スピッツ「初恋クレイジー」は、初恋で頭がおかしくなった話だった説。
- 八百屋テクテク
- 2024年12月28日
- 読了時間: 11分

こんにちは。八百屋テクテクです。
今回は、スピッツ「初恋クレイジー」について解釈してみたいと思います。
この曲は、文字通り「初恋クレイジー」つまり、初恋をして頭がおかしくなる様子を現わした曲だと思います。この感覚は、今まさに初恋を経験している人には理解できる感覚であり、初恋を過ぎて歳を重ねた人には理解できなくなった感覚だと思います。このブログを見てくれているアナタは現在何歳なのかは存じ上げませんが、もしアナタが私と同じような歳だったとして、この先の話を理解しようとするなら、初恋の時の感覚をもう一度頑張って呼び戻していただければと思います。中学生、高校生に戻ったつもりで、どうぞ読んでくださいませ。
一方で、現在中学生、高校生の方だったら、この曲のタイトルをみて、こう思うかもしれません。
「頭がおかしくなる話だって? そんなことを曲にするなんで、どうかしてるぜ」
と。頭がおかしくなるほど恋にのめり込むのは、ダメな人だと思っているかもしれません。
恋とはすばらしいものであり、自分を成長してくれるものであり、生き物として健全なものである。と、清く正しく美しく生きているアナタにとっては、そう思うかもしれません。「アナタさえそばにいれば他に何もいらない」という言説を述べている人がいたら、「そんなわけないだろ!」と反論してしまいたくもなるでしょう。それは、まったく正しいことです。理知ある大人なら、愛しい人以外にも、お金とか仕事とか、いろいろ必要になってくることを知っています。恋以外のことを充実させている人に、恋をする資格があるのです。それが現実です。この程度のことは、中学生にもなったら誰でも知っていることでしょう。
でもそれらは、あくまでも現実の話です。目に見える世界での話です。
ここから先は、スピッツの世界です。スピッツの世界を旅するのでしたら、現実的な建前を捨てて、恋という感覚を研ぎ澄ませてみましょう。マサムネさんが詞の中で、自分の気持ちを全てさらけ出してくれているのです。これを受け止めようとするなら、真正面に自分の心臓を置いて全力で激突してみることでしか、受け止められないのです。現実では、世の中を斜めに構えて、自分の気持ちにバリアを張って、他人のバカさ加減を冷笑しているのかもしれませんが、その態度では、この詞はうまく読むことができないのです。かっこいい自分では、ダメなのです。自分に素直になれない人では、ダメなのです。
どうですか? 恋に素直な気持ちになれるでしょうか?
よくわからない? ですって? 大丈夫です。読んでいるうちに、なんとなくわかってきます。たぶん……
詞を順番に眺めていきましょう。
見慣れたはずの街並みも ド派手に映す愚か者
君のせいで大きくなった未来
「愚か者」とは、「僕」のことです。普通の人なら普通に見ているはずのいつもの光景でも、僕の目を通すとド派手に見えてしまっています。普通の人と見えている世界が違うのです。「おー!こんなところに花が咲いているぞ!」と道端の雑草に感動している人がいたら、普通の人なら「そんな雑草どこにでも生えているだろう。珍しくもない。汚いから触るなよ」と思っちゃうでしょう。普通の人と「僕」とは、明らかに見えている世界が違いますよね。
「君のせいで大きくなった未来」の部分ですが、初恋というのは、病気みたいなものです。普通にしていれば「いい高校、いい大学、いい会社に入るのが目標です」というのが人生の正解で、それに向かって機械のようにズンズン進んでいくはずなのでしょうけれども、初恋をした瞬間、ひとは悩むようになるのです。「僕の人生、このままでいいんだろうか?」「あの子が気になって、何も手につかない……」「でも告白なんてできないよ。このままでいいや」という思考が一日中、頭の中を占拠するようになります。この、頭が焼き切れるぐらいに考えて考えて、考え抜いたその先に、芸術とか感性とかが芽生えるのです。目の前の雑草がド派手に映っているのは、このためです。
恋をするまでの「僕」は、機械のように、言われたことだけをこなす毎日でした。学校にいって、授業をきいて、テストをして、高校受験のために知識を詰め込むだけの毎日。だけどある日、恋をしたことで、頭が焼き切れるぐらいに悩みました。そのおかげで、いい学校を目指すだけだった未来が、とてつもなく大きくなったのです。視界が、大きく開けたのです。
夢の世界とうらはらの 苦し紛れ独り言も
忘れられたアイスのように溶けた
ここから先は、自分の頭の中だけにある、自分にとって都合のいい「夢の世界」と、「現実世界」とを交互に行き来していくことになります。
「夢の世界とうらはら」ということは、夢の世界では、僕は彼女に告白していることでしょう。かっこよく、スラスラと。それをきいた彼女は「素敵!」と、僕の腕に絡みついて、満面の笑みを浮かべていることでしょう。あるいは僕の告白に驚いて、感動のあまり泣き出してしまったかもしれません。「私も、ずっと君が好きだった!」だなんて、叫んでいるのかもしれません。
そんな夢の世界を何度も妄想したはずですが、現実では、「苦し紛れ独り言」になってしまっています。彼女に対して、勇気をもって話しかけようとしますが、なんの言葉も思い浮かびません。「き、今日はいい天気だね」だなんて、苦し紛れに言ってみますが、彼女の気を引くどころか、彼女の耳まで届いてさえもいなかったようです。彼女は僕の挨拶に気が付かず、友達のところに行ってしまいます。僕の、彼女に対する言葉は、「忘れられたアイスのように」その場で溶けてなくなってしまいました。
誰彼 すき間を抜けて おかしな秘密の場所へ
君と行くのさ 迷わずに
ここは、僕の頭の中にある、都合のいい夢の世界での出来事です。僕は彼女の手を引いて、他の生徒たちがまばらにいるその隙間を縫って、誰もひとが来ない校舎の裏側まで彼女を連れてくるシーンです。
言葉にできない気持ち ひたすら伝える力
表の意味を超えてやる それだけで
誰もひとが来ない校舎の裏側で、何をするのかといえば、「言葉にできない気持ち ひたすら伝える」のだそうです。つまり、告白ですね。僕は夢の世界で、彼女に告白をしているのです。
言葉にしちゃえば「好きだ」のたった3文字ですけど、この3文字を伝えることがどうしてもできないために、頭の中がこんなにまどろっこしいことになっているのです。これは、クレイジーですね。
「表の意味」とは、現実世界で告白することの意味です。それを超えるということは、「裏の意味」つまり夢の世界で告白することが、現実世界を超えるということになりますが、これはどういうことでしょう?
これは2通り考えられるんですけど、そのうちの1つは、この詞の主人公は、恋をしてはいけない人に、恋をしてしまったのではないのでしょうか。友人の彼女とか、学校の先生とか。それだったら、現実で告白するよりも、夢の世界に留めておくことの意味のほうが勝ります。夢の世界での慕情を、芸術とか音楽とか別のカタチで、現実世界で昇華することができれば、プラスの意味になるのです。
もう1つの考え方としては、「告白が怖いから、このままでいい」ということです。現実世界で告白して失敗したら、夢の世界も壊れてしまうのです。それなら、ずっと夢の甘い世界に浸っているほうがいいのです。いつまでも、いい夢を見ていられます。毎日毎日、彼女に告白して感動してもらえる心地のいい夢を見続けることができるなら、現実の告白なんてしなくてもいいのです。
軽いベーゼで満たされて 遠吠えしてた常日頃
違う四季はあっという間に過ぎて
「ベーゼ」は、キスのことです。もちろん彼女とのキスは、僕の頭の中での出来事です。
でも、頭の中で想像するだけで、「うおーん」と、遠吠えしちゃうぐらいには、頭がおかしくなっているのです。
「違う四季」は、現実の四季と、頭の中で彼女と過ごす四季とでは、時間の流れ方が違うということです。そして、どちらかが早いということだと思うんですけど、たぶん早いのは頭の中の四季のほうです。初恋をするぐらいの年齢だったら、一年はものすごく長く感じているでしょう。でも四季という概念はすでにあるし、クリスマスやらバレンタインデーやらプールやら花火大会やらといったイベントが、その中にあることも知っています。僕は頭の中で、彼女と何度もイベントをこなしたことでしょう。クリスマスには雪が降って「うわ~ホワイトクリスマスだね」と感動している場面を妄想したり、プレゼント交換をどういうシチュエーションで行うかを妄想したり。プールにどう誘おうか頭を悩ませたり。どんな水着なのかを妄想したり……それらの夢を、僕は一瞬で見ることができてしまうのです。
心のプロペラまわす バカげた秘密の場所へ
約束だよね 二人きり
優しくなれない時も 優しくされない時も
隠れた空は青いだろう 今のまま
「心のプロペラ」を回すことで、僕は広い妄想の世界へと飛び立つことができるのです。でも、これは自分の意思で止めたり回したりすることはできません。なぜなら、制御装置が壊れているからです。狂ったように回っています。
このせいで、僕を無理やり「バカげた秘密の場所」に連れて行ってしまうのです。
「約束だよね 二人きり」は、妄想世界の話です。すでにお気づきでしょうけれども、この詞において現実の彼女は、一度たりとも触れ合えていません。彼女が実在しているということがわかるのみで、彼女がどこのだれで、今何をしている人なのかは、まったくわからないのです。すべて僕の妄想の世界の中で、秘密の場所に君と行ったり、ベーゼしたり、約束したりしているのです。これが、初恋クレイジーの詞のすごいところです。
「優しくなれない時も 優しくされない時も」は、現実世界の話ですが、現実では何も起こっていないことが暗示されています。君と僕はあくまでも赤の他人であり、話をしたことすらないかもしれません。なので、優しくされないのは当然の話です。そして、僕が優しくなれないのは、君に対してではなく、あくまで僕自身の問題です。僕が現実の君と、お近づきになりたいけどなれない、というもどかしさを抱えて、イライラしているのです。「優しくなれない時も 優しくされない時も」と並列に描いていますけれど、これはまったく別の現象であるということが、めちゃめちゃ情けなくて、悲しい話なのです。
「隠れた空」は、僕の妄想の世界です。僕の妄想の世界では、いい天気なのです。いい天気だし、彼女も僕の隣でニコニコ笑っているのです。そういう都合のいい世界を、僕は妄想し続けているのです。
泣き虫になる 嘘つきになる 星に願ってる
例えば僕が 戻れないほどに壊れていても
「泣き虫になる 嘘つきになる 星に願ってる」は、初恋をして、めっちゃ頭を悩ませている場面です。初恋さえしなければ、彼女が手に入らないことに泣くこともありませんでした。自分を大きく見せるために、嘘つきになることもなかったのです。星に願うなんて、非現実的で愚かなこともしなかったでしょう。
ここまで解釈してみると「戻れないほどに壊れていても」というのも、うなづけるレベルになってきているのではないのでしょうか。僕の妄想がこれでもか、というぐらい爆発しています。まさに、「初恋クレイジー」のタイトルに負けないぐらいの、壊れっぷりといえるでしょう。
という感じで解釈してみましたが、いかがでしたでしょうか?
「こんな妄想しているのは、おかしい!」と思いましたか? それとも「心当たりはある……」と思いましたか?
マサムネさんがめちゃくちゃ綺麗な言葉で描いてくれてはいますが、初恋というのは病気のようなものです。それが「初恋クレイジー」という、ごまかしのないタイトルに現れているのだと思います。
この病気について「都合が悪い黒歴史だから、隠す」という人もいるでしょう。それはそれで、構わないと思います。自分から見て醜悪なものは、他人から見ても醜悪なものです。なにもわざわざ、他人に晒す必要はございません。何もしらないふりをして、いつもどおり、大人のふりをして生きて行けばいいのです。他人の初恋の失敗を「ばかめ」といって笑っていればよいのです。
でも、この詞の美しさはどうでしょう? こんなに美しい詞を、私は今まで見たことがありません。マサムネさんが手掛けた詞の中でも、かなり綺麗な詞だと思っています。綺麗に見えているのは、綺麗に見えていて欲しいという願望があるからかもしれません。
恋という感情は、基本的には醜いものです。ミスターチルドレンに言わせれば、エゴとエゴなのです。それも初恋となれば、黒くてドロドロしたむき出しの感情と、相手が怖いから逃げたいという臆病な感情が合わさっているという、バグみたいなものです。こんな感情、無い方がなにかと生きやすいのです。
でも恋にハマって、抜け出せなくなって、頭が焼き切れるぐらいに妄想して妄想して、迷走しつづけた過去は、今振り返ると、恥ずかしいけれど、懐かしくもあります。キラキラしていましたよ、と慰められたら、少しは自分の初恋の供養になるかもしれません。
「初恋クレイジー」は、この恥ずかしい思い出を、曲の力で、キラキラしているように見せてくれるのです。
この、「アナタはキラキラしていますよ」というマサムネさんのメッセージに対して、正面から受け止めて「ああ私はキラキラしていたんだな」と思えたなら、この詞はずっと意味のある詞になると思います。逆に素直になれずに「そ、そんな奴はいねーよ!」だなんて斜に構えていたら、この詞はただの滑稽な詞になります。
どう捉えるかは、こころもち次第というわけです。
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