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スピッツ「プール」は、「夏の魔物 プール編」説。

更新日:1月30日



こんにちは。八百屋テクテクです。

今回は、スピッツ「プール」について解釈していきたいと思います。

この曲は、幼い日の初恋を表現した曲だと思います。マサムネさんよりちょっと年上の、お姉さんのことを描いているんじゃないかなと思います。

このお姉さんは「夏の魔物」で登場していますが、「日なたの窓に憧れて」や「君と暮らせたら」「仲良し」にも登場している、と、この八百屋さんは解釈しています。けっこう頻繁に、このお姉さんのことを題材にしています。それだけ幼い日のマサムネさんに、強烈な印象を残していったんですね。

この曲たちを並べてみると、初登場時の「夏の魔物」こそインパクト重視のロック調になっていますが、それ以降はずっとゆったりした曲になっています。幼い日の少年が、少し大人のお姉さんという夏の魔物に遭遇し、自分の中の胸の大地がゴゴゴって回り始めた。そんな夏の暑い日の思い出を、現在の視点から懐かしんでいるような、そんな感じが伝わってきます。

この「プール」にもまた、ゆったりした時間が流れています。幼い日のマサムネさんが感じた、鼓動が伝わってきそうな曲です。

いったい、この詞の中で、マサムネさんとお姉さんに、何があったのか。マサムネさんは、何を描きたかったのか。

順番に眺めていきましょう。



君に会えた 夏蜘蛛になった

ちまたでは「夏蜘蛛」の部分が、性行為の表現だと解釈されているそうです。蜘蛛は8本脚があり、それが絡み合った男女の手足の数と一致するからだとか。なるほどなるほど。

しかしながら、私の解釈では、夏蜘蛛は性行為のことではないと思っています。初恋のお姉さんと性行為をする関係にまで至らなかったので、このようにいつまでもズルズルと気持ちを引きずっているのです。この、「ズルズルと気持ちを引きずる」というのが、曲作りにおいてめちゃめちゃ大事な部分になってくるのです。満たされない欲求を、作品に投影することができるからです。逆に欲求が昇華されてしまえば、アーティストとしての引き出しが減ってしまうのです。マサムネさんが、このお姉さんと結ばれなかったので、マサムネさんの中で巨大に膨れ上がった初恋の感情。それを曲にしたものを、私たちは聴いているのです。

どうでしょう。知っての通り、スピッツはこの後も楽曲を描き続けていますが、未だに「初期の曲がいい」というファンも根強くいます。後年になって制作された技術で勝るはずの楽曲より、初期の曲である「プール」の切なさに、めっちゃ心を動かされるのです。このすごい「プール」を描き上げた原動力は何なのか、というと、膨れ上がった初恋の未練があるんじゃないかなと、私は信じたくなります。

では、「夏蜘蛛」とはいったい何なのでしょう。夏蜘蛛という蜘蛛はないそうです。この詞では「孤り」のように、マサムネさんの造語、当て字がでてきます。造語となると、その答えはマサムネさんの頭の中にしかないので、ここは想像するしかありません。

まずは「夏」の部分ですが、これは夏にあった出来事なんですよ、と言いたいんじゃないかなと。プールというタイトルな時点で夏なんですけど、でもマサムネさんは、よく比喩を使うので、プールをプールとして受け取っていいものかどうか、悩みます。マサムネさんもまた、「これは比喩なのかそのままなのか、読み手が混乱するなぁ」と思いながら作成しているでしょう。なので「夏」という単語を詞に代入することで、「プールは、プールの事です。そう読み取ってください」と言いたいんじゃないかなと。だからこの部分は「夏」である必要があったのだと、私は想像します。

そして「蜘蛛」ですが、字を因数分解すると、虫(知朱)となります。朱を未にして並び変えると、未知の虫となります。マサムネさんは、お姉さんに会うまでは、ごく普通の少年でした。サザエさんに出てくるカツオ君みたいな感じで、中島君と野球に明け暮れたり、宿題を忘れて学校の先生に怒られたりしていた、ごくごく普通の少年だったと思います。それが、少し大人のお姉さんであった「君に会えた」のです。君と会ったことで、普通の少年が、未知の何かに変わってしまったのです。少年も、戸惑ったでしょう。「えっ、僕はいったい、何になったんだろう…?」と。その、何かよくわからないものになった戸惑いが、「夏蜘蛛」に現れているんじゃないかなと、思います。大人の目線から見えれば、「それは恋だよ」と片付けてしまうものですが、それでは片づけてしまうことのできない、言語化できないものを、マサムネさんは私たちに、無理やりに伝えようとしてくれているのです。



ねっころがって くるくるにからまってふざけた

風のように 少しだけ揺れながら

とはいえ、このお姉さんもまた、大人と子供の狭間にいます。たまたま自分の家に遊びにきていた近所の少年のマサムネさんをからかって、プロレスごっかか何かで、じゃれあって寝っ転がって、くるくるに絡まったのだと思います。この時、少し大人のお姉さんの柔らかい肌とか、膨らみかけた胸とかを、自分の胸や背中に感じたのです。この瞬間「ぐわっ」とマサムネさんの中で、何かが音を立てて変質しました。



街の隅のドブ川にあった

壊れそうな笹舟に乗って流れた

霧のように かすかに消えながら

「夏の魔物」にも、「ドブ川」がでてきますが、時代も登場人物もすべて同じなので、同じドブ川なのかもしれません。

とにかく、夏の魔物によって、何か別の生き物に変質させられたマサムネさんは、風の音とか、風景とかが、一気に鮮やかに見えるようになりました。今まで気にも留めなかったドブ川にさえ、視線が向くようになったのです。

この、ドブ川を流れる「壊れそうな笹舟」は、お姉さんが作ったものなのかもしれません。「笹舟作ったよ。川に流そうね」と、お姉さんからしたら何気ない行動だったのでしょうけれども、マサムネさんは、お姉さんの手から離れて流れていく笹舟にすら、特別なものを感じています。

マサムネさんは、お姉さんの恋人になりたいと考えていたはずですが、お姉さんはマサムネさんの恋人にはなりませんでした。お姉さんはマサムネさんを相手にしなかったのです。

この、相手にされない自分を、笹舟に乗った蜘蛛に例えているのかなと。自分は離れたくないと思っているけれど、お姉さんは笹舟を川に流してしまった。川の流れに逆らえず、どんどん流れていく笹舟。その上に乗せられた、夏蜘蛛である自分。目の前で起こった出来事が、まさに自分の心境が反映されているようだ、と感じたんじゃないかなと思います。

こんな風に、マサムネさんは空想の世界で、夏蜘蛛になったり、風のようになったり、霧のようになったり、できるようになったのです。夏の魔物のせいで、マサムネさんは変質したのです。



孤りを忘れた世界に 水しぶきはね上げて

バタ足 大きな姿が泳ぎ出す

「孤りを忘れた世界」とは、マサムネさんの心の中の世界のことです。お姉さんに会うまでは、たったひとりの世界でした。これを小さなプールに例えています。ひとりで入っているので、自分が動かなければ波も立ちません。水しぶきを上げるのも、上げないのも、自分の心ひとつで調節できるのです。

ところがこの狭いプールに「お邪魔しまーす」とお姉さんが入ってきました。彼女はいきなり、ドボーンと水しぶきを跳ね上げたのです。プールの中でひとり穏やかに涼んでいたマサムネさんは、「ええっ……!?」とびっくりします。それだけでなく、お姉さんは我が物顔で、マサムネさんのプールを占領して、バタ足で泳ぎ始めました。水しぶきがマサムネさんの顔にかかります。「ちょっと、ちょっと!」と焦りますが、彼女はマサムネさんが困るのなんて、気にも留めません。

お姉さんの存在は、マサムネさんの心の中でめちゃくちゃ大きくなっていました。その大きな大きなお姉さんは、マサムネさんの心の中のプールを占領して、水しぶきを跳ね上げまくっています。心の中にいる、小さいマサムネさんは、さらに小さくなって、頭を抱えるしかありません。もはやマサムネさんの心は、自分ではなく、お姉さんに占領されてしまったのです。お姉さんに心を乗っ取られてしまって、彼女のことばかり考えるようになり、彼女の笑顔ひとつで心がポワーンとなり、彼女のそっけない態度ひとつで、心が死んだように冷えるのです。



孤りを忘れた世界に 白い花 降りやまず

でこぼこ野原を 静かに日は照らす

マサムネさんの心の中には、プール以外にもいろいろあります。でも、そのどれもが、彼女色に染められてしまったようです。白い花が降りやまず、いつまでたっても降り積もってきます。「ここは、僕の世界なのに…」と、心の中のマサムネさんは困惑しますが、だからといって、彼女の侵入を防ぐことはできません。無理なのです。昨日も今日も明日も、お姉さんがマサムネさんの中にやってきては、大量の白い花を雑に置き土産していくのです。この後始末で、心の中のマサムネさんは毎日が疲労困憊なのです。

「でこぼこ野原」もまた、心の中にある野原のことかなと。野原は、原野ともいいますが、まだ開拓されていない土地という意味です。マサムネさんの心の中には、まだ自分も知らない暗黒のスペースがあって、そこをお姉さんが目ざとく見つけて、日を照らしたのかなと。「おっ、ここ空いてるじゃーん!」みたいな。このおかげで、マサムネさんもまた、自分の知らない一面を発見していくことになり、やがてはスピッツの美しい詞を作り上げる原資になっていったんじゃないかなと思います。




という感じで解釈してみましたが、いかがでしたでしょうか?

うまいこと言語化できない部分もあって、なかなかもどかしい思いをしながら、このブログを書きました。

ややこしくなるので、上では触れませんでしたが、「孤りを忘れた世界に 水しぶきはね上げて」の部分にて、あれは実際にプールにいった時の出来事を同時に表しているんじゃないかとも思います。彼女がプールで泳いでいるのを見た時、自分の心の中のプールでもシンクロして泳ぎだした、的な。「壊れそうな笹舟」のくだりも、現実世界と心の世界がリンクしていましたが、同じようにリンクしているんじゃないかなと。ややこしい話でしょ?

たぶんこの時マサムネさんが眺めた、彼女のプール姿が、この世の何よりも美しかったに違いありません。それを形にしようとして、この詞が産まれたのだと思うのです。この短い詞の解釈に、私は何千字も費やしてきましたが、この時の彼女の美しさと、それを表すこの詞の美しさを文字に書き表そうとすると、こんなもんじゃないぐらい文字数が必要となるでしょう。

そのぐらい、いろんなものがギュウギュウにつまった詞だと、私は思うのです。




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