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スピッツ「ビー玉」にみる、マサムネさんの死生観。



こんにちは。八百屋テクテクです。

今回は、スピッツ「ビー玉」について解釈していきたいと思います。

ところでみなさんは、死んだらどうなると思いますか? 改めてそう聞かれると、答えに詰まる人がほとんどだと思います。無になるかもしれませんし、死後の世界が存在するかもしれません。まさしく、死んでみなくちゃわからないんですよね。

なので、「死んでみなくちゃわからない」というところで、それ以上思考をすることを辞めてしまっているのではないのでしょうか。まあ正直、それ以上考えたところで、別に良いことがあるわけでもないですし、逆に鬱々となってくるかもしれないので、真面目に考えても考えていなくても、どっちでもいいと思います。

でも、アーティストだったら、死後の世界を考えないというわけにはいきません。むしろ独自の死生観を持つことで、作品の幅が広がるのです。どんなものでもいいし、他人の借り物でもいいのです。あるいは、無い、というもの一つの答えです。死生観というものに、ひとつ、あるいは複数の答えを持っておくことが、アーティストとして深みのある作品を仕上げるうえで重要なことだと思うのです。

マサムネさんもまた、「死んだらどうなるんだろう…?」と考えたでしょう。その死生観が、この詞に現れていると、私は思っています。

あっ、死生観という用語を普通に使っていますが、これを説明するのはめっちゃ難しいんですよね。マサムネさんは「死」をテーマにすることは多いのですが、それは「君が死んで悲しい」的なことを表現する曲がほとんどです。これはより正確に言うなら、死の曲ではなく、死別の曲です。生きている人の目線で、死んでしまった人を想う曲なのです。

「ビー玉」は、上記のような死別の曲ではなく、「死んだらどうなるんだ」という疑問に答えた曲だと思うのです。スピッツの楽曲の中でも、これだけストレートに死後の世界を表現した曲は、あまりないと思います。珍しい曲だと思います。

順番に詞を眺めていきましょう。




おまえの最期を見てやる

柔らかい毛布にくるまって

ゆっくり浮かんだら 涙の星になった

「おまえ」とは、マサムネさん自身のことです。「最期」は、死ぬ時です。つまり、自分で自分が死ぬところを、みてやる、と意気込んでいるのです。

ちなみに、この詞では、マサムネさん以外、誰一人として出てきません。死ぬ前は大勢の人に囲まれていたとしても、死ぬときは、ひとりぼっちで死んでいくのです。

ひとり、マサムネさんは、柔らかい毛布にくるまっています。そうやっているうちに、すーっと呼吸が止まり、心臓が止まり、魂が身体から抜けて、ゆっくり浮かび上がっていきます。まあここまでは、難なく解釈できると思います。

次の「涙の星になった」とのことですが、これはいったい、何でしょう? これは形状から察するにビー玉のことだと思いますが、現実世界のビー玉のことでは、もちろんありません。ひとは死ぬと、魂だけになり、やがては硬くて透き通ったビー玉のようなモノになるのだ、というわけです。



どうせパチンとひび割れて

みんな夢のように消え去って

ずっと深い闇が広がっていくんだよ

そしてそのビー玉がどうなるかというと、「どうせパチンとひび割れて」しまうのです。そうなったら、魂も肉体も、自分が今まで取り組んできた仕事とか作品とかも全部、「みんな夢のように消え去って」しまいます。そして、「ずっと深い闇が広がっていくんだよ」とのことです。

言ってしまえば、死後の世界には天国とか地獄とか、そういった特別なものはなく、ただただ崩れて消滅するだけの時間があるだけだ、ということです。



タマシイころがせ

チィパ チィパ チィパチィパ

タマシイころがせ 虹がかかるころに

死生観とは、死がどのようなものであるかを見つめることにより、自分の生を充実させることを指します。

「タマシイころがせ」とは、死んだら自分のビー玉が割れてなくなってしまうから、生きているうちに転がして、他人の魂と触れ合え、と自分自身に向かって言っているのだと思います。

「チィパ チィパ チィパチィパ」は、ビー玉がぶつかって、はじき合っている音です。昔やったビー玉遊びのように、こうして多くの魂に触れていくのです。他人の魂がどんな色なのかを知り、自分の魂を相手にぶつけたとき、どんな反応をしてくれるのか。それができるのは、肉体が生きている間だけなのです。これは、積極的に遊ばないと、もったいないですよね。



俺は狂っていたのかな

空色のナイフを手にもって

真赤な血の海をとび越えて来たんだよ

ここです。どうしてマサムネさんは、いきなり「他人と触れ合おう」というタイプの死生観に目覚めたのでしょう?

それは今まで「空色のナイフを手にもって真赤な血の海をとび越えて来た」という生き方をしていたからです。芥川龍之介の「蜘蛛の糸」の主人公カンダタみたいに、自分だけが天国に行こうとして、空から垂れた蜘蛛の糸に群がる他人を蹴落としてきたのです。

でもその行為を「俺は狂っていたのかな」と、反省しています。この世とは、そういうものではないことに気が付いたのです。自分一人が天国にいって、蹴落とした残りの大勢が地獄で苦しむなんてのは、社会の仕組みとしては間違っているのです。

とはいえ、この間違った組みを信じて、自分一人だけが天国にいこうとする人間は大勢います。マサムネさんも、かつてはそのひとりでした。

なので今は、自分の中のタマシイが壊れて無くなる寸前まで、タマシイを転がして、他人のタマシイとぶつかり合い、交流していこうとしているのです。




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