スピッツ「正夢」は、ひとをダメにする夢だった説。~スピッツ歌詞解釈~



こんにちは。八百屋テクテクです。

今回は、スピッツ「正夢」について解釈していこうと思います。


この曲はシングル曲で、ドラマの主題歌にもなっています。その当時からスピッツを眺めていた人からすれば、「ロビンソン」や「チェリー」「空も飛べるはず」などと同じく、いかにもスピッツらしい、爽やかな曲だという認識でいると思います。

「あ~、正夢で、君と会えたんだね~よかったね~愛は勝つよねそうだよね~」みたいな、穏やかな気持ちで聴く曲なのだと思います。


でも、詞を注意深く眺めてみますと、どうも不穏な感じがします。

本当に、愛は勝つのでしょうか?

「僕」と「君」は、はたして幸せな結末を迎えたのでしょうか?

このあたりを、今回、詳しくみていきたいと思います。



ハネた髪のままとび出した

今朝の夢の残り抱いて

冷たい風 身体に受けて

どんどん商店街を駆け抜けていく

「届くはずない」とか つぶやいても また

予想外の時を探してる

このあたりを素直に読みますと、「今朝の夢」の内容があまりにもリアルだったため、飛び起きて、夢に出てきた場所に向かってみた場面なのだと思います。そして、商店街の先にあるその場所に、夢の内容と同じく、本来はそこにいるはずのない「君」がいる、ことを期待している、というような内容です。

後にでてくる歌詞の内容から判断すると、現時点で「僕」と「君」は、なんの繋がりもない赤の他人となっております。かつては恋人ぐらいに親密な間柄だった時期もありましたが、喧嘩別れしたので、今はもう他人以下ともいえるかもしれません。

そんな「君」に再び会う夢を見たので、飛び起きたわけです。それが「正夢」だと思い込んだ「僕」は、「君」が「予想外」に姿を現すことを期待して、夢中で走っているというわけです。

別れても「君」を忘れられず、夢を見たからという理由で、衝動的に探してしまうこの男。見方によっては、危険人物かもしれません。その夢で見た場所にもし「君」が偶然居合わせでもしたら、「正夢だ! あの夢と同じで、君は実は、僕のことがまだ好きだったんだ!」と、その妄想に勢いをつかせてしまうことになったかもしれません。

そんな、「今朝の夢」で見た、自分にとって都合のいい内容を、「正夢」だと思い込みたがっている、未練たらたら男が、この詞の主人公となっています。



どうか正夢 君と会えたら

何から話そう 笑ってほしい

小さな幸せ つなぎあわせよう

浅いプールで じゃれるような

ずっと まともじゃないって わかってる

「今朝の夢」が、「どうか正夢でありますように」と願っている場面です。その後、当たり障りのない内容が続くのですが、しかしながら、最後に「ずっとまともじゃないってわかってる」で締め括られています。これは一体、どういうことでしょう?

この、当たり障りのない内容である、「君と会えたら何から話そう」とか「笑ってほしい」とか、「小さな幸せ繋ぎ合わせる」こととかが、もはや叶わぬ夢になってしまったということです。君に嫌われてしまい、関係が修復できないようになってしまったということです。そのぐらい、再び会って会話をすることが難しいまでになってしまった、ということです。

それだけに、「小さな幸せ」と感じるような、ほんの些細なことでも、繋ぎ合わせたい、と感じるようになっています。まるで、砂漠で一滴の水を求める旅人のように。

でも「僕」は、「君」に、一滴の水を求めることすら、できないと頭ではわかっています。そして、一滴の水を「君」に求めることが、「まともじゃない」ともわかっています。

でも、今は求めざるを得ないんです。「今朝の夢」が、「正夢」かと思えるぐらい、リアルだったのですから。



八つ当たりで傷つけあって

巻き戻しの方法もなくて

少しも忘れられないまま

なんか無理矢理にフタをしめた

デタラメでいいから ダイヤルまわして

似たような道をはみ出そう

「八つ当たりで~フタをしめた」ここですが、「僕」と「君」がバチバチにやり合ったあと、お互いなんの謝罪もなく別れたことを表しています。でも「僕」のほうは未練たらたらで、無理やり「君」のことを忘れるために、努力していました。が、ついに彼女を忘れることができず、自分の気持ちにフタをすることができませんでした。

その次なんですけど、この「ダイヤル」って、なんのダイヤルのことでしょう? 普通に思い浮かぶのがダイヤル式の黒電話です。ジーコジーコ、ってやつですね。あのダイヤルを回して、君に繋がるまでデタラメにかけ続けよう、ということなのでしょうか?

でも、正夢が発表されたのは2000年に入ってからのことです。もう世の中にはダイヤル式の電話なんて、消滅していました。どの電話もプッシュ式になっていました。なので、ちょっと時代に合わない感じがしますよね。

ここはひとつ、タイムマシンの年数ダイヤル説を推したいと思います。バックトゥーザフューチャーに出てくる、デロリアンに搭載しているやつです。あれは、行きたい年月日にダイヤルを合わせることで、その時代にいけることになっています。「僕」はデロリアンを使って、デタラメに年代を合わせて、どうにかして過去に戻り、「君」とケンカをしないように歴史を改変したい、と願っているということなのではないのでしょうか。

とすると、「僕」と「君」との関係悪化具合は、もはや手の付けられないところまで来ていた、ということができます。君と仲直りするのに、現実的な手法を試すのではなく、タイムマシンの出現を願っているわけですから。



いつか正夢 君と会えたら

打ち明けてみたい 裏側まで

愛は必ず 最後に勝つだろう

そういうことにして 生きてゆける

あの キラキラの方へ登っていく

「打ち明けてみたい裏側まで」とは、何を打ち明けようとしているのでしょう? 不穏だな、と最初に思ったのは、まさしくこの部分です。

「君」と別れた「僕」は、君との再会を求めるあまり、「まともじゃない」ことをしてきました。リアルな夢を見たことに取り乱して、街中を全力疾走したりしました。「浅いプールでじゃれたい」と思っていました。(それも、これは小さな幸せだという認識でいます) タイムマシンで、喧嘩した時代まで戻って、歴史を改変したいと願っています。

これらの欲望を、別れて赤の他人となったはずの「君」が知ったら、どう思うでしょう? 嬉しいと思うでしょうか? しかも、君と再会した瞬間に、「打ち明けてみたい」と言っています。

なんか危なっかしいなぁ、と思わざるをえません。ヨリを戻そうとするなら、もっとスマートに、どうにかならなかったのでしょうか……? 打ち明けてもいいけど、すこし距離が近くなった頃を見計らって、冗談っぽく「いや~君とケンカした時に、タイムマシンで戻りたいと思ってたよ~」とか、細々と打ち明けるのが、無難だと思います。そんな正面から堂々と裏側を打ち明けちゃったりしたら、事故っちゃうと思うんですよね。

「愛は必ず最後に勝つだろう」の部分。このワードだけを取り出してみると、とてもいい言葉に聞こえます。愛は勝つ、とか、愛は地球を救う、とか、とても美しい言葉ですね。

ところが、前後の文脈からこのワードを読み解くと、「僕の、君に対する愛は、最後には君に伝わるに違いない……」というふうに変換できます。「君」がいまだ完全に赤の他人である状態での、この発言。ちょっと狂気を孕んでいるように思えます。

「あのキラキラのほうに登っていく」と明るい未来を描いているのは、「僕」ただ一人だけの、独りよがりなのかもしれません。




という感じで解釈してみましたが、いかがでしたでしょうか?

いやな解釈だと思いましたか?

私は、とても美しい歌詞だと思います。

どんな事例でもそうかもしれませんが、美しいものには、美しくないものが混じっており、美しくないものにも、美しいものが混じっています。たとえば、男女の付き合いにおける、理想的な別れというものを考えてみましょう。お互いうまくいかないと分かった時点で、スパッと後腐れなく別れることができたら、いいなぁと思う人もいるでしょう。「私たち、性格合わないし、別の人を探した方が良いと思うの」「そっか。わかった。じゃあこれで終わりということで」「お疲れさまでした」という会話で恋愛を閉じることができたら、その後の無駄も無理も面倒も生じません。スマートですね。しかしながら、どこか嘘くささを感じてしまいます。このヒトたちは、お互いを愛していなかったんじゃないか、と疑ってしまいます。その疑惑の余地が、このスマートさにはあるわけです。

同じように、別れをめっちゃ引きずっているヒトに対して、他人は、「いい加減、気持ち切り替えなよ」などと、その恋愛を引きずることの無駄さ、無理さを説きます。確かに、相手にはもうその気がないわけですから、こんな恋愛をいつまでも引きずっているのはスマートではありません。でも、恋をしていた時の気持ちだけは、本気だったということがわかります。本気だったからこそ、ダメージから立ち直れないでいるわけですし、情けない茫然自失な状態になってしまいますし、狂ったようになってしまうわけです。


この詞には、「恋愛にしくじったあげく、未練たらたらの妄想をしている、気持ちのわるい男」という側面があります。

しかしながら、その気持ち悪さの奥底にこそ、本当に美しい何かが埋まっているわけです。

今の時代は特に、表面上綺麗なものを求めすぎるあまり、奥底にある綺麗なものに気づけないようになりつつあります。気が付いていても、その表面上の汚らしさに対する批判を避けるあまり、気づかないふりをしてしまいがちです。誰もがいい恋愛をしたいと願い、誰もが気の合わない相手とスマートに別れることを願っています。その裏側で、未練があって、いつまでも悩み続ける気持ちを否定してしまいます。美しくない、と思うからです。残念ながら、その気持ちには正当性もありません。本来は否定されて、当然です。

とはいえ、未練たらたらのすべてを否定することもまた、できないはずです。むしろ、こういう弱い欠陥部分にこそ、美しい人間らしさというものが、現れるのだと思います。文学や音楽が、古来から、人間の弱さをテーマにしてきたのは、こういう部分により美しさがあることを知っていたからです。

この「正夢」にもまた、その弱さと、美しさが、表れていると思います。



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