スピッツ「サンシャイン」は死別の曲説。~スピッツ歌詞解釈~




こんにちは。八百屋テクテクです。

今回は、スピッツ「サンシャイン」について解釈していきたいと思います。

サンシャインという言葉から想像されるものって、ポジティブなイメージだと思います。たとえばDEENには「SUNSHINE ON SUMMER TIME」という曲がありますが、「これは夏だ、青春しようぜ!」という内容になっています。他にもサンシャインで検索すると、ビルの名前とか、ゲームの名前とかに使用されています。明るくて、まぶしくて、元気になれる。そんな響きが、サンシャインという言葉にはあります。

さて、スピッツの「サンシャイン」はどうでしょうか? 同じように、ポジティブな意味として解釈しても、いい感じでしょうか? どうも、そんな感じがしない人も多いと思います。このブログのタイトルのように、なんとなくを連想してしまった人も、いるのではないのでしょうか。そうでなくても、どこか幻想的で、冷たいイメージを持つのではないのでしょうか。


同じ言葉でも、表現の仕方によっては、まったく逆の意味になります。

それを可能にしたのは、マサムネさんの並外れた表現力のおかげでしょう。

このブログでは、なぜこの詞が、死別の曲なのかを、順番に見ていきながら解釈していきたいと思います。



困らせたのは 君のこと

なぜかまぶしく思えてさ

すりガラスの窓を 開けた時に

よみがえる埃の粒たちを 動かずに見ていたい

最初から、「君」が困っている場面が出てきます。どうして、困っているのでしょう? そして、困らせたのは、「僕」のようです。詞の後半の様子まで眺めてみると、これは今「僕」のほうが死にそうになっている様子を表しているようです。そう考えると「君」は、困っているというわけではないとは思いますが、特別な相手である「僕」からすると、「困らせた」と考えているのでしょう。君と一緒に生きていけず、申し訳ない、と。

「すりガラスの窓を開けた時に~」の部分ですけど、これは、動かずに見ていることしかできない状態であることを表しています。「僕」が、寝たきりになっているというわけです。これが健常な身体だったなら、こういう表現が詞に入りにくいのかなと。

どういうことかというと、埃の粒というのは、火葬後、誰かの身体だったはずの細胞が灰になって、空気を漂っているということを意識している部分だからです。自分の身体もまた、この埃たちのように灰になって漂い、太陽光線をキラキラと反射させることになるでしょう。もうじき死ぬ、ということの暗示なので、この部分が詞に必要だったわけです。

逆に、健常者であるならば、埃の粒は、埃の粒以上の広がりを持たないものになります。それはそれで美しい表現ではあるのですが、やはり前半部分の「困らせたのは君のこと」との繋がりを持たせるという意味でも、「これから死別するんだな」という状況を想像するのが、より自然かと思います。



サンシャイン 白い道はどこまでも続くよ

サンシャイン 寒い都会に降りても

変わらず夏の花のままでいて

サンシャインは、日光とか、ひなた、と訳します。でも、この後に「白い道はどこまでも続くよ」と続いているので、これは日光というより、チンダル現象のことを指しているのではないかなと。チンダル現象とは、太陽が雲に隠れているとき、雲の切れ間から光が漏れて、光線がスーッとまっすぐに地上まで伸びている様のことです。これは大気の水分量が多い時に見られる現象ですが、埃やチリなど、何かの物質が空気中に漂っている際にもみることができます。ちょうど、すりガラスの窓を開けた時に、埃がまいあがっていた時などにも。

もし、自分が死んで、灰になったとしたら、太陽光線でできた光の道の上を、行くことになるでしょう。そして空気を漂い、やがては寒い都会に再び降りてくることになるでしょう。

でも、君には、「変わらず夏の花のままでいて」と願っています。夏の花は、特定の花というより、「夏の花のように、明るく笑っていてほしい」ということなのかなと。自分が亡くなって、冷えたように感じる世界でも、夏のように笑っていて欲しい。このメッセージは、残される人間にとっては、とてもつらい言葉だと思います。



こげた臭いに包まれた

大きなバスで君は行く

許された季節が終わる前に

散らばる思い出を はじめから残らず組み立てたい

「臭い」とは、主にくさい場合に使われる表現です。いいにおいの場合は、「匂い」を使います。パンの焦げたようないいにおいの場合は、匂いを使うでしょうけれど、ここでの臭いは、人間にとって不快な臭いであることが伺えます。たとえば、火葬された人間の臭い、とか。

大きなバスに君が乗っている表現ですが、これは火葬場にいく時のバスかもしれません。葬儀に参列した人のうち、近親者や、特に親交のあった人は、このバスに乗って火葬場に行き、最後のお別れをします。

「許された季節」とは、自分に残された命の時間のことでしょう。それが終わる前に、しっかり君との思い出を、残さず整頓しておきたい、と思っています。



サンシャイン 白い道はどこまでも続くよ

サンシャイン めぐる風によろけても

変わらず夏の花のままでいて

ここも、君に対する願いとなっています。季節が巡っても、いつまでも夏の花のように、元気で明るくいてね、というメッセージになっています。



という感じで解釈してみましたが、いかがでしたでしょうか?

この詞は、というより、どの詞もそうですが、意味がたとえわからなかったとしても、あるいは、別の解釈をしていたとしても、その詞の美しさに浸ることができます。それだけ、スピッツの詞には美しさがあります。

この美しさに、「死」という方向性が加わることで、より美しくなったりもします。死というのは、いけないことかもしれませんが、美しい側面をもっているからなんですよね。

この時期のマサムネさんが作る詞には、「死」に対する憧れのような想いが込められているのを観察することができるものもありますので、それらを覗いてみることで、「死の世界」に浸ってみるのもまた、楽しみ方のひとつなのかなと思います。

蛇足ではありますが、死ばかりが美しいものではなく、美しい生も描いています。よって、私たちは長生きすればするほど、彼の美しい世界を観察することができます。これは生きているもののみが享受できる、特典でしょう。

死を観察しても、死に囚われることのないよう。一緒に彼の「死の世界」を楽しんでいきましょう。




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