スピッツ「テイタム・オニール」は、恋愛の駆け引きを野球に例えた曲だった説。~スピッツ歌詞解釈~




こんにちは。八百屋テクテクです。

今回は、スピッツ「テイタム・オニール」について解釈していこうと思います。

といっても、解釈の余地があるのか、どうか。というのも、マサムネさんはすでに、何かのインタビューにて、この曲について解説を行っているからです。作者によって、「これは、こういう曲なんですよ」というのが、すでに明らかになっている曲なのです。

それは、「恋愛の駆け引きを、野球に例えている曲」だというのです。


は? どういうこと?

と、野球経験のない人からすると、よくわからない話だと思います。いや、たとえ野球経験のある人でも、歌詞を眺めて「ああこれは恋愛を野球に絡めた曲ですね」とすぐに理解できる人は、少ないと思います。


ということで、マサムネさんの難しい表現を、わかりやすくかみ砕いてみて、どうにかこの曲を「恋愛を野球にたとえた曲」というふうに見れるようにしてみよう、というのが、今回のブログのテーマとなります。

もちろん、私の解釈の変換が間違っているかもしれませんが、なにとぞ広い心でご容赦いただきまして、お付き合いいただきますよう、お願い申し上げます。



まず、恋愛の駆け引きとは、何のために行うものなのでしょう? 恋愛の駆け引きとは、どのような時に起こることなのでしょう? 

「自分に対する恋愛感情を利用して、相手から金銭をせしめたり、都合のいいように利用したりする行為」を、恋愛の駆け引きだと思っていませんか? それはサスペンスドラマの見過ぎってものです。それも恋愛の駆け引きと表現されたりもしますけれども、この詞の場合は違うでしょう。

ここで表現されている恋愛の駆け引きとは、「相手が自分のことをどれくらい好きかを探る」ことと「自分のことを好きになってもらうために、それとなく仕掛ける」ことを目的としたものです。「好きです!付き合ってください!」と告白したとしても「いやぁ、君のことあんまりわかんないし、付き合えないですわ」とフラれないようにするために、安全性を高めてやる必要があるわけですね。ここで、駆け引きをどれだけマメにやるかによって、結果が変わってくるんです。

恋愛に不慣れな人ほど、この駆け引きを使わず、当たって砕けろ式な告白をして、当たって砕けてしまいがちです。恋愛上手な人は、駆け引きに時間をかけて、ちゃんとする。これは、あくどいことでも何でもなく、ちゃんと節度をもって行うことで、人間関係をスムーズに保つことができる、人間力が試される部分なのだと思います。


とはいえ、やはり野球に例えているように、恋愛の駆け引きは、勝負事としての側面もあることもまた、確かです。

この詞では、女の子をピッチャーに例えています。曲のタイトルになっている女優テイタム・オニールは、アメリカの野球ドラマ「がんばれ!ベアーズ」にて、ピッチャーの少女を演じています。対戦相手チームの少年たちは、バッターボックスに立ち、彼女に戦いを挑んでいきました。

この詞の主人公もまた、同じように、意中の彼女が立つマウンドの、バッターボックスに立って、恋愛の勝負を挑みたいと思っています。でも、勝負を挑むということは、勝たなければいけません。が、勝つ自信がありません。彼女の投げる球が強すぎて、今の自分の実力では、とうてい打ち返せる見込みがないと思っています。なので、バッターボックスにすら立てない、と気持ちで負けているところから、この詞が始まっています。



感情持って行くんだ もう絶対邪魔させない

汗が噴き出す どうなってんだ? この心

孤独という言葉に怯えてる 

小鳥が逃げる 黒い雲も立ち込める

名もない変化球 意地でも打ち返そう

「余り」としての誇りをこの胸に

「もう絶対邪魔させない」とは、これまで、何に邪魔をされていたのでしょう? 上記の前提があるとしたら、もう明らかですよね。そうです自分の理性です。「彼女と自分が、つりあう訳がない……彼女からみると、自分は何の魅力もないし、付き合うメリットもないよなぁ……」という、理性です。この理性の部分が強すぎて、臆病になっているのです。

でも、そういう後ろ向きな理性は捨てて「感情」を持って行くことにしたそうです。この彼女に対する強い感情がないと、いつまでたっても彼女のバッターボックスに立てないからです。立ちたいから立つのです。

「汗が噴き出す どうなってんだ?」とか言いますけど、そんなの当然ですよね。打てるはずのない球を打とうとしているんですから。それも、どんな変化球がくるかもわからないし、チャンスは一回のみ。彼女にしてみれば、関係の薄い男子に対して、優しく何回もリトライさせる理由もないでしょうからね。

でも挑む男子にしてみれば、このチャレンジは過酷そのもの。意地でも打ち返す以外に方法はなく、もし打ち返せなければ、自分は終わってしまう。汗が噴き出さないほうがおかしいです。分の悪い勝負なので、黒い雲だって立ち込めます。

「余り」とは、ここでは恋人のいない状態のことを指します。曲が発表された当時からみると、年頃の女子に恋人がいないことは「身が固くてしっかりしている」と見られる傾向がまだありました。その一方で、年頃の男子に恋人がいないことは「恋人のひとりも作れないダサいヤツ」と見られることも多かったのです。この詞の男子もまた、恋人のいない「ダサいヤツ」としての僻みを、理性の上では感じていたようです。でも、そんな「余り」の状況を、誇らしいと思うようにしています。だって、「余り」であることが、彼女に挑むためのバッターボックスに立つ条件なのですから。



強気な鐘が 旅立ちの時

今でも君は 僕の憧れ

まだ間に合う

強気な鐘は、投げたボールをバットで打ち返した音だと思います。この音を聞くために、「僕」はイメトレをずっとしてきたわけです。この音を聞くことができれば、僕は、恋人のいない自分にサヨナラができるというわけです。

でも「まだ間に合う」という言葉で、詞を締めくくっています。実は僕は、この時点では、まだバッターボックスに立っておりません。つまり、彼女との恋愛の駆け引きすら、始めていなかったというわけです。恋愛の駆け引きをしようかどうしようか迷っていて、ヨーシまだ彼女は恋人もいなさそうだし、これからやるぞ~、という意気込んでいる部分で、一番は終わります。



LOVELY LOVELY MY HONEY 眩しそうなその瞳

爽やかぶっても どうせお見通しだろう

汚れてた手で 高みによじ登り

ここから、やっとバッターボックスに立った場面になります。普段はその関係の薄さから、横顔くらいしか眺めることができなかった彼女ですが、バッターボックスに立ったことで、正面から真っすぐ見据えることになりました。もうこの時点で「LOVELY LOVELY MY HONEY」と、目がハート型になってしまっています。相手の気に完全に飲まれてしまっています。バッターとして勝負していくうえで、非常に悪い流れにあります。

こちらもなんとか、「爽やかぶって」みても、どうせお見通し、です。完全に相手に分があります。

ここはもう、「爽やかさ」とか、そういう小手先だけの技に頼るのをやめて、「汚れた手で」泥臭く、やっていくしかない、という心情になっています。



臆病な声で 始まりを叫ぶ

懲りずに君は 僕の憧れ

まだ間にあう

「臆病な声で」プレイボール、を叫びます。彼女との、恋の駆け引きがはじまりました。その直後に「懲りずに」ということは、もうすでに2ストライクぐらい、あっさりとられてしまっている場面だと思います。それでも「まだ間に合う」と続いています。最後まであきらめなず、彼女の投げるボールを追い続けていくつもりでいます。




という感じで解釈してみました。

「恋愛」を題材にした曲というのは多いですけれども、その場面というのは結構固まっていますよね。たいてい、自分が一方的に好意を寄せている状態で、その悶々とする気持ちを歌っているか、お互いが恋人同士になってスキスキと言い合っている場面か、別れて未練タラタラの場面かの、どれかでしょう。わかります。場面をわかりやすくしないと、聴いている人に伝わらない恐れがある、というのが、その理由のひとつだと思うんです。

マサムネさんは、伝わらないことを恐れず、こういう、細やかな場面を描き続けてきました。なので、「恋愛がテーマです」とひとくちに言っても、それを表現している場面があまりにも多種多様で、非常に解釈が難しく、また非常に楽しいです。

もっと解釈が流行って、いろんな解釈があれば、もっと楽しくなると思うのですが、それは難しいでしょうか。今後のスピッツ研究に期待が膨らみますね。



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