
こんにちは。八百屋テクテクです。
今回は、スピッツ「マーメイド」について解釈していきたいと思います。
この曲は、「コスモス」の続編なんじゃないかな、と個人的には解釈しています。曲自体は、マーメイドのほうが、ちょい先にリリースしておりますので、続編から先に手掛けたことにはなっちゃうんですけど、詞の背景的に、どうにもそんな気がしています。というのも、コスモスとの類似点が、結構多いんです。
この詞については、マサムネさんが「妄想です」と語っております。なるほどマーメイドは想像上の生き物であり、彼女と妄想上戯れた話、ということで終わっても、全然面白い詞だと思うんですけど、「コスモス」と関連づけると、より詞の内容を楽しめると思うので、今回は話が繋がっていると仮定して、読み進めてみたいと思います。
あっ、今回の解釈は、私の「コスモス」解釈が前提でお話がすすんでいきますので、まだ「コスモス」解釈を読んでない方は、ぜひ先にコスモスの項目にどうぞ。どうぞどうぞ。
どうもありがとう ミス・マーメイド 甘い日々を
カラカラだった魂に水かけて
不死身のパワーを僕に注ぎ込んだ
はぐれたボートの上
「コスモス」にて、亡くなった彼女の幻影を追いかけて、約束の海まで来ました。でもその時は幻と遭遇できませんでした。それからさまよい続けて、ついに、あの日のままの秋の空のコスモス畑にて、彼女の幻影に遭遇しました。その彼女の幻影はマサムネさんに、喪失していた「浮力」つまり、想像力と、それを現実の歌詞に書き起こす力を、与えてくれたのです。
この、秋の日のコスモス畑にて眺めることのできた彼女の幻影を、他の場所でも見たいと思って、再び約束の海にやってきた、というのが、今回の「マーメイド」の設定なんじゃないかなと思ったのです。マサムネさんも言っている通り、これはまさに「妄想」なのですが、ただ「あんなこといいなできたらいいな」っていう楽しい妄想ではなく、失ったものを取り戻そうとする妄想なんじゃないかなと。「マーメイド」の詞の中に潜んでいる、なにやら影のある背景は、ミス・マーメイドとなるべき彼女は、「永遠のさよなら」をした後の人だから、というのは、どうでしょう?
コスモスにて「砂漠」状態だったマサムネさんの魂でしたが、「カラカラだった魂に水かけて」くれたのは、幻影の彼女です。
コスモスにて「浮力」を手に入れましたが、これはアーティストにとっては「不死身のパワー」で、のちにロビンソンにて「大きな力で空に浮かべる」ぐらいの、すごいパワーを発揮することができるようになるものです。
そんなふうに、マサムネさんは亡くなった彼女に、生前の「甘い日々」の中で、いろんなものを貰っていました。なので約束の海にて再び彼女の幻影をつかまえて、「どうもありがとう」とお礼を言っているのが、この部分なんじゃないかなと思います。
ちなみに、「はぐれたボート」とは、現世からはぐれたボートの上、という意味なんじゃないかなと。彼女がいるのは、この世ではないからです。
優しくなった世界の真ん中で
君の胸に耳あてて聴いた音
生まれた意味を見つけたよひとつだけ
潮風に吹かれて
「優しくなった世界」の前は、彼女を失ったことで砂漠状態だった世界が、マサムネさんにはありました。なのでここは、彼女の幻影と再び遭遇できるようになった後の世界のことでしょう。マサムネさんは、マーメイドになった彼女の胸に耳を当てて、彼女の音を聴いています。それは、この世界の何よりも優しく、何よりも感動的な音だったでしょう。
この音を聴いたことで、「生まれた意味を見つけたよひとつだけ」と、マサムネさんは思いました。この音を音楽として作詞作曲し、日本中、世界中に広め続けることが、スピッツの草野マサムネとしての役割なのです。
サマービーチ・お魚・白い雲
素敵な想い出ずっと忘れないよ いつまでも
「コスモス」の舞台は、秋の空、真昼の月、西風、コスモスでした。彼女と再び邂逅したときの光景がバッチリ脳裏に焼き付いているという表現なのだと思います。「マーメイド」では、この光景のみを、サビにドーンと据えています。コスモスの時と同じように、彼女と邂逅した時の感動が、それほどすごかったということでしょう。
この光景を「ずっと忘れないよ いつまでも」と言っています。彼女の幻影と邂逅できるのは、これが最後かもしれません。なので、この目にしっかり焼き付けておくのです。
どうもありがとう ミス・マーメイド 愛の日々を
短く暑い夏の蜃気楼
すくすく育てばいつかは食べられる
ぼやけたフルーツの夢
「短く暑い夏の蜃気楼」という表現は、せつないですね。ミス・マーメイドは、「蜃気楼」なのです。でも愛の日々をマサムネさんの心の中に残してくれたのだけは、事実です。
「すくすく育てばいつかは食べられる ぼやけたフルーツの夢」は、マサムネさんがこの時感じた、死生観なのかもしれません。フルーツは、何のために大きくなのでしょう? いつかは食べられて、欠けてしまうのに……でも、欠けたことで、次世代の種をこぼすことができます。同じように、マーメイドとして現れた幻影の彼女は、マサムネさんを胸に抱いて、音を託してくれました。
この音と、彼女と過ごした愛の日々の記憶を抱いて、マサムネさんはこれからも音楽を作っていくのです。
という感じで解釈してみましたが、いかがでしたでしょうか?
この詞は「コスモス」と妙に繋がりがあるな~と感じたのが、この解釈のきっかけです。他にもペアになっている曲とか、後日談になっている曲とか、あるかもしれません。こんなに沢山の曲を発表しているのですから、あっても不思議ではありませんよね。
どの曲とどの曲がペアになっているのか、そういう目線で詞を眺めてみるのも、楽しいかもしれません。
スピッツが好きな八百屋さんの記事一覧はこちらからどうぞ↓
コメント