こんにちは。八百屋テクテクです。
今回は、スピッツ「ブービー」について解釈していこうと思います。
この曲は、弱さとか、ダメさを持っている人と付き合うための曲です。
といっても、これだけでは、たぶんよくわからないと思います。なんで、ダメなヤツなんかと付き合わなくちゃいけないんだ、と、高みを目指して日々励んでいるひとは、反発したと思います。
そんなアナタのために、曲の解説に入る前に、前提となっている状況を説明したいんですけど、長くなってもいいですか?
弱さとか、ダメさって、よくないことだとされています。
ほかにも、ダサさとか、低さとか、平均より下にあたるものが該当すると思うんですけれども、こうならないようにするため、ひとは努力して、成長しようとするんですよね。受験戦争を勝ち抜いていい学校に入ったり、誰よりも努力してスポーツや音楽、文化芸術で賞を取ったり、会社で出世したり、いい車や家を買って、タワマンでどの階層に住んでいるかでマウントを取り合ったりしています。
基本的には、努力して上を目指す姿勢は美しいんです。でもこの美しさは、求めれば求めるほど、不正に傾き、ほかのものを排除していく性質があります。身体の細さで美を競う若い女性などは、カロリーコントロールをして健康的な食事をとれているうちは健全ですけれども、必要な食事まで抜くところまで追い詰められるところまでいくと、健全ではなくなってしまいます。ボディビルダーのトップ層は、筋肉量を増やすために内臓に負担のかかる薬物を使用しています。音楽のコンクールで優勝するために、ノドを傷めるまで練習したり、あるいは、ノドを傷めるほど練習を強制するコーチや先輩が蔓延るようになります。売り上げを上げるために高額商品を強引に売りつけるセールスマンや、必要のない契約をさせる保険マンが、トップセールスとしてもてはやされています。業界一位をかたる中古自動車販売会社ですが、最近不正が露見して大問題になっています。人々に道理を説く仏教やキリスト教において、最も敬虔でなければならないトップが我欲にまみれていたことは歴史上ままあります。
どうですか? このくらい並べられると、思い当たるフシが、ひとつやふたつ、出てくるのではないのでしょうか?
努力する姿勢は美しくて、それでその筋のトッププレーヤーになることは美しいですけれども、貪欲に勝利を求めすぎるあまり、不正に手を出してしまうのです。その不正は「勝利のためならしょうがないね」と正当化されます。選手をいじめた監督が美談のように語られたりするのは、そう考える人が多いからです。
「勝つためには不正もやむを得ない…」と頭をよぎった時には、もう引き返せない状況であることが多いでしょう。もっとずっと手前の「このまま追い求めていくと、ひととしての道を踏み外しそうだなぁ」という部分で、立ち止まることができる人はマレです。ひとは、勝てるのにもかかわらず、あえて負ける、という状況に耐えられないのです。心が弱い生き物だからです。
でも、この弱さを認めることができたら…。勝たなくてもいい。部活が、勉強が、仕事が、趣味が、好きというだけでいい。負けていても、気にしなくてもいい。こういう境地に至ることができたら、気楽になれると思いませんか? 体重を無理して減らさなくても、高い車やマンションを買わなくても、不正している同僚に営業成績が勝てなくても。
目の前でコーチにぶっ叩かれ、泣きながら競技をしているヤツらがいるチームが相手だったら、コンクールの入賞を譲ってもいい。そういう境地に至ることができたら、人間としては上質だと思います。心の強さとは何か。優しさとは何か。それは、弱いことに耐えることができる人間こそが、知ることがができるものなのだと思います。
どうですか? なんとなく、いいたいことが見えてきましたか?
これらを踏まえて、スピッツ「ブービー」を見てみましょう。
破れかけた 地図を見てた 宇宙から来た 僕はデブリ
学びたいのに 追いつかなくて だけど楽しい 薄着の心
ここは進学校。僕は、そこに転校してきた生徒。だけど周りのレベルが高くて、ゴミ(デブリ)みたいな扱い。教科書も破れかけた地図みたいに、書いてあることがわからない。そんな教科書とにらめっこする日々。学びたい気持ちはあるけれど、周りには追いつかない。こういうお寒い状況だけれど、だけど楽しいことがあるんだ。
いつもブービー 君が好き 少し前を走る
水しぶき 中休み 高くはねる
いつも僕は最下位の成績。その僕の少し前を、不器用ながら一生懸命に走っているのは、君。そんな君が好きなんだ。だって僕に声をかけてきてくれた子だから。「私たち、成績が一緒だね。だから一緒に頑張ろう」って。
ほかの子とは違って、僕をバカにしなかった。それどころか、優しくしてくれた。
進学校の夏休みは夏期講習で、ほとんど休みはなかったけれど、その間に少しだけあった中休み。そこであの子とプールに行った。夏期講習の中身は何も覚えていないけれど、あの子がプールに飛び込んだ時の水しぶきが、とても高かったことだけは、ずっと覚えているんだ。
暗闇にも 目が慣れるはず 弱さでもいい 優しき心
勉強のできない僕とあの子は、暗闇の中にいるようなものだ。先生からは、こんな成績でどうするんだ、と怒られ、同級生から冷たい目で見られる日々。でも、僕とあの子は、ずっと一緒にいた。暗闇の中にいるのは一人じゃないって思えたし、暗闇にずっといれば、なれるものだ。成績が悪くたっていいじゃないか。成績が悪くても、あの子みたいな、優しい心の持ち主になれるんだから。
いつもブービー 君が好き たまに怒らせる
レモン風味 軽い罪 空に放つ
「君はバカだなぁ。でもそれがいいんだ」と、あの子につい言い過ぎた。バカの部分をからかいすぎて、怒らせてしまった。自分もバカなのに。
あの子と、レモン風味の、甘酸っぱいキスをした。悪いことをしていると、どうしてか思った。キスはお互いはじめてだったからかもしれない。この罪は、でも、空に溶けてなくなっていく気がした。
暗闇にも 目が慣れるはず 弱さでもいい 優しき心
薄着の心 消さないほのほ
学校の中は、相変わらず暗闇の中にいるみたいだ。でも、ムキになって、誰かを追い越していかなくてもいい。私たちのペースでやろうよ、って、優しいあの子が言ってくれたんだ。
学校の中にいると、心は相変わらず寒いけれど、あの子が灯してくれた火は、ずっと消えないでいるよ。
という訳をしてみました。
どうでしょう?この訳だけだと、頭の悪いヤツら同志が、傷をなめあっているだけ、というふうに思われるかもしれません。なので、先に長い長い注釈をしてみました。ひとによっては、蛇足かもしれません。
訳の中ででてくる「あの子」は、成績こそ悪いけれど、負けずに頑張っている、強くて優しい心の持ち主です。そして「僕」が惹かれたのは、まさにその、成績が悪いからこそ際立っている、心の強さ、優しさです。こういう種類の優しさを、偏見なしに語れるのは、音楽や文学の役割と言えるでしょう。先ほども触れたとおり、弱さに耐えられる人間は少ないのです。「ブービー」の奴らをバカにしないでいられるひとは、少ないでしょう。自分より出来の悪い人間と付き合うことを避けて、みんな生きています。出来の悪い人間を見下すことで、安心したいと思うのが、普通の人間なのです。
でも、もし、この詞に出てくるような、弱さに耐えることができている人に出会えたとしたら、それはマサムネさんが考える、強くて優しい心を持っていると言えるでしょう。大事にしなければいけないですね。
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