スピッツ「ヒバリのこころ」は、メンバーの輪廻転生の曲だった説。~スピッツ歌詞解釈~



こんにちは。八百屋テクテクです。

今回は、スピッツのデビュー曲「ヒバリのこころ」について解釈していきたいと思います。

この曲はデビュー曲ということもあり、大変知名度が高い曲なのですが、歌詞の内容は大変難解で、どこに感情を入れて歌えばいいのか、困っている方も多いのではないのでしょうか?

デビュー曲といえば、それこそ、その後のバンドの未来を左右する、大事な大事な曲です。たとえば、20年以上前に「このまま君だけを奪い去りたい」でデビューしたDEENですが、結局この曲が一番よく売れた曲となり、また一番よく知られた曲となりました。2020年の現在でも、ライブの際には必ず演奏する曲となっています。DEENと同じように、デビュー曲にはそのバンドを象徴するような曲をバーンと打ち出すことで、その後順調な滑り出しを図るのが、セオリーでしょう。DEENのように、デビュー曲が一番周知されている、なんてグループは、結構多いのではないのでしょうか。

その、DEENの「このまま君だけを奪い去りたい」は、解釈の余地がないぐらい、単純明快な歌詞となっております。ようは「このまま君だけを奪い去りたい」と思っている曲です。うーん、わかりやすいですね。

一方で、スピッツの「ヒバリのこころ」はどうでしょう? どこに重心を置いていいか、困る曲となっています。

解釈の難しさが、売上や知名度に比例するなんてことは全くないと思うんですけど、制作側のことを考えると、すごい冒険心だったなと思わざるを得ないです。曲というのは、何かの想いを表現するためのツールである一面があると思います。DEENの例でいうなら、「このまま君だけを奪い去りたい」という気持ちになった時に、そのせつなさを代弁してくれる曲です。誰か意中のひとの顔を思い浮かべながら、歌う人もいるでしょう。こういう気持ちを抱えた人にほど、「このまま君だけを奪い去りたい」はよく聴かれ、またよく歌われてきたのだと思います。それを踏まえると、「ヒバリのこころ」は、この需要を完全に無視しています。そりゃあ「ヒバリのこころ」とやらを持った人には響くかもしれませんが、「ヒバリのこころ」を持っていない人に聴かせるには、難易度が高いと言わざるを得ません。

と、つらつらと考えていくと、これはオーディエンスの気持ちに寄り添うよう設計された曲ではないな、ということに気が付きます。

そんな曲をデビュー曲にする、この製作陣の冒険心。もしかすると、ロックがもてはやされたこの時代には、そんな曲なんてゴマンとあったのかもしれませんが、とにかく、この曲をデビュー曲としたという決定には、「俺たちは、自分たちの好きな曲を作っていくんだ」というスピッツの意思をヒシヒシと感じます。


以上のことから判断すると、ヒバリのこころは「君を愛している」とか「ありがとうさようなら」とか、そういう誰かに対するメッセージが込められた曲ではないということです。

じゃあ、何を表現した曲なのか。

あまり自信はないんですけど、これは「転生の曲」です。前世はヒバリだった自分が、その心を持ったまま、草野マサムネに生まれ変わり、スピッツとして今ここにいる、という曲です。

詳しく見ていきましょう。



僕が君に出会ったのは

冬も終わりのことだった

降り積もった角砂糖が溶けだしてた

白い光に酔ったまま

レンゲ畑に立っていた

目をつぶるだけで遠くへ行けたらいいのに

降り積もった角砂糖ですが、これは雪のことかなと。冬の終わりを象徴している部分ですが、同時に、雪と角砂糖の区別がついていないことを表現しているのかもしれません。つまり、マサムネさんが、まだ人間になりたてホヤホヤの状態だということです。

「レンゲ畑に立っていた」の部分ですが、どうしてレンゲである必要があったのでしょう? 他に綺麗な花など沢山あります。ましてや、レンゲ畑とは、通常はレンコン栽培の畑であり、つまり泥池です。眺めたりするだけならまだしも、立ったり座ったりするには不向きなのです。なのに、あえて、レンゲ畑という言葉を使っています。

これは単なる「綺麗なお花畑に立っていた」という意味以上のものがあると思いました。

レンゲは、仏教的な意味があります。泥水の中から生じて、清浄な美しい花を咲かせるので、輪廻転生の意味もあります。仏像は、レンゲの花の上に立ったり座ったりしていますよね。この仏像と同じように、この場面は、マサムネさんが輪廻転生して、レンゲの上に立っていた、という解釈にしました。「白い光」は、これもまた仏像にあるように、転生の際に背中に射した、後光のことかなと。

このように、マサムネさんは、何者かから転生して、今、ひとりの人間として、ここにいる、ということです。



僕らこれから強く生きていこう

行く手を阻む壁がいくつあっても

両手でしっかり君を抱きしめたい

涙がこぼれそうさ

ヒバリのこころ

「僕ら」は、のちほど解説しますが、スピッツのメンバーのことだと思います。「行く手を阻む壁がいくつあっても」このメンバーでやっていく、という、強い決意を示しています。

そして、ここの「君」は、オーディエンスのことです。スピッツのボーカルとして、オーディエンスの心を、両手でしっかり掴みたい、と願っています。

「ヒバリ」は、マサムネさんの前世です。なぜヒバリなのかというと、ヒバリは鳴き声が非常に美しいんですよね。まるで歌を歌っているかのような、美しい声を響かせます。その美しさから、昔からよく俳句などに挿入されてきました。まさに、歌うために生まれてきた鳥なのです。

その「ヒバリのこころ」を持って生まれてきたマサムネさん。メジャーデビューしてオーディエンスの前に立ち、その声の美しさを聴かせることができたので、目的を達成したことに感動して「涙がこぼれそうさ」と言っています。



いろんなことがあったけど

みんなもとに戻っていく

ここにいれば大丈夫だと信じてた

水槽の熱帯魚から離れられなくなっていた

僕が僕でいられないような気がしてたのに

ここなんですけど、「もとに戻った」とは、かつてヒバリだった頃に仲良しだった動物たちが、転生後、再びバンドメンバーとして集まった、ということを指しているんじゃないかなと。「ヒバリのこころ」を忘れずに、ずっと歌い続けていれば、輪廻を越えてメンバーが再び集まってくる、ということを「ここにいれば大丈夫だと信じてた」と表現しています。

「水槽の熱帯魚」は、一番最初に現世で出会った田村明浩のことじゃないかなと。鳥類のヒバリにとっては、小さな熱帯魚はエサですが、最初に出会った時から、なにか運命を感じて「ちょっとまって、こいつは友達になれそうだし、食べちゃいけないんじゃないか……」という予感があったんじゃないでしょうか。なので、ヒバリがヒバリでいられなくなって、離れられなくなった、ということなんじゃないかと。

また、田村明浩は大のクイーンファンです。クイーンといえば、アルバム「オペラ座の夜」のパッケージに象徴されるように、メンバーを別の動物として描いています。それぞれメンバーの誕生日の星座に由来しており、カニはメイ、2匹のライオンはロジャーとジョン、乙女の妖精がフレディ・マーキュリーです。このアイディアはフレディのものだそうですが、マサムネさんもまた、フレディに倣い、メンバーを別の動物に喩えたのかもしれません。もっとも、クイーンは星座という共通点があるのですが、なぜ田村明浩が熱帯魚なのかは、よくわかりません。もしかすると、田村のことを喩えたものじゃないかもしれません。すみません。



遠くでないてる

僕らには聞こえる

魔力の香りがする緑色のうた声

顔中いっぱい僕に微笑んでよ

風に飛ばされるまで気まぐれな蝶

「魔力の香りがする緑のうた声」ですが、これはを思わせます。なんせ翼もないのに空を蛇行でき、火まで吹くのですから、龍は魔力を持っているといってもいいでしょう。鱗は緑色ですし。そして龍といえば、メンバーに龍の名前がついた人がいますよね。そうです﨑山龍男さんです。とすると、「気まぐれな蝶」に該当するのは、三輪テツヤさんということになります。テツヤさんは、昔から今までずーっと、蝶の羽みたいに派手な格好をしていますよね。



という感じで解釈してみましたが、いかがでしょうか?

このブログの最初では「デビュー曲としては冒険しすぎなんじゃないか」との意見を述べましたが、こうした意味を踏まえますと、スピッツとしてしっかりとしたメッセージが篭っている曲として解釈することができますし、デビュー曲とするにも、十分説得力のある内容になっていると思います。し、メンバーひとりひとりに対するが伝わってきて、好きです笑 あくまでも、この解釈が正しければ、の話ですけれども。


とはいえ、デビュー曲にするぐらいですから、相当な意味が込められていてもおかしくはないですよね。デビュー曲でこれだけの意味を曲に閉じ込めることができるだけの技量が、マサムネさんにはあったわけです。その才能に気が付いていた製作陣もスゴイですし、後々の世にあれだけ自分たちの曲を知らしめた、スピッツもすごいですし、スピッツのすごさを、感覚的であれ、理論的であれ、知っているファンのみなさんも、本当にすごいです。




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