こんにちは。八百屋テクテクです。
今回は、スピッツ「死神の岬へ」について解釈していこうと思います。
この曲のタイトルになっている「死神」
とてもインパクトのある言葉ですよね。
おどろおどろしい曲だったなら、こういう強い言葉も当てはまる場面もあるでしょうけれども、この「死神の岬へ」の、軽やかともいえるメロディには、一見そぐわないようにも思えます。
なにより、歌詞を眺めているだけでは、どうして「死神」という言葉を使っているのか、理由がよくわからないのではないのでしょうか。
そんな疑問を抱えたまま約20年。八百屋テクテク店主は、ひとつの仮説にたどり着きました。
題して、「死神の岬は、核実験場となったビキニ環礁説」です。
そういえば、ビキニって、何かわかりますか?
そうですね。女性の水着で、上と下が分かれているタイプの、下着みたいな水着のことです。「ビキニ」で検索すると、水着としてのビキニがヒットします。今ではこの水着の名前として定着したビキニですが、もともとは、ビキニを発明したデザイナーが、ビキニ環礁で行われた核実験に反発するために、あえて実験場の名前を開発した水着に付けた、という話があります。ビキニでは、ショッキングなことが行われているんですよ、というメッセージが、当時としてはショッキングで挑発的な形状の水着に込められているわけです。
太平洋戦争終結後、アメリカ合衆国はさらなる戦争の脅威に備えるため、ビキニ環礁を含めたマーシャル諸島において、原子爆弾の性能をテストする核実験を実行しました。地上もしくは水上で、爆弾を幾度となく爆発させて、その破壊力がどれほどのものかを計測していました。当然、水や島は放射能に汚染されました。ビキニ環礁に住んでいた住民たちは被爆し、移住を余儀なくされたのです。
「死神の岬へ」は、「放射能で汚染されたビキニ環礁の岬に出かけた話」という解釈が、できるんじゃないかなと。
愛と希望に満たされて 誰もかもすごく疲れた
そしてここにいる二人は 穴の底で息だけしていた
古くてタイヤもすりへった 小さな車ででかけた
死神が遊ぶ岬を 目指して日が昇る頃でかけた
「愛と希望に満たされて」は、この時代のアメリカの姿勢のことなんじゃないかなと。当時のアメリカは、「世界中から紛争をなくし、愛と希望に満たされた世界にする」ために、軍事力を強化していました。核実験はその中でも、もっとも中心的なものだったはずです。強い核爆弾があれば、だれもアメリカに対抗できなくなりますし、その強い力で、他国を脅して従わせれば、平和な世界ができあがるわけですから。
でも、従わされるほうは、たまったものではありません。そんなアメリカの姿勢に「誰もかもすごく疲れた」のは、言うまでもないでしょう。誰もかも、は、核実験場にされたビキニ環礁の島民だけではなく、それこそ、世界中の人間が、という意味にしても、通じるところがあります。
さて、この詞の「二人」とは、このビキニ環礁に住む恋人のように思えます。
核実験場になってしまったので、島から移住しよう、という島民もいたでしょうけれども、この二人は島の中で、隠れるように過ごしていました。この島が好きだからそうしているのか、他にいくアテがなくて絶望しているのか、どちらなのかはわかりませんけれども。とにかく、危険地帯となった島に残留した二人だったのです。
この二人は、死神、つまり、放射能汚染が進んだ島の岬を目指して、車で走行しています。なぜか。死ぬためです。汚染された島では、どのみち長くは生きられない。それならば、なるべく苦しまないで早く死ねる方法を選びたかったのかもしれません。
そして、死ぬ前に一度、見てみたいと思っています。「日が昇る」のを。
この歌詞の中の「日」は、太陽のことではありません。水平線の向こうで原爆が爆発した瞬間に見える、閃光と熱波のことです。
二人で積み上げて 二人で壊したら
朝日に溶かされて 蒼白い素顔があらわれた
なんで歌詞中にでてくる「日」が、本物の太陽でないかと判断したかというと、ここの部分で、二人が作業しているからです。二人で積み上げて、二人で壊している。こんな二人がかりでやるような大がかりなことを、灯かりのない真夜中にやるのは無理があると思ったんです。
きっと、これはちゃんと本物の太陽が出ている、昼間のことです。
そして、二人で積み上げたのは、島民の遺体です。また壊したのは、島民に捨てられて廃屋となった建物でしょう。その廃材を壊して火を点け、彼らを弔おうとした、というのが、この場面なのだと思います。歌詞中で、何を積み上げたり、何を壊したりしているのかが明確になっていませんが、この解釈が正解なのだとしたら、明確にしなかったこともまた、正解でしょう。
そして、水平線の向こうに「朝日」という名の核爆発があらわれます。「溶かされて」とは、文字通り、熱波により身体が溶かされたのです。積み上げられた遺体の皮膚が捲れて、蒼白い骸骨があらわれました。当然、それを見ていた二人もまた、無事ではすみませんでした。
ひやかすつもりもないけど にやけた顔で蹴散らした
死神が遊ぶ岬で やせこけた鳥達に会おうか
ここで蹴散らしたのもまた、明言されていません。でも、ヒントはあります。ひやかすつもりもない、ということは、これを蹴散らすということは、ひやかすつもりだと見られる行為だということです。
たぶん、アメリカ政府が島民に対して贈った、移住のための補償費のことだと思います。島民としてそこで生活していたこの二人もまた、それを受け取っていたのでしょう。それを、蹴散らした場面なのだと思います。こんなもので、俺たちを自由にできると思うなよ、と。
この付近の海洋では、汚染により魚は死滅しています。なので、島に現れる渡り鳥たちは、食べ物がなくてやせこけている、というわけです。
そこで二人は見た
風に揺れる稲穂を見た
朽ち果てた廃屋を見た
いくつもの抜け道を見た
歳老いたノラ犬を見た
ガードレールのキズを見た
消えていく街灯を見た
いくつもの抜け道を見た
原子爆弾が爆発した瞬間、二人が見たものたちです。爆風により、なぎ倒される稲穂たち。朽ち果てた廃屋、被爆により歳老いたようにみえるヨロヨロのノラ犬、折れ曲がるガードレール。電柱ごと消えてなくなっていく街灯。
唯一、これだと特定できなかったのが「いくつもの抜け道」です。二人が熱に包まれて死ぬ瞬間、何を見たのでしょう? この世のものではない、天国に登っていくための抜け道のことでしょうか。残酷な世界にいきる二人にとっては、死は、救済だったのかもしれません。最後に、美しい光景(と本人たちは思っている)ものを眺めながら死ねたことで、自分たちの人生に意味があった、と満足感の中で死ねたのかもしれません。
という感じで解釈してみましたが、いかがでしょうか?
スピッツもマサムネさんも、政治的な発言は一切ないので、すごいなぁと思うんですけど、もしかしたら「死神の岬へ」みたいに、自分の想いを歌詞に閉じ込めて封印しているような曲も、他にあるかもしれません。もっとも、この解釈があっていれば、という前提での話なのですが。そもそも見当違いだったら、申し訳ございません。
とはいえ、こういう解釈ができた私にとっては、この「死神の岬へ」は、核兵器の恐ろしさを今一度教えてくれる曲として、心に残り続けることと思います。
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