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スピッツ「三日月ロック その3」は、売れなくて焦っているマサムネさんの内面説。

更新日:1月20日



こんにちは。八百屋テクテクです。

今回は、スピッツ「三日月ロック その3」について解釈していこうと思います。

この曲は、アルバム「三日月ロック」の名前を冠しておりますが、アルバム「三日月ロック」には収録されていないという、大変不思議な曲です。もともと収録を予定していたはずだと思うのですが、三日月ロックの発表前に世界的に大きな事件であるアメリカ同時多発テロがあり、アルバム「三日月ロック」は、その事件に大きな影響を受けたそうです。一番最初に収録されている「夜を駆ける」は、モロにテロをテーマにしている曲です。

このことから推察すると、「三日月ロック その3」は、このテロ事件に影響された曲たちで構成したいという思惑があったため、アルバムのテーマとマッチしない「三日月ロック その3」が外されたのかな、と想像しています。アルバム「フェイクファー」から、名曲「スピカ」を外す判断をしたのと、同じ理由です。

このことからさらに想像して、テロ事件がテーマの曲とマッチしないテーマって、いったい何だろう? と考えた時、ブログタイトルにありますとおり、「売れなくて焦っているマサムネさん」というテーマが思い浮かんだのです。もし、この解釈が正解だったら、確かに独りよがりな話になります。三日月ロックの発売時は、もうすでにスピッツはバンバンに売れていますので、こんなに全世界が困っている中、「僕には売れなくて困っていた時期があったんですよ~」なんてテーマの曲を収録しようものなら、何をそんなに過去のことをウジウジいっているんだ、と怒られてしまいそうです。いや、ファンは別に何とも思わないでしょうけれども、作った本人が、もしこのテーマで曲を作ったとするなら、「このアルバムには、入れたくないなぁ…」と考えると思います。

とはいえ、「三日月ロック その3」は、名曲であることには間違いありません。詞には、マサムネさんの苦しい心情が細かく描かれており、それを反芻すると、こっちまで苦しい気持ちになります。そんな曲だと思います。

では、実際に細かく見ていきましょう。




不細工な人生を踏みしめてる

ヒラメキで踊り狂うサルのレベル

「不細工な人生」とは、売れないロックバンドだった頃のスピッツを表しているのだと思います。

自伝では、曲が売れないことについて、「あ~、まあ、どうにかなるでしょう」みたいに、軽く語っていました。いや、私の読み違いかもしれませんが、そこまで深く悩んでいるなんて、あまり見えなかったのです。リーダーとテッチャンは社長に怒られてものすご~く焦っていましたけれども、マサムネさんとタツオさんは周りに才能を認められていたので、普段通り、といった感じに見受けられました。

いや、そもそも、この頃のマサムネさんの心情は、あまり自伝では語られていないような気がします。語りたくなかったのかもしれません。

じゃあ、あの頃のマサムネさんは、自分たちをどう思っていたのか。「不細工な人生を踏みしめてる」とのことです。あるいは「ヒラメキで踊り狂うサルのレベル」だそうです。これは、めっちゃ強烈な自虐ですね。自分たちを、激しい言葉で罵っています

デビュー以来、「プール」「夏の魔物」「君が思い出になる前に」「魔女旅に出る」「青い車」「日なたの窓に憧れて」など、数々の名曲を生み出したスピッツですが、これらは世に出した時点ではまだ売れずに、世間から評価されていませんでした。ので、「サルのレベルだ!」と貶めています。

スピッツファンにとっては、今でも上位にランクインするぐらいの名曲であると思うので、そんな名曲たちに対して、そう言わずにはいられなかった、マサムネさんの心情を察すると、こっちまで辛くなってきます。



抜け出したい気持ちなら 桜が咲くたび現れる

わかってくれるかな? 君なら

「抜け出す」とは、売れない状態から抜け出す、という意味だと思います。「桜が咲くたび現れる」とは、何も成果が出せないまま、一年、また一年と月日が流れていく様子だと思います。スピッツはデビューが91年で、ロビンソンの大ブレークが94年なので、約3年の間、低空飛行を続けていたことになります。

ここの「君」は、ファンのことです。「俺たちの売れたい思いを、わかってくれよぅ」と。藁にもすがる思いでいます。もっとも、今のAKBグループみたいに、ひとりのファンがCDを大量に買ってくれるというわけでもないので、すでにファンになってCDをお買い上げになっている人に頼んでも、しょうがないんですよね。先が見えないこの状況、想像するだけで、とても苦しいですね。



わがままな魂は よそ見ばかり

落ち着いて 嘘ついて なぜかばれて

「わがままな魂」とは、マサムネさんの魂のことです。アルバム「惑星のかけら」では、自分たちが思うがままにやってみたり、かと思えばアルバム「クリスピー」では、トレンドを捉えて売れそうな曲をやってみたりと、軸が固まっていませんでした。「ロビンソン」をリリースする際も、直前までB面である「俺のすべて」がA面だったりしました。このように、「よそ見ばかり」していたわけです。

「これが俺たちの、やりたいことです」と口では言うものの、軸がブレブレだったあたり、自分で自分に嘘をついていたのだと思います。それがお客さんになぜかバレたせいで、自分たちスピッツのコンセプトが伝わらなかった。それが、いまいち売れなかった原因なんじゃないか、と分析している部分なのではないのでしょうか。

とにかく、スピッツを聴きに来てくれたお客さんに、「これが自分たちのやりたいことです」と嘘をついていた、ということです。それがお客さんにバレて、お客さんが白けた、と思っています。



色あせないドキドキは 形だけ変わっていくのだ

次いつ会えるかな

とはいえ、マサムネさんの中の、「音楽をやりたい」というドキドキした情熱は、少しも色あせていないそうです。

ただ、その情熱を表現するのに、ある時は「惑星のかけら」だったり、またある時は「クリスピー」だったりと、形が変わっていったのです。

いや、このあたりの話は、自伝を踏まえた話になりますので、自伝を読んでない人には、ちょっとわかりづらい話かもしれません。アルバム「惑星のかけら」と「クリスピー」は、スピッツからすると全く方針の違うアルバムになっているそうですが、長年ファンをやっている私からしても、どちらも名盤だと思うので、違いがよくわかりません笑 私からすれば、どちらが上とか下とかはなく、どちらも完成度の高いアルバムに仕上がっていると思うのですが、それは私がよい音楽を嗅ぎ分ける能力のない、ポンコツなだけでしょうか? みなさんはどう思いますか?

まあ、それはさておき、「次いつ会えるかな」と、ライブを見に来てくれたファンに語り掛けています。ここにも、売れない時代のスピッツの苦しさが見え隠れしています。

今のライブだったら「またお会いしますよ」と、彼らがファンに対して約束してくれます。「自分たちも元気でバンドやるから、君たちも元気でいて、またライブ見に来てくれよな」という感じです。そう再開を約束してくれます。

この今の感じからすると「次いつ会えるかな」とは、なんとも心もとないではありませんか。「僕たちは会いたいけれど、君たちは来てくれるかなぁ……」と、ファンの心をつかんでいる実感がない様子です。



すぐに暖めて 冷やされて 三日月 夜は続く

泣き止んだ邪悪な心で ただ君を想う

「三日月」は、収録に使用していたスタジオの名前からとっているそうです。「三日月ロック」とは、売れない時代に悩んで悩んできた想いが籠っている、そんなタイトルなのかもしれません。夜な夜な、ああでもない、こうでもないと、アイディアを暖めたり冷やしたりして、悩んでいたのでしょう。いつまでたっても満月になれない三日月状態の自分たちスピッツ。それらを総称したのが「三日月」だったのかなと。

「邪悪な心」とは、売れたい気持ちのことだと思います。本来ですと、音楽は自分の心の内面を歌に乗せて、相手に届けることです。本来なら、そこにはお金なんて介在しません。でも世の中の仕組み的に、CDを売ってお金を徴収することがどうしても必要なのです。自分たちが音楽をやっていくには、どうしてもCDを売って、お金を沢山頂戴しなくてはいけないのです。「CD買って買って買って買って~~!」って泣きじゃくって、涙が枯れて泣き止んでも、なおもファンに「CD買ってくれ~」と願っている状態、なのだと思います。



いいことも やなことも 時が経てば

忘れると言いながらじっと手を見る

「じっと手を見る」とは、石川啄木の有名な句のことだと思います。「働けど 働けど わが暮らし 楽にならざり じっと手を見る」というやつですね。スピッツ流に言うなら、「歌えども歌えども、わがバンド 売れず」という感じでしょうか。悲しいですね。

そりゃあ、売れた後の今になれば、「あの頃は苦しかったけど、いい思い出だよ」だなんて気楽にいえるかもしれませんが、こう表現しているということは、マサムネさんは、マジで焦っていたのだと思います。心の苦しさが、これでもかというぐらい、この詞にでています。なんせ石川啄木を引き合いに出すぐらいですから。



何もない田舎道 人ごみの駅前広場

さびしく歩いてた

ここは、詞のまんまですね。スピッツのボーカルが、人ごみの駅前広場を歩いていても、誰にも気づかれないという状態です。それだけ知名度がない状態なのだということです。人ごみの駅前広場は、当時のマサムネさんにとって、「何もない田舎道」と同じものだったのです。



いつか跳ねたいな 二人して 三日月 夜は続く

待ちわびて シュールな頭で ただ君を想う

「いつか跳ねたいな」とは、ヒットチャートに載りたいな、ということだと思います。そして二人とは、マサムネさんと、ファンのことだと思います。マサムネさんとファンが顔を合わせて、「わーい!!」と跳んで喜びあいたいな、ということだと思います。

「シュール」とは、「現実ではありえないような変わった状況」のことです。ロビンソンでのブレーク前のスピッツからすると、今のめちゃめちゃ売れている状態というのは、まさに「シュール」な頭なのだと思います。




という感じで解釈してみましたが、いかがでしょうか?

「ロビンソンが売れてからもしばらくは、売れている実感がなかった。どこか他人が売れているような感覚で、へぇ~って感じだった」と、自伝でも語っています。もしかするとスピッツにとっては、売れる前がリアルで、売れた後はキツネに化かされているような、フワフワした状態だと認識しているのかもしれません。

少なくとも、この詞が綴られた頃というのは、売れない時の、「なんとかしなくちゃ…!」って焦っている状態が、リアルな感覚として残っていたのではないのでしょうか。

なので、当時の苦しい状態が、こんなにリアルに表現できているのだと思います。




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