「プール」はアルバム「名前をつけてやる」に収録されている曲です。
早いテンポで気分を盛り上げてくれる「ミーコとギター」と、後半の支柱ともいうべき「胸に咲いた黄色い花」の間に挟まれていて、ざっと聴いた感じでは、箸休め的なポジションの曲となっています。
私が、はじめて聴いたぐらいの時には、ふーん、で終わっていた曲だと思います。
ところが、実はこのプール、聴けば聴くほど存在感が大きくなってくる、化け物みたいな曲なのです。
私がアルバム「名前をつけてやる」に出会ったのが、中学2年の時。
でも、私がこの曲の良さに気が付いたのは、高校3年の時です。
なんと4年もかかっています。オマエの耳はどこについていたんだと問い詰めたいですね。
高校3年生の時、携帯電話を買いまして。
当時、携帯電話は出回り始めたばかりで、着ウタどころか、着メロが主流でした。着信メロディですね。
電話のベルの音の代わりに、あらかじめ設定した曲が流れるというわけですね。この着メロ、実は自分で音をポチポチ打ち込んでメロディを作る機能があったんです。マリオシーケンサみたいな。そっちの方がわかんないかな…とにかく、すごいですね。
当時、着メロが欲しければ、ポチポチ打ち込んで作るか、配信サイトで購入しなければなりませんでした。
なので、デフォルトの、リーンリーン、って音しか使っていなかった私を見かねて、スピッツ好きな友人がポチポチ打ち込んでくれました。その時の着メロが「プール」でした。
「えっ、なんでそんなマイナーな曲をいれたんだ。どうせなら日なたの窓に憧れて、がいい」と私は文句を言いました。それにあきれた友人は「自分でやってくれ」と言いました。
しょうがない。「リーンリーン」と「プール」だったら、プールのほうがいいだろう。ということで、その後私はしばらくプールと付き合う人生となったわけです。
4年の大学生活を経て、社会人になるころ、そろそろ型遅れが激しくなってきた携帯電話を交換するタイミングに来ていました。でも、困ったことに、なかなか変えられないでいました。そうです。プール問題が発生していました。着メロ配信サイトのどこを探しても、「プール」が配信されていなかったのです。
その頃になってくると、着ウタが出回り始めていて、着メロは若干古くなっていました。当然、自分で打ち込んだメロディなど、移植もできません。自分でポチポチなんて、そんな機能はとっくになくなっていました。
そんな、使えない携帯電話に執着するほどに、魅力的だったプール。
この不思議な魅力はどこから来るのでしょう?
1、スピッツ特有の、夏の表現
夏の曲といえばなんでしょう? 湘南乃風の「睡蓮花」を思い浮かべましたか? サザンオールスターズですか? チューブですか? プリンセスプリンセスの「世界で一番熱い夏」ですか? 選曲がちょっと古いですか??
どの曲も、めっちゃ上がる曲ですね。ウェーイwwwwって感じです。夏はテンション上げなきゃいけない的な、そんな曲が目立ちます。
でも、プールはどうでしょう。夏の気配はしますが、けだるい感じがしますね。
日陰とか、水辺とか、ちょっと涼しげな場所に腰を下ろして休んでいる。そんな感じがします。
着メロの時に気が付いたんですが、非常にゆっくりなテンポなんですよね。だから作りやすかったというのもあります。
夏なのに「寝っ転がって」「くるくるにからまって」るんですよ。これだけダラダラしていたら、これは湘南乃風から怒られますよね。せっかくの夏なのに、なにやってんだ、って。
でも、これはスピッツの、いやプールにしかできなかった、夏の表現だと思います。
似たところだと「夏が終わる」がありますが、あれは夏の終わりの寂寥感を表しています。いわば、夏の終わりの寂寥感に依存できてしまいます。
でも、プールは、夏のど真ん中にいます。それでいて、この寂寥感です。たまらんですね。
2、Aメロとサビのツートップスタイルをガッチリ確立。
どこかで聴いたことのある話ですが、スピッツは「Aメロとサビで完結したい」という方針があるのだとか。そうでもないスタイルの曲はいくらでもあるので、ことさらにこだわってるわけではないと思うのですが、それでも、やはり、そうありたいという意図が曲に見え隠れしています。
これ、強弱をコントロールするのが、とても難しいんですよね。
サビをガッツリ目立たせてしまうと、Aメロが生きないです。このパターンをスピッツはもっとも嫌っているように思えます。まずはAメロありきで、曲全体を構成しているように感じます。
しかしながら、サビにある程度の力強さがないと、曲が小さくまとまってしまいます。苦心したんだろうな、という曲がいくつか思い浮かびます。もっと強くいけばいいのに、と思うんですけど、そこでやめる。そういう判断ができるあたり、プロですね。
前置きが長くなりましたが、この、Aメロとサビのバランスが非常にいいのが、プールだと思います。Aメロの雰囲気を損なうことなく、サビで盛り上がりを作る。歌詞のとおり、Aメロで風のように少しだけ揺れていたところを、サビで水しぶきを跳ね上げる。大きな変化に見えて、そこまで大きな変化ではない。そこが、聴いている私たちには違和感なく、心地がいい。そういうバランス感覚が、プールには備わっていると思います。
3、「ひとりを忘れた世界に 水しぶき跳ね上げて」
まったく意味のわからない言葉をサビにドーンともってくるあたり、プールのすごさを感じます。
「ひとりを忘れた世界で、水しぶき跳ね上げて」なら、わかります。でも、世界の後は「に」でならなければいけませんでした。「で」にすると、跳ね上げ「て」と音がかぶってしまいます。また、「で」は音が濁ります。あの一番大事な音が濁っていたのでは、プールの良さが半減してしまうでしょう。一番の盛り上がりは「に」でなければならなかったのです。
この強引さ、どうでしょう。
「ひとりを忘れた世界で水しぶき跳ね上げて」なら、世界の中にいる自分という、ごく当たり前の表現になります。
ところが、「ひとりを忘れた世界に」というと、「ひとりを忘れた世界」というモノがあって、そこに水しぶきをぶっかける。そういう表現になっています。とてもスケールが大きいですね。
この表現が許されるのも、スピッツが築き上げてきた巨大な世界観がなせる業だと思います。
プール、すごいですね。
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