スピッツ「若葉」は、死別の曲です。~スピッツ歌詞解釈~



こんにちは。八百屋テクテクです。

今回は、スピッツ「若葉」について解釈していこうと思います。

解釈、といっても、いつものスピッツの詞と比べると、比較的わかりやすい、ストレートな詞なんじゃないかなと思うんです。別れの歌ですね。

まあ、「どういう別れなのか」という細かい点についてはある程度自由な解釈の余地はあると思うんですけど、この曲を聴いて「ああこれはフレッシュな出会いの曲だね」という解釈には、ならないと思います。そのぐらい、クッキリとテーマの輪郭の見える曲となっております。


さて問題は、今ほどチラッと述べましたとおり、「どういう種類の別れなのか」という点についてです。

別れには、いろいろありますよね。卒業の別れとか、恋愛での別れ、死別。どれも一様に悲しい別れですが、悲しさの種類が異なりますよね。卒業だったら、その先の希望も一緒になっていますし、なんならまた再会することだってできます。恋愛の場合だって、別れは辛いですけど、別れた時に寄り添ってくれる曲があったとしたら、そりゃあ頼もしいですよね。死別は、他の二つに比べると、もうどうにも気持ちの持って行きようがありませんが、それでも、そういうヘビーな気分になった時に慰めてくれるものがあるとしたら、それは死別用の曲だけになるでしょう。


今回の「若葉」は、死別の曲だと思います。

なぜ、そう思ったのか。それを歌詞を追いながら見ていきましょう。



優しい光に 照らされながら 当たり前のように歩いてた

扉の向こう 目を凝らしても 深い霧で何も見えなかった

ずっと続くんだと 思い込んでいたけど

指のすき間から こぼれていった

スピッツの歌詞で一番重要なのが、出だしのこの部分です。マサムネさんはよく、この部分に重大なヒントを入れ込みます。「この詞は、こう読み取ってくださいね。ヨロシク」と私たちに提示してきます。いや、全部が全部に当てはまるというわけではないと思うんですけど、この詞については、この出だしの部分で、今後の展開を読み取ることができます。

最初は、「当たり前のように歩いてた」と始まります。これはつまり、当たり前じゃないこと起こったんですよ、と言い換えることができます。そして、何が当たり前だと思っていたのかというと、「優しい光に照らされた」ことです。

この、優しい光、というのをさらに深堀すると、これは特定の人物のことを指すんじゃないかなと。というのも、光というのは無機質なものです。太陽の光が優しいと感じる場合もありますが、歌詞は、当たり前のように歩いてた期間ずっと優しかった、となっています。自然の太陽では、これはあり得ないですよね。ギンギラギンにクソ暑い場合もありますし、そもそも光が全く出ていない時だってあります。人工的なライトの光の場合はさらに、優しいという表現から遠ざかってしまうでしょう。ライトの光は、発行体に電圧を流しているだけですから。ランプ職人や、発電所職員の優しさを語る詞だったなら、話は別ですけれども、この詞に関しては違うようです。

ということは、優しい光を放っていた存在というのは、まさに「君」のことなんじゃないかと。

つまり「君」と出会ってから、その事件がくるまでの間、ずっと「君」の優しい光に照らされていたことで、幸福な人生を送ることができていた、ということが、歌詞の一番最初の一文で、読み取ることができるわけです。

さて、2行目で、事件が起こります。その事件とは何かというと、「扉の向こうは、深い霧で何も見えなかった」ということです。

これは、ただの霧ではありません。光がまったく射さなくなってしまったのです。「歩いてた」ことが人生の歩みを比喩したものだったら、扉の向こうというのは、人生のその先ということになります。その扉から先は、優しい光をもたらしてくれた「君」なしで、歩いていかなければならない、ということです。そういう事態に陥ったということです。僕の人生に「君」が再び現れることは、もうない、ということです。

このブログの一番最初に、別れの種類について語りました。卒業の別れ、恋愛の別れ、死別、です。この詞においては、もっとも適切なのはなんだろう、と考えた時、卒業は真っ先に除外されます。歌詞の後半で出てきますが、「君」と別れたのは、若葉の繁る頃で、季節でいうと夏です。さらに予測できない雨が、別れの比喩だとしたら、卒業の別れは予測できますよね。なので、可能性としては薄いです。

残りは、恋愛の別れか、死別かのどちらかなんですけど、これは次でみていきましょう。



思い出せる いろんなこと

花咲き誇る頃に 君の笑顔で晴れた 街の空

涼しい風 鳥の歌声 並んで感じていた

つなぐ糸の細さに 気づかぬままで

「花咲き誇る頃に」は、君とまだ一緒に遊んでいた頃です。優しい光をもっていた君の笑顔は眩しくて、街の空を晴らしてくれるぐらいだったようです。涼しい風も、鳥の歌声も、一緒に感じていた、とても楽しい思い出を、サビで語っています。

でも最後に不穏な言葉が。「つなぐ糸の細さ」に、この時は気づいていなかった、とあります。

これは、のことです。彼女の、あの世とこの世を繋ぐ生命線が、細くなっていた、ということを指します。

このフレーズだけだと、恋愛でいうところの、自分と君を繋ぐ赤い糸が切れそうになっているという見方もできますが、前後の、僕と君との楽し気なやりとりを見ると、そういうふうには解釈できないですよね。僕はウキウキだけど、君はウンザリ、みたいな、そういう関係性ではなかったはずです。

ということはつまり、「君」との死別の曲だ、ということが、ここで明らかになるわけです。



忘れたことも 忘れるほどの 無邪気でにぎやかな時ん中

いつもと違う マジメな君の 「怖い」ってつぶやきが解んなかった

暖めるための 火を絶やさないように

大事な物まで 燃やすところだった

どうも「君」がまだ生きていた頃の思い出というのは、まだ幼い無邪気な頃のようです。こういう真面目な詞の中で「時ん中」とか「解んなかった」とか、くだけた言葉を入れるのは、二人ともまだ幼い子供の頃のやりとりだということを表したいのではないかなと。

いつも笑っていた君が「怖い」と呟いたのは、「君」に死が迫っていたからでしょう。でもその意味を、「僕」はその時は理解できなくて、亡くなった後で「あっ、あの時の言葉は、そういう意味だったのか…」と後悔している場面です。

「暖めるための~燃やすところだった」のくだりですが、これはたぶん、「君」を亡くしてしまったときの、「僕」の自暴自棄を表現しているのかなと。後半で出てくる「バカげた夢」ですが、これは君との約束した夢で、でも君を喪ったことで「もうどうでもいいや。夢を叶えても意味ないし……」となっている部分だと思います。こうやって、自分を慰めるために荒れ荒れになっていたけれど、でも「僕」は、大事な物まで燃やすことはしなかったようで、ギリギリのところで踏みとどまったと。



思い出せる いろんなこと

花咲き誇る頃に 可愛い話ばかり 転がってた

裸足になって かけ出す痛み それさえも心地良く

一人よがりの意味も 知らないフリして

また君との思い出を語っている部分です。二人で可愛い話ばかりしていたのと、裸足でかけだして痛い思いをしたことを思い出しています。どれも、いい思い出のようですね。

「一人よがり」とは、他人のことを考慮せずに、押し通そうとすることです。たぶんここは、2番の「大事な物まで燃やすところだった」にかかっているのかなと。「君」を喪ったことで自暴自棄になって、夢を諦めようとまでしちゃうのは、確かに一人よがりです。だって、この夢は、「君」が望んだことなのですから。「君」のことを思うなら、むしろ「バカげた夢」を追いかけなくてはいけないのです。



思い出せるすみずみまで

若葉の繁る頃に 予測できない雨に とまどってた

泣きたいほど 懐かしいけど ひとまずカギをかけて

少しでも近づくよ バカげた夢に

今君の知らない道を歩き始める

「花咲き誇る頃」は、君が生きていた時の話なら、「若葉の繁る頃」は、君が亡くなった時の話です。

予測できない雨とは、君を喪ったときのことでしょう。それは、僕にとっては、とても急だったことがわかります。

この君の死の場面は、今となっては、泣きたいほど懐かしい、となっています。それだけ月日が流れたんですね。

そして僕は、「君」への想いに、ひとまずカギをかけて、夢に向かって歩き始めています。「君」と約束した、君の知らない道を。



という感じで解釈してみましたが、いかがでしたでしょうか?

この「若葉」が発表された時は、「これは卒業の曲だ」とイメージしていた方も多くいた印象です。花咲き誇る頃に、というのが、卒業ソングっぽいんですよね。あと、「若葉」というタイトルも、若者を象徴しているかのようですし。

なので、せっかく卒業の青春ソングだと思っていらっしゃる方に対して、「これは死別の曲ですよ」と言っちゃうのも、ちょっと強引というか、無神経というか、そんな気がします。

まあ、私の中では「死別の曲」という結論に至っただけで、どう捉えるかは、その人次第です。どの曲でも同じですけれども、見方を変える必要なんてないと思います。今まで通り、自由に解釈していけばいいのですから。

とはいえ、死別として捉えた時の、この完成度の高さは、どうでしょう? すべての語句が綺麗に収まっていて、どれも悲しみを相乗してくれる働きをしています。マサムネさんの詞の構築の仕方は、さすがというほかないですね。



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