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スピッツ「ハネモノ」は、魔女の宅急便説。




こんにちは。八百屋テクテクです。

今回は、スピッツ「ハネモノ」について解釈していきたいと思います。

この「ハネモノ」というタイトルですが、「羽のような生き物」という意味の、マサムネさんの造語だそうです。かつ、「人々の不安を少しでも和らげることができる音楽を作ろう」というのが、この曲を作ったきっかけだそうです。

なるほどなるほど。正直、詞をざっと読んだだけでは、何について描かれたことなのか、よくわからないと思います。なので、この詞の補助線になるような背景がないかどうか、ちょっと考えてみました。そして、どうにか当てはまりそうなものを、この八百屋さんが探してきましたので、ご紹介したいと思います。

それは、「魔女の宅急便」です。


「魔女の宅急便」は、ご存じでしょうか?

ジブリ映画になったお話で、13歳の見習い魔女キキの、成長物語です。

まあ、テレビの再放送とかでよくやっているので、知らない人は少ないんじゃないかと思いますけれど、どうでしょう? 「ハネモノ」=「魔女の宅急便」説、ピンときそうですか? あんまりピンとこない? そうですか…

しょうがないですね。これから頑張って、こじつけていきたいと思います。


まず、「ハネモノ」というタイトルについて。

「羽のような生き物」とのことですが、「魔女の宅急便」にて、キキが空を飛ぶシーンを見てみてください。まだ未熟なので、フラフラ飛んでいますよね。先輩魔女とかは、まっすぐヒューンと滑空できるんですけど、キキは右に寄るのにも左に寄るのにも、いちいち高度がガクッと落ちて、それからヨイショッ、と上がる、みたいな飛び方をしています。まるで風に吹き飛ばされた羽毛のような、頼りなさです。

また、「ハネモノ」とは、野菜や果物にとっては、規格外品、という意味合いもあります。形がイビツだったりして、正品としては売れない野菜、果物を、箱詰めの際にはねて横に置いておくから、ハネモノなんです。どうでしょう? 主人公キキが魔女修行のため親元を離れて街で暮らしてみたけれど、黒猫のジジとは意思疎通できなくなってしまうなど、魔女としての能力は開花どころか逆に下がってしまいました。キキは魔女としては、ハネモノなのです


また、マサムネさんはこの頃、つじあやのさんと交流を持っています。つじあやのさんといえば、この頃のジブリの最新作「猫の恩返し」にて、主題歌「風になる」を担当し、一躍話題になりました。また、つじあやのさんはスピッツの「猫になりたい」をカバーしています。こうした交流が重なる中で、マサムネさんも「何か、つじあやのさんにまつわることをテーマにした曲が作れないだろうか…? つじあやのさんといえばジブリだね。じゃあジブリで、面白い内容のものがないか、探してみよう」という流れがあっても、いいじゃないですか。


というわけで、「ハネモノ」=「魔女の宅急便」説。どこまでこじつけられるか、詞を順番に眺めていきましょう。




さよなら幻 踊りだす指先 宿題残したまま

素晴らしい風向き カモミールフレイバーの星 涙をふいたなら

この冒頭の部分は、キキの旅立ちを表しているんじゃないかなと。大好きな親元を離れて、街に行くシーンです。

冒頭の「さよなら幻」は、さよなら魔女キキ、と両親がキキを送り出していることなのかなと。魔女は幻の存在なので、そう言い換えたのかもしれません。「踊り出す指先」は、新たな未来にワクワクしている様子。そして「宿題残したまま」は、魔女としての知識や能力が半端な状態を表しているようです。

カモミールフレイバーの星ですが、これはキキの実家のことなんじゃないかなと。キキの母親もまた魔女ですが、薬を調合するのに必要な大釜の中には、カモミール……では残念ながらないようですけれど、形状の花が大量に飾られています。沢山の花で彩られたキキの実家は、もしかしたらカモミールのような、優しい香りが漂っていたのかもしれません。そんな雰囲気があります。

「涙をふいたなら」は、キキと、キキを愛情たっぷりに育てた両親の感情を想わずにはいられません。13歳のキキは別れ際に、お父さんに「昔みたいに、高い高いして」とおねだりします。自分で飛べるのにも関わらず。でもお父さんは何も言わず、高い高いをしてくれます。無邪気に喜ぶキキ。別れが寂しいに決まっていますね。



絡みついた糸を断ち切って

膜の外に連れ出してやろう

キキが、街に向かって飛ぶシーンです。「絡みついた糸」は、私たち人間を地面に縛りつける重力のことかもしれません。魔女は浮遊することにより、重力の糸を断ち切ることができます。もしくは、キキの両親の愛情のことを指しているのかもしれません。キキもまた甘えたいお年頃ですし、両親もまた幼いキキを手元に置いておきたい気持ちがあったでしょう。そのお互いの未練が糸になって、キキに絡みついているのです。未練が、キキの旅立ちを阻止しています。

キキはホウキに魔力を込めます。魔女は自力では空を飛べません。ホウキが空を飛ぶのです。空飛ぶホウキにしがみつくことで、魔女は空を飛べるのです。キキに絡みついた糸を断ち切ってくれたのは、この空飛ぶホウキです。両親の愛情という固い膜の中から、空飛ぶホウキが、無理やりキキを外に連れ出していく形になるのです。

いざ、キキの物語のはじまりです。



ささやいて ときめいて

街を渡る 羽のような

思い通りの生き物に変わる

ここは、キキが街の空を飛んでいるシーンが思い浮かびます。街の人にとっては魔女は珍しく、飛行するキキを物珍しそうな目で眺めます。「思い通りの生き物」つまりキキにとっては立派な魔女になるために、頑張っているシーンなのです。



心地良い耳鳴り 文字化けの中にも 輝く運命を知る

無理矢理晴れた日 始まった物語 僕らはここにいる

「心地良い耳鳴り」とは、キキが街でひとりで生活する中で直面することになる、大人になるための成長痛のことなんじゃないかなと。おばあさんに頼まれて、雨風に打たれながら、どうにかこうにか、ニシンのパイを届けにいったけれど、「私これキライなのよね」と、受取人にがっかりするようなことを言われるキキ。そしてそのせいで、風邪をひいてしまうキキ。そんなキキの体調を心配して、下宿先のオーナーがお粥を作ってくれるけれど、枕元に置いていくだけで、両親のようにフーフーして食べさせてくれない。その状況をキキは小さいからだで丸ごと受け止めて、耐えているのです。大人になるために。

「文字化け」とは、機械のバグを表す言葉です。魔女の宅急便の登場人物トンボは、飛行機クラブに所属するメカ好きの少年ですが、彼は空を飛ぶことに憧れていたのです。科学を駆使して空を飛ぼうとするトンボにとって、魔法の力で空を飛ぶキキは、まさに文字化けという存在でしょう。

「無理矢理晴れた日 始まった物語 僕らはここにいる」は、最終版のシーンを彷彿とさせます。失いつつあった魔女の力を振り絞って、トンボを命がけで救ったキキが、群衆に囲まれてインタビューをされるシーンです。



巡る季節 追いかけてく

転びながら それでもいい調子

「めぐる季節」は、魔女の宅急便の挿入歌です。

また、「転びながら それでもいい調子」は、まさに魔女の宅急便のキャッチフレーズ「おちこんだりもしたけれど、私はげんきです。」を表しているようです。

もちろん、そういう設定抜きにしても、魔女の宅急便はキキと一緒に月日を過ごす物語なので、ここの表現がぴったり当てはまります。



近づいて 抱き上げて

ノドを鳴らす 子猫のような

望み通りの生き物に変わる

ここは、意思疎通がとれなくなってしまった相棒の黒猫ジジを、キキが抱き抱える場面じゃないかなと。あんなに賢かったジジが、まるで子猫のようになってしまった。キキの魔力が薄れてしまったために、そうなってしまったのです。

でも、ジブリの裏設定では、この現象は「成長のあかし」となっているようです。なぜなら、そもそも魔女の宅急便は、魔女としての修行の日々を描いたものではなく、少女キキが、普通の大人になる成長を描いた話だからです。魔法が使えなくなった苦しみ、悲しみを、どうやってキキが乗り越え、成長していくかに焦点を当てた話だからだそうです。魔法が使えなくなってからが、キキの人間としての成長の本番なのです。

なるほど、そこまで読み取れば、魔法が使えなくなったキキだけれど、「望み通りの生き物に変わる」ということができたのかもしれません。トンボといい感じに仲良くなれましたし。




という感じで解釈してみましたが、いかがでしたでしょうか?

魔女の宅急便のエンディング曲は、荒井由実「やさしさに包まれたなら」です。一方で「ハネモノ」制作もまた、アメリカ同時多発テロ勃発後の殺伐とした社会の中で、人々の不安を少しでも和らげることができる音楽を作ろう、としたのがきっかけだそうです。マサムネさんのこの方向性の先にある答えが、「やさしさに包まれたなら」だと思うのです。そして、「やさしさに包まれたなら」を表現した世界が、魔女の宅急便なのです。

これらを繋げると、「ハネモノ」=「魔女の宅急便」説、なかなかいい感じじゃないかなと思うのです。



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