スピッツ「ランプ」は、高度経済成長を表した曲だった説。~スピッツ歌詞解釈~



みなさんこんにちは。八百屋テクテクです。

今回は、スピッツ「ランプ」について解釈していきたいと思います。

この曲、歌詞が、どことなく昔チックな感じがしますよね。タイトルにある「ランプ」も、今はLEDの時代ですから、ちょっと時代遅れな感じがします。「耕すような生活」も、現代人のほとんどは土を耕した経験なんてありませんよね。

かと思えば、歌詞の後半では、「ビル谷」という、バリバリの現代社会を象徴するようなワードが出てきます。これはいったい、どんな仕掛けを意図したものなのでしょう?


上記のことを踏まえると、この曲は、日本の高度経済成長を表した曲なんじゃないかなと。

順番に見ていきましょう。



ただ信じてたんだ無邪気に ランプの下で

人は皆もっと自由で いられるものだと

傷つけられず静かに 食べる分だけ

耕すような生活は 指で消えた

ランプがはじめて日本に灯ったのは、鎖国が終って、文明開化が始まった明治です。東京の銀座に最初のランプが灯って以降、日本全国に急速に広まっていきました。当時の人々はこの灯かりを、これからどんどん便利で豊かな世の中になるとの無邪気な希望を持って眺めていたに違いありません。

しかしながら、便利な世の中というのは、生活スタイルの変化をもたらします。当時の人々は皆畑を耕し、自分たちが食べる分だけを栽培していました。でもランプの拡充や道路整備、鉄道の普及に伴い、日本は流通社会となりました。自分で耕さなくても、誰かが耕した畑で採れた米を手に入れることができるようになったのです。なので才覚のある人々は、よりよい生活を求めて、もっと高度な、もっと給料のいい職を求めて、都会へと走ったわけです。

「指で消えた」の部分ですが、これは歴史の教科書をめくっている表現なのかなと。マサムネさんの子供時代にはもう、ランプという表現は古めかしいものになっていたはずです。なんせロケットを月に飛ばしたり、音速で飛ぶ戦闘機が生産された時代ですから。アンティーク家具やキャンプ用品のことを指すなら別ですが、普段使う照明は、ライトとか、蛍光灯、電球とか、そういう言い方になっていたと思います。いや、ランプは光源を表す言葉なので、蛍光灯や電球も一応ランプの範疇なんですけど、どうもアンティークな感じがするので、あまり使われなくなりましたよね。

なので、昔のランプで感動していたり、耕すような生活をしていたりしたのは、いずれも教科書の中の話で、指でページをめくると、もう次の時代の話になり、消えてしまったわけです。



取り残されるのは 望むところなんだけど

それでも立ってる理由が あとひとつ

あなたに会いたいから どれほど 遠くまででも

歩いて行くよ 命が 灯ってる限り

「命が灯ってる」とは、これまた珍しい表現ですよね。普通は使いません。

どんな時に使うのかというと、美しい夜景などを見た時に使います。街の光がいくつも灯っているのを遠くから見て、「ああ、一つ一つに、生活があるんだな。まるで命みたいだな」と感動した時に、「命が灯ってる」という表現をします。「灯っている明かりが、命みたいだな」と思ったときに、この表現がでてくるのです。

この他のシチュエーションで、この表現を使うことって、ほとんどない気がします。命が燃えていたり、輝いていたりする場面って、そこそこあると思うんですけど、煌々と命が灯っていると感じるのって、同じような光がいくつも光っている場面でしか、ないような気がするんです。

つまり、これは灯かりが煌々と光っているものを眺めて、そう思ったということです。

加えて「どれほど遠くまででも歩いて行く」というワードがくっついています。これは、夜中の道路を歩いている表現ですね。都会の高速道路なんかでよく見る、オレンジ色の照明がいくつも連なっている光景。この光景を眺めて、人々が長い歴史の中で歩んできた営みを、命の灯かりに例えたんじゃないのかなと。



街にあふれる歌 誰かを探してる

くだらないって言いながら 同じだなぁ

あなたに会いたいから 捨てれる それ以外は

虹が出そうなビル谷を 見上げているよ

「街にあふれる歌」は「誰かを探してる」曲だったようです。それを「くだらない」と笑っています。まぁ、誰かを探してどこかに行く曲というのは、現代社会にありふれているので、陳腐と言えるでしょう。マサムネさんのような一級の作詞家だけでなく、私たち凡人だって、そう思える感覚は持っていると思います。

でもすぐに、「同じだなぁ」と言っています。この時のマサムネさんもまた、「誰かを探してどこかに行こうとしている」場面だったのでしょう。現代の街の、虹が出そうなビル谷を見上げながら、そう思っています。

さて、この詞最大の疑問が登場です。「捨てれる それ以外は」とは、何を指しているのでしょう?

私が思うに、「それ」とは「命」のことだと思います。

同時に、街にあふれる歌にかかっている部分だと思います。街にあふれる歌は「君さえいれば、命もいらない」的なことを歌っていたのだと思います。なので、「好きな人のためなら、いろんなものを捨てられるけれども、それは捨てられないな」と反発している部分なのだと思います。

そこに、ビル谷が視界に入ってきた。ビル谷もまた、いくつもの命の灯により建造されたものです。この社会は、本当に沢山の命が積み上げて、築き上げてきたことを、歌詞の全般を通して、感じる部分だと思います。



という感じで解釈してみましたが、いかがでしたでしょうか?

この「ランプ」が収録されているアルバム「小さな生き物」は、甚大な被害を出した東日本大震災の後に制作されたアルバムです。「みなと」をはじめ、多くの曲に、この震災の影響があると考えられています。

このランプに関して言うと、「命」というのが、隠れたテーマになっているようです。いや、「命」をテーマとして扱う場合、命を失ったことの悲しみが焦点になりがちですし、そのほうが人々の目に留まりやすいでしょう。それを否定するわけではないでしょうけれども、マサムネさんは、今から命を失うことをテーマにするには、命を扱い過ぎました。過去にすでに、命を失くすことの悲しみを、かなりの曲で表現してきたのです。

今回の震災により、彼の中で変わったことがあるとすれば、「命」の扱い方でしょう。今までたくさんの「命」と「死」を扱ってきたけれど、それははたして、本当に「命」に向き合ったことになっているのだろうか。本当に「死」に向き合っていることになるんだろうか。そんな疑問が生じているように、ハタから見ていると思います。

この「ランプ」は、「命」の意味を見つめなおした、新しい命の歌だと思います。命の意味は、亡くなった時によく語られがちですが、本当は、生きているときのほうが、はるかに意味が重いし、尊い。そう、この曲は訴えているように思うのです。



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