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スピッツ「メモリーズ・カスタム」にみる、創作のリアル



こんにちは。八百屋テクテクです。

今回は、スピッツ「メモリーズ・カスタム」について解釈していこうと思います。

この曲には、原曲のメモリーズと、それをカスタムしたバージョンの、メモリーズ・カスタムがあります。曲については、残念ながらこの八百屋さんには、それを高度に解説する機能が備わっておりませんので、どこをどうカスタムしたのかは、それ専門のところを参照していただきたいと思います。ここではもっぱら、詞をどう解釈できるのかについてのみ、やっていこうと思います。

さて、ブログタイトルにて、創作のリアル、と書いておりますが、これを読んでくれているアナタは、何か過去に創作をしたことがありますでしょうか? 創作をしたことがある方なら、よりこの感覚が理解しやすいと思います。より正確にいうなら、やる気もたいして起きないのに、必要に迫られてイヤイヤながら創作をせざるを得ない状況に陥ったことがある方なら、より理解しやすいと思います。

なにも、創作に限定しなくてもいいかもしれません。お料理とかどうでしょう? お料理もまた創作という側面を持っていますし、「何つくろっかな~!」ってルンルンしながら取り組むこともあると思います。でも毎日それをやらなくちゃいけない、という状況になってくると、途端に負担感がでてくると思います。

マサムネさんもまた、新曲を生み出すのに苦労しているようです。創作にとりかかるたびに、「何作ろっかな~!」ってルンルン気分を維持できていればいいんですけど、私たちが毎日の献立に頭を悩ませているのと同じように、マサムネさんもまた、悩んでいます。

ましてや、スピッツの曲となると、大変です。私たちが手掛ける日々の料理は、たいして美味しくなくても「おらおら、文句言わず黙ってくえ!」と言えば大丈夫ですが、スピッツの楽曲となれば、そうは問屋が卸しません。マサムネさんが新曲を作るのを投げ出して、「ねえねえ、次の新曲ちょっと君の責任で作ってみないかい?」って肩を掴んで迫ってきたらどうしましょう? みんな全力で断ると思います。そんな重大な責任、背負えないですよね。ちゃんといいモノになるように、頭を悩ませて考えて考えて、それでやっとファンを感動させる曲が出来上がるものだと、私たちスピッツファンは知っています。この憂鬱な作業を、マサムネさんは新曲のたびにやってくれているのです。いや、毎回、新曲書きたくて書きたくてしょうがない、というテンションならいいんですけど、それが難しいのは、プロでもアマチュアでも変わらないんですよね。むしろプロほど生みの苦しみが強い、だなんて話は、よく聞きます。

この詞は、上記の創作の大変さ、という目線で眺めてみると、なんとなく理解しやすいんじゃないかなと。

詞を眺めていきましょう。




肝心な時に役にも立たない ヒマつぶしのストーリー

簡単で凄い 効果は絶大 マッチ一本の灯り

不自然なくらいに幼稚で切ない 嘘半分のメモリーズ

ひっぱり出したら いつもカビ臭い 大丈夫かな? メモリーズ

安定できない 解放できない 生真面目な祈り

圧倒されたい 束縛されたい 飾りのないエナジー

1番と2番の歌詞をひとつにまとめました。「ストーリー」「灯り」「メモリーズ」「祈り」「エナジー」とありますが、これは創作に必要な材料たちです。ストーリー、またはメモリーズを参考にして、祈りや灯り、エナジーを動力源にして曲を描いていくのです。

しかしながら、詞を眺めてみると、どうもバランスが悪いようです。

祈りや灯り、エナジーのほうは、十分です。灯りは情熱のことだと解釈しますが、「簡単ですごい効果は絶大」と、自分の曲作りについての情熱は、なにひとつ疑っていないようです。一度火が付けば、ボーボー燃えます、という感じです。また祈りとエナジーについても、「安定できない 解放できない 圧倒されたい 束縛されたい」と、どうも内に籠っていられないぐらいの、爆発しそうなエネルギーを、自分の中に閉じ込めているようなものを感じます。マサムネさんの創作用の熱い血液が、彼の体内でドクドクと脈打っている様子がうかがえます。

ただ、このエネルギーを曲にするための、触媒がどうも貧弱で、うまいこと曲に変換していかないようです。この触媒になるものが、「肝心な時に役にも立たない ヒマつぶしのストーリー」であり、「不自然なくらいに幼稚で切ない 嘘半分のメモリーズ」であり、「ひっぱり出したら いつもカビ臭い 大丈夫かな? メモリーズ」なのです。つまり、自分の頭の中にあるエピソードは、他のアーティストに比べると貧弱だ、と思っています。

いや、マサムネさんも含めて、本当は誰も貧弱だとは思っていないのです。彼が手掛けた詞は、どれも泣きたいほど美しいのは、スピッツファンなら誰もが知っていることろです。このカビ臭いところや、幼稚で切ないところも全部含めて、完璧な構成に仕上がっています。マサムネさんが、この貧弱な部分もあるメモリーズをも愛して、使いこなしてくれていたからでしょう。貧弱そうに見えるけど実は美味しい野菜を、その効果絶大なる情熱の灯りで加熱調理して、立派なお料理に仕上げてくれたのです。

ただ……曲の完成度とは別に、メモリーズが貧弱なことによる、悩みもみえます。この悩みは、最終盤で出てきます。



見えそうなとこでハラハラ あなたのために蝶になって

右手に小銭ジャラジャラ あなたのために蝶になって

気の向くままにフラフラ あなたのために蝶になって

飛んでゆけたなら…

サビは、「あ~面倒くせー!」と、自分でやってるスピッツの緻密な詞づくりに、とうとう嫌気がさした部分じゃないかなと。「新しい季節はなぜか切ない日々で河原の道を自転車で走る君を追いかけた、とか、もうそんな綺麗な詞を毎回毎回作るのはしんどいよー!こちとら良質なメモリーズが足りてないんだよー!」と嘆いているようにも思えます。

なので、「おっ、あの子のスカートの中見えそうやな、ハラハラしちゃうわ~」とか「ええっ、ギャラこんなに貰っちゃっていいんですかぁ?ヤッター!」とか、「あっちに景色の綺麗そうな場所があるよ~?いってみたいなぁ~!」みたいな、メモリーズにあんまり頼らない、日常の感動を抜き出したものを歌詞に当てはめただけのものを作れたら、どんなに楽だろう、と妄想しています。まるで蝶が花粉をまき散らすように、ヒラヒラと自由に音楽活動をしたいと思っています。もういいじゃん、これでよくない? という心境になっています。

とはいえ、それをそのまま出しちゃうことは、心の中にいるストイックなマサムネさんが許してくれません。なので、「飛んでゆけたなら…」となっているのです。それじゃダメだと頭ではわかっているので、新曲のたびにメモリーズをこねくり回す作業に追われるのです。



嵐が過ぎて 知ってしまった 追いかけた物の正体

もう一度 忘れてしまおう ちょっと無理しても

明日を描いて 幾つも描いて

「嵐」とは、「ロビンソン」とか「空も飛べるはず」とか「チェリー」とかの大ヒットで、テレビや雑誌にひっぱりだこになっていた時代のことだと思います。それらが落ち着いたとき、売れるとはどういうことか、を知ってしまった、ということです。

ここでいう「追いかけた物の正体」にはたぶん、マサムネさんにとって純粋ではないと思う部分も含まれていたのではないかと思います。曲がヒットする条件は、広告代理店が気に入るかどうかだ、とか、誰かに媚びを売って売れるよう取り計らってもらうことだ、とか。いや販売戦略だけでなく、曲作りにおけるテクニカルな部分においても、売れる条件というのがクッキリしたのではないかと思います。最高の料理は、最高の素材を、最高の料理人が調理することで完成します。この素材…つまりメモリーズを手に入れることに、アーティストは大変な苦労を重ねています。昔の役者や文学者、芸術家は、芸の肥やしといって不倫行為や借金、薬物を繰り返し、ついに身を持ち崩す人までいました。こんな苦労の中で重ねたメモリーズによって、優れた作品を作り上げているのです。

「あ~、これは無理だ」とマサムネさんは、追いかけた物の正体をはっきり知りましたが、それを追いかけようとは思いませんでした。この路線を走るのは、良質な素材を追い求めるのは、自分には無理だと思ったからです。

なので、忘れることにしました。これまでどおり、自分の中にある貧弱なメモリーズだけで勝負していこう、と思いました。この現実を批判したり嘆いたりしてもどうにもならないと悟ったマサムネさんは、自分の手持ちだけで、わきめもふらずに勝負することを決意したのです。これまでと変わらず、自分の手持ちで明日を幾つも描いていこうと思ったのです。




という感じで解釈してみましたが、いかがでしたでしょうか?

この詞の解釈は、個人的にはマサムネさんの人間らしさがでていて、とても好きです。メンドクサさ、というのが読み取れるからです。

同じように、人間のダメさに向き合った曲というのが、スピッツの曲の中でまあまあ見かけます。そういった人間臭さが、スピッツの魅力なのだと思うのです。




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