スピッツ「インディゴ地平線」は、美少女戦士セーラームーンがモチーフだった説。~スピッツ歌詞解釈~



こんにちは。八百屋テクテクです。

今回は、スピッツ「インディゴ地平線」について解釈していきたいと思います。

この曲は、「渚」や「チェリー」など、スピッツを象徴するような重要な曲が入った、アルバムのタイトルとしても採用されています。それだけ思い入れのあるタイトルなのだということが伺えますね。このアルバムの中を覗いてみると、星や太陽、虹、地平線など、やや大きなものをモチーフにした曲が揃っています。その中でも地平線は、もっとも恰好がいいい、かつバランスのとれた対象物だったのでしょう。


さて、この「インディゴ地平線」ですが、なにを題材にして描かれた曲なのでしょう?

歌詞を眺めてみると、どうも地平線の広がる荒野で、夜明け前の、インディゴ色の空を眺めているシーンだと思われます。地獄のような喧騒の都会を抜け出して、誰もいない静かな荒野でたたずむ二人。そんな美しい光景が浮かんできます。


でも、それだけでは説明のつかない部分もまた、あります。

「骨だけの翼」とは、何を表しているのでしょう?

「病んだ地獄の街」とは、普段暮らしている都会での日常を表現するにしてはかなりおどろおどろしいのですが、これには何か意味があるのでしょうか?

「凍り付きそうでも 泡にされようとも」とは、何か死にかけているようでうが、大丈夫なのでしょうか?

なにより、「希望のクズ」とは、これまた尋常ではないものを感じますが、地平線が見える場所を旅行しているだけの詞に、なぜこのような表現が必要だったのでしょう?


これらを考えていると、どうも、ただ見晴らしのいい場所を旅行しているだけでは、なさそうな気がしませんか?



というわけで、今回は、「インディゴ地平線」の歌詞にピッタリなシチュエーションを、探してみたいなと。

ひとつ、思い当たるものがあります。

それは、「美少女戦士セーラームーン」です。



すみません今回は、こじつけとなります。真面目な解釈ではありません。

いや普段は真面目かと言われると、回答に苦しむところではありますが、今回はいつにも増して、苦しいです笑

苦しいですが、とりあえず、やってみましょう。


「美少女戦士セーラームーン」は、みなさんご存知でしょうか? かなり前の作品なので、今では知らない人も多いんじゃないかなと思いますけど、昔は知らない人なんていないほど、大変有名な作品だったのです。

主人公である女の子、月野うさぎは、ある日特別な力を与えられて、セーラームーンに変身して、悪しき者どもを倒す使命を負うことになります。物語が進むにつれて、彼女は、前世は月国の王女として君臨していたことが明らかになります。そして、セーラームーンが戦闘でピンチになった時、どこからともなく現れて救いの手を差し伸べてきたタキシード仮面に扮する謎の青年、地場衛がいたのですが、彼の前世は地球国の王子でした。彼ら二人は「月と地球の人間は通じてはならない」という当時の掟をやぶり、禁断の恋をしていた者同士だったわけです。

そして、前世では、月と地球の大戦争により、月国が滅んでおり、同時に地球国の王子であった地場衛は、月国の王女である月野うさぎをかばって死んでいます。

この大戦争の際に、月国が滅んだ際に現れたのが、セーラーサターンでした。

彼女は、セーラームーンの同僚として、目の前の敵と1対1でチマチマ戦う他のセーラー戦士たちとは格が違う、「破滅の神」という圧倒的な存在でした。

セーラーサターンの使命は、星が逃れ得ぬ終焉の運命を迎えた時、今ある世界を破滅に導き、滅びと死を消し去って新たな世界の礎となること、だそうで。彼女は、有無を言わさず、武器である沈黙の鎌を振り下ろしました。その瞬間、月国は跡形もなく消滅してしまいました。


この、破滅の神であるセーラーサターンが、再び、現世の月野うさぎと地場衛の目の前に現れました。それも、地球にです。

その頃、地球は、悪しき敵に侵略されていました。この、悪しき敵との攻防戦において、月野うさぎ扮するセーラームーンは猛攻を受け、地場衛の腕の中で絶命しています。さらに他の仲間もまた敵に魂を奪われ戦闘不能になっており、頼れるものが何もないという絶望的な状況の中、この破滅の神が現れたのです。

そして、セーラーサターンは、地球の滅びゆく運命を悟り、再びあの、沈黙の鎌を振り下ろしました。

「あっ、もうダメだ」と、一人だけ生き残っていた地場衛は、思ったに違いありません。


この、美しき破壊神セーラーサターンによる、すべてを沈黙へと帰す瞬間を、この曲のモチーフにしたんじゃないかと思ったんです。



君と地平線まで 遠い記憶の場所へ

溜め息の後の インディゴ・ブルーの果て

「遠い記憶の場所」というのは、前世のことなんじゃないかなと。美少女戦士セーラームーンの話に繋げるなら、月の民であった月野うさぎと、地球の民であった地場衛が死んだのが、この地平線の先なんじゃないかなと。その場所に、もとい、そのシチュエーションに、再び、月野うさぎと地場衛の二人が向かっている、ということになります。

たどり着いた先にいたのが、すべてを無にするセーラーサターンです。セーラーサターンのパーソナルカラーは、濃い青寄りの紫色ですが、これとインディゴ色がよく似ています。もしかするとインディゴ・ブルーは、夜明け前の空の色ではなく、セーラーサターンを指しているんじゃないかなと、想像しちゃいます。



つまづくふりして そっと背中に触れた

切ない心を 噛んで飲み込むにがみ

ここは、普通だと「触れたくても触れられない君の背中だけど、つまづくふりして、そっと触れちゃおう」と画策する、こずるくて切ない部分ですが、この場面をセーラームーンを当てはめると、「君」である月野うさぎは、この時にはもう絶命しています。彼女の遺骸を抱いて、背中に触れている場面となります。恋人を喪っておりますので、そりゃあ、苦いなんてもんじゃないでしょう。その痛みにまみれた心を、ぐっと飲み込めるんでしょうか?



逆風に向かい 手を広げて

壊れてみよう 僕達は 希望のクズだから

「壊れてみよう」とは、普通ならうまく飲み込めない表現です。精神的に壊れてみよう、ということなのかなと思ったときもありましたが、それもイマイチ通じない部分です。

ここは、セーラーサターンの沈黙の鎌による、逆風という名の滅亡を、受け入れてみようとする諦めの気持ち、を当てはめてみては、どうでしょう? 前世、そして現世では、二人一緒にセーラーサターンに滅ぼされてしまいますが、でも、サターンが破壊と再生の神であるならば、来世もまた二人一緒になれるではありませんか。「希望のクズ」の部分も、二人の前世からの因果を想像すると、この表現にも納得できるのではないのでしょうか。



歪みを消された 病んだ地獄の街を

切れそうなロープで やっと逃げ出す夜明け

地球は、悪しき者たちに侵略されて、取り返しのつかないところまで来てしまっていました。これを「病んだ地獄の街」と表現しているわけです。

では、「歪みを消された」とはなんでしょう? 地獄の街がそのまま存在しているなら、歪みばかりの、と表現されるはずでしょう。つまり、歪みを消された、ということは、地獄の街はもうすでに歪みごと消滅してしまった、ということになります。ここでもまた、圧倒的な力を持つ破壊神の存在が見え隠れしています。

この、街の消滅の巻き添えからギリギリ抜け出したことを指しているのかなと。地獄の街は、二人の死に場所ではなかった、ということです。



寂しく長い道をそれて

時を止めよう 骨だけの翼 眠らせて

再びセーラーサターンの話になります。地球にて沈黙の鎌を振り下ろしたことで、悪に支配された黒いビル街の崩壊がはじまったんですけど、ここで奇跡が起きます。時をつかさどる戦士であるセーラープルートが現れて、次元の扉を開きました。セーラーサターンはその意を汲んで、悪に侵された部分のみを消滅させた後、悪の親玉ごと、開門した扉の奥へと飛び込んでいきました。消滅が起きる瞬間に扉を閉めることで、悪の親玉と、セーラーサターンの封印に成功したのです。

文字通り、破壊され消滅を待つだけの時が止まったわけです。その後、なんやかんやでセーラームーンは復活しました。前世から続いた、二人揃って消滅という因果から、逃れることができたわけです。セーラームーンは天使のような羽を持っていましたが、この背中に生えた羽を、骨だけにする未来を、眠らせることに成功したわけです。



凍りつきそうでも 泡にされようとも

君に見せたいのさ あのブルー

少し苦しいのは 少し苦しいのは

なぜか嬉しいのは あのブルー

インディゴ・ブルーが現れる時、つまり、セーラーサターンが現れる時は、破滅の時です。地上のすべてのものが凍結し、水泡に帰したりします。

でもその存在は、なんともいえない美しさを纏っています。セーラーサターンが出現した当時の、あの驚きは、今でもセーラームーンを知る人の心の中には、残り続けていることでしょう。

この存在を前にした人間は、どういう思いに駆られるのでしょう? 美しい死神が、自分たちの世界まるごと滅ぼすために、目の前に現れるのです。どんなにあがいてもダメなことが決定して、ついに滅びゆく運命を受け入れた時、それは少し苦しくて、なぜか嬉しい、だなんて感情になっても、おかしくはないでしょう。



という感じで解釈してみましたが、いかがでしたでしょうか?

この解釈は完全にこじつけで、「いやぁそれは無茶だよ」と言われれば、そうですよね、としか言いようがないです。

ただ、私はセーラームーンの場面を、この曲に当てはめて解釈してみましたが、似たような、何か圧倒的な存在に遭遇した場面というのが、この曲を解釈するのに適切なんじゃないかなと感じるわけです。

「ソドムとゴモラ」の話とか、「ノアの箱舟」の話とか、神話あたりも知っている限りで一通り眺めてみたんですけど、まさかのセーラームーンがもっとも近いなと、自分の中では思ったわけです。

いろいろ探してみたので、このブログを書き上げるのに相当時間がかかっちゃいましたけれども、とはいえ、それでも多分、解釈としては、まだガバガバだろうなと。

いやぁ、インディゴ地平線は、奥深いですね!



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