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スピッツ「つぐみ」にみる、愛とは何か。



こんにちは。八百屋テクテクです。

今回は、スピッツ「つぐみ」に表現されている、「愛してる」とはいったいどういうことなのかについて、見ていきたいと思います。

「愛」というのは、言葉の意味としては、そんなに難しいものではありません。子供でもわかることです。親子愛、兄弟愛、隣人愛、異性愛、どれも、人と人とがいつくしみ合う心を表しています。

問題は、その愛を、どうやって行うか、についてです。これが、よくわからない人が多いように思います。

たとえば、結婚相談所のトレンドとして、男性は高身長、高学歴、高年収が求められることが多いようです。女性は、外見と年齢が求められています。若くて美人がモテる、というわけです。さて、この三高の男性と、若い容姿端麗な女性がマッチしたとして、うまく愛し合うことができるでしょうか? 「僕たちはトレンド上位の、選ばれた者同士だから、うまく愛し合えるはずだ」と、なるでしょうか?

実は、その条件だけでは、足りないんですよね。もっと深く理解しておかなくちゃいけないのが、「ひとを愛するとは、どういうことか」ということです。お互いに「愛」の在り方が共通していて、はじめて心を通わすことができます。いや、親の子に対する無償の愛のように、一方通行でも成り立つ愛の形もあったりしますが、それは極めて特殊な例です。これを赤の他人との恋愛に当てはめて考えると、必ず失敗するでしょう。「俺はあいつを愛してないけど、あいつは俺に尽くしてくれるから、便利なやつとして利用してやろう」という考えでは、いずれその関係は破綻します。

しかしながら、ちまたでは、「愛」という言葉が溢れているため、かえって深く考える機会がないのではないのでしょうか。「ああ、はいはい愛ね。愛を伝えることは大事よね、わかってまーす」っていう認識でいる人がほとんどでしょう。パートナーに対して「好きだよ」って口先三寸で言えば、なんとでもなると思っているのではないのでしょうか。

こういう認識でいるので、いざ結婚の際、「家事は分担ね」とか、生活に関する決め事を二人で行おうとした時、お互いを信頼し合えない事態になるのです。平等に役割を決めたつもりでも「あいつばっかり楽しやがって」なんて、片方もしくは両方が不満を募らせる事態に陥ってしまうのです。大切なパートナーであったはずなのに、互いが互いを傷つけあう不倶戴天の敵になってしまうのです。

愛するとは、パートナーを理解して、気持ちを汲んであげて、こっちの気持も相手に理解してもらう、という、この繰り返しになります。この話し合いを繰り返すことで、互いに対する理解と信頼を深めていくのが、愛するという行為のひとつになります。一人でやるものではありません。二人でやるものです。相手に対する信頼と、根気のいる作業です。

だからこそ、信頼のできる人しか愛せないし、愛せない人は信頼できない、ということになります。

どうですか。先ほどの例でいうと、高身長、高学歴、高年収と、信頼がおける人であるかどうかは、なんの関係もないということがわかりますよね。若くて容姿端麗な人が、信頼できる人かというと、これもまた関係のない話です。

愛の最先端であるはずの、結婚相談所にいる人たちですら、このことをちゃんと理解できていない、ということが、トレンドでわかると思います。

そのぐらい、愛って、言葉では知っていても、ちゃんと理解をするのが難しいものなのだと思います。

なるほど、そんな抽象的なことを言われても、よくわからない、という顔をしていますね?

ではでは、スピッツ「つぐみ」の詞を眺めながら、愛とは何か、について、見ていきたいと思います。

きっと、愛についての理解が深くなると思います。この詞は、そういう詞だと、私は思うのです。



「愛してる」それだけじゃ 足りないけど 言わなくちゃ

嬉しいとか 寂しいとか 君に生かされてる

だから 思い切り 手を伸ばす 手がふれる

海原を渡っていく 鳥のような心がここに在る

つぐみは、渡り鳥です。夏はロシアなど寒い地域で過ごして、寒くなると日本にやってきます。福井県が県の鳥として指定しているとおり、日本海側でよく見られる鳥です。

愛もまた、渡り鳥のような側面を持っています。渡り鳥は、ロシアから日本に来るまでの間、長い長い距離を飛行しなくてはいけません。足元は日本海になりますので、羽を休める場所がないのです。方向を決めて、覚悟を決めて、まっすぐに飛んで来なくてはいけないのです。飛ぶ方向が定まらず、日本に来ようかどうしようか、と悩んでいるうちは、絶対にたどり着けません。日本が安全に休める場所だと信頼しているから、つぐみは、海原を渡って、飛んでくるのです。

同じように、愛は、自分の心を相手に預ける行為です。「この人だったら、安心できる」と思って飛び込んでいくのが愛であり、逆に「この人のことを、責任をもって受け止めよう」と覚悟を決めるのが、愛です。愛するということは、渡り鳥になることであり、また大陸になってあげることでもあるのです。

私の妻は沖縄生まれ沖縄育ちで、ずーっと沖縄在住でした。私と出会うまでは、「自分はこのまま沖縄の人と結婚して、沖縄でずっと暮らしていくんだろう」と信じて疑いませんでした。なにより、沖縄の海や気候、人々が好きだったからです。ところが私と出会って結婚を決めて、バーンと福井にやってきました。妻の心境としては、海原を震えながら渡っていく鳥のような気持ちだったでしょう。私という大陸の気持が変わってしまったら、もう足場を失って自分も海の底に沈んでしまいます。怖くて渡れないのが、普通だと思います。ましてや、妻は石橋を叩きまくるほど慎重な性格です。遠い、どこにあるのかも当時あんまり知らなかった福井県に住んでいる私を信頼して全部預けるのは、他人から見ても自分から見ても、危なっかしいと思ったでしょう。

でも、妻は福井にやって来ました。沖縄という、住み慣れた土地を離れて、見ず知らずの福井までやってきたのです。私の心のみを信頼して。



歩き出せない暗い夜に 前触れなくぶつかった

きっと運命とか 超えるほど ありえない 確率で

見つけ合えたよ

世界には70億もの人がいますが、「心の底から信頼できる相手」というのは、なかなか見つけるのって難しいんですよね。その中でたった一人でも見つけられた人は幸福です。そのぐらい、確率が低いと、この詞は言いたいのだと思います。

探すのすら難しいのです。世の中と言うのは、こと信頼できる相手を探そうと思って見回してみると、歩き出せないほどの暗い夜であることがわかってしまうのです。そう簡単には、発見できないようになっています。暗中模索して、見つけ出さなければいけないのです。

妻にとって私は、70億人の中から選ばれた、たったひとりということです。運命の相手、というと、陳腐な言い回しになってしまうかもしれませんね。この詞でも、運命を越えるほど、と表現しています。運命よりも、もっと大事なものだよ、と言いたいのかなと。私自身について考えてみると、妻を運命の相手とは思わないです。そう紹介しようものなら、胡散臭い感じがしてしまいますから。でも、70億人から選ばれた、たったひとりの存在だということだけは、事実です。



「愛してる」それだけじゃ 足りないけど 言わなくちゃ

優しくて 憎らしくて それのために僕はここに在る

「愛してる」という心のありようは、優しいというプラスの感情はもちろん、憎らしいというマイナスの感情をも抱擁します。信頼できない相手の憎しみは受け止めきれないですけれども、信頼し合っている間柄の憎らしいは、愛嬌になります。「しょうがねえなぁ」という気持ちになります。逆に、少しの失敗も許せないとしたら、相手に対する信頼や愛情がない証拠になります。

プラスやマイナスの感情を受け止めてくれる相手に、自分の心を差し出しています。「僕はここに在る」つまり、自分の心は、愛する相手の胸の中に在る、と言っています。



隠しきれない トゲトゲで お互いに傷つけて

そんな毎日も なぜだろう ふり返れば いとおしくて

ここにいたいよ

マサムネさんは、この部分の「ここにいたいよ」について、最近になって「まぶたがあついよ」に歌詞を変えたそうです。いわく、「ここに在る」と並べると違和感があるのだそうです。

このブログの解釈としては、「ここに在る」のここは、愛する相手の心の中を指しています。一方で「ここにいたいよ」は、愛する相手の近くを指すのだと思います。このブログの解釈が正しいとするなら、ここの意味が違ってしまいます。

同じ歌詞中に使われている代名詞でも、指す対象が違うのは混乱しますよね。なので、違う詞に差し替えた、とすると、しっくりくるんじゃないでしょうか。



違う色重なって新しい光が

寒い星を照らしている

「愛してる」この命 明日には 尽きるかも

言わなくちゃ 言わなくちゃ できるだけまじめに

さらに 思い切り 手をのばす 手がふれる

海原を渡っていく 鳥のような心がここに在る

「違う色重なって~」の部分ですが、これは光の3原色を表しているのかなと。赤、青、緑の色を重ね合わせることで、いろんな色を表現できるのです。一人では赤や青しか表現できなかったけれど、愛する相手が自分とは別の色を出してくれることで、何倍にも色の幅が広がるのです。そうやって虹色の光を二人で放つことで、孤独で冷えきっていた自分の環境を、温かく華やかにしてくれるようになる、ということなのかなと。

「この命 明日には 尽きるかも」とは言ってますが、別に急に死ぬような出来事がこの後控えているとか、そういうことではないと思います。ただ、万一、交通事故とかにあって死んでしまった場合、この感謝の気持ちを伝えることが永遠にできなくなってしまいます。私の場合に置き換えると、私を信じて、勇気を出して沖縄から渡ってきてくれた妻に対して、なんの感謝も示せないことになるではありませんか。

なので、できるだけ真面目に、ちゃんと伝わるように、言わなければいけません。「愛してる」では足りないので、愛してる以上の、心からの気持ちを、言葉を尽くして言わなければいけないのです




という感じで解釈してみましたが、いかがでしたでしょうか?

解釈といいつつ、別にそんなに見方によって解釈に幅が出るような詞ではないと思います。誰がどうみても、愛の歌ですね。

今回のブログでは、私と妻の話に当てはめて解釈をしてみましたが、愛に関する事情は人それぞれ、十人十色あると思います。愛についての解釈が微妙に異なることだってあるでしょう。それもまた愛だと思います。

ぜひとも、愛する人に対して、愛を囁いてみてはいかがでしょう?

なにせ、明日には命が尽きてしまうかもしれませんからね。悔いが残らないように、今すぐやりましょう。




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