです。でも誰にも評価されなかったので、ただの個人的なダイアリーとして、自宅の倉庫かどこかに眠っているのです。

「カギもかけず 旅立つ」ですが、これは過去の自分と向き合うことを表していると思います。フツウの人として生きるのであれば、アーティストとして思考を巡らせていた過去の自分とはオサラバできます。記憶の彼方に閉じ込めて、カギをかけてしまえばいいのです。でも、再びアーティストとしての道を歩くのならば、この記憶の部屋のカギを外さなければいけません。再び全身全霊で、自分のすべてを出し切って、取り組まなければいけないのです。

過去の自分と向き合うのは、少しどころではなく、とても怖いことです。マサムネさんは若いころ、「スピッツの曲は、すべて性と死ですから」とドヤ顔で発言しましたが、ずっと後になって「なんで、あんなことを言ったんだろう……?」と後悔?しています。アーティストにとって、自分の過去と向き合うというのは、例えばこういうことなのです。過去の自分に、ずっと追いかけまわされるということなのです。



丘の上に立って 大きく風を吸い込んで

今 心から言えるよ ニオイそうな I love you

「心から言えるよ ニオイそうな I love you」というのは、たぶん「君」に告白したわけではないと思います。詞の組み立て方針的にはイキナリすぎますから。どちらかというと、「I love you」を、自分の作品に使ってみた、という部分なんじゃないかなと。過去のマサムネさんは、自分の詞の中に英語を使うのはダサい、という偏見を持っていましたが、必要とあらば要所要所に使用してきました。こういう個人的なこだわりは、大きな作品の流れの中では、不必要なものになります。この場面は、再チャレンジした彼が、昔の小さなこだわりを捨て去って、大きく羽ばたこうとしている様子なんじゃないかなと思うのです。



すぐに飛べそうな気がした背中

夢から醒めない翼

「すぐに飛べそう」だなんて言っていますが、今までの事を踏まえますと、彼はまだサナギの状態なのです。まだ飛べません。

でも、「すぐに飛べそう」な「気がした」のもまた、事実なのです。彼は再チャレンジにむけて、一歩一歩、踏み出しはじめているのです。

そして、過去に捨て去ったはずの夢を、未だに見続けています。「夢から醒めない翼」が、彼の心の中で躍動し続けているのです。



時の余白 塗りつぶした あくびの後で

「幸せ」とか 野暮な言葉 胸に抱いたままで

ここは、「君」と出会う前、つまり、フツウの毎日を送っていた頃の彼だと思います。

アーティストとして再チャレンジを決意した目線で、この時のことを眺めてみると、「時の余白 塗りつぶした あくび」と思っています。つまり、作品のことに思いを巡らせるための大切な時間を、無気力な状態で過ごしていた。と後悔しているようです。やっぱり、一般人にとってのフツウの毎日って、アーティスト側からの目線でみると、「嘘」って感じなのでしょう。

続く「「幸せ」とか 野暮な言葉 胸に抱いたままで」というのも、一般人のフツウの毎日の一部だと思います。例えば、恋人とテレビを見ながら食事をしたり、会社にいってあくせく働いたり、帰宅後ぼーっとツイッター眺めたり、といった日常が、「幸せ」だという感覚を、一般人なら持つべきなのです。でも、アーティストは、この日常を「幸せ」と思ってはいけません。この「幸せ」に甘えてはいけないのです。



崩れそうな未来を 裸足で駆け抜けるような

そんな裏ワザも無いけど 明日にはきっと…

「崩れそうな未来」この部分ですが、自分のアーティストとして成功できる人生のタイムリミットが迫っているという表現です。20代は好きな事をすればいいですけれど、30歳を過ぎたら、そろそろ才能に見切りをつけて、次にいかなくてはいけません。アーティストとして芽が出ないので、きっぱり諦めて、会社員として働きます、という決意をしなくてはいけないのです。彼もまた、一度はそう思いました。でも、諦めきれず、もう一度夢に向かって飛ぼうと、頑張り始めたのです。でも、タイムリミットは、諦める前であろうと、諦めてから再チャレンジしようと決意してからであろうと、同じ年齢にやってきます。むしろ空白の時間を過ごしてしまった分、アーティスト活動ができる時間が少なくなってしまいました。

この、活動再開から、アーティストとしての能力が花開くまでの時間を、「裸足で駆け抜けるような そんな裏ワザ」は、無いです。あったらいいんですけどね。そんなものは無いそうです。

でも、「明日にはきっと…」と、彼は諦めていません、



僕らそれぞれ 仰ぎ見る空

夢から醒めない翼

「僕ら」とは、たぶん彼と、「君」のことでしょう。「空」つまり、高い目標をそれぞれ仰ぎ見ているという立場は同じなようです。

でも、立っている土台までは同じとは限らないでしょう。空白期間のマサムネさんにとっては、すでにデビューしていた別グループの人だったのかもしれません。女性とも限らないですし、恋愛感情が絡んでいたかどうかも不明です。この詞の組み立て方針的には、恋愛の有無は主軸ではないからです。

でも、この曲が主題歌として使われたドラマ「Love Story」については、この詞のメインテーマである「再チャレンジ」に沿いつつ、恋愛要素もモリモリという、よくばりセットになっています。なので、恋愛要素を入れるか入れないかは、それこそ、自由な解釈をすればいいと思います。



遠い遠い 遥かな場所へ

あくまでも、「遠い遠い」ところに、目指すべき場所がある、というマサムネさんのメッセージです。この詞のタイトルが「遥か」であるのも、目指すべき場所はまだまだ遠い、と実感していたからこそ、表現できたことでしょう。

マサムネさんは、インディーズ時代の挫折に加えて、デビューしてからロビンソンで大ブレークするまでの間も、ずっと悩み続けていました。あがき続けてきました。その実経験に即した感情が、ここに現れているんじゃないかなと、私は思うのです。




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