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スピッツの「青い車」は「死の曲」ではない…?~スピッツ歌詞解釈~

更新日:2023年7月22日



そうなんですよね。青い車。

よくテレビやユーチューブなどで「意味が分かると怖い曲」特集みたいなので、まれによくみる、スピッツの青い車。

なんと、青い車は死の曲なのです…!ってわざわざ説明しなくても、ある程度のスピッツファンは、聞いたことのある話だと思います。

どうして、青い車が死の曲と言われているのか。



冒頭で「冷えた僕の手が君の首筋に噛みついてはじけた朝」と言っていますが、これは君の首を絞めている表現です。

また「シャツを着替えて出かけよう」は、着ていたシャツが血で汚れたので、証拠隠滅のため着替えた

この前提があって、青い車で海に行って、輪廻の果て、つまり崖から飛び降りよう、落ちていこう、みたいな歌詞に繋がるわけです。

これはもう心中の話じゃないか。ということになっているわけですね。



おいおいおいおい、爽やかな声で、物騒なことを言うじゃないか。さすがは、マサムネさん、スピッツのテーマは性愛と死なだけのことはあるわ~! と、作曲したマサムネさんの方針という裏付けもあって、青い車は心中の歌、という解釈は、もはや定説のようになっているのです。



しかしながら。

ひねくれものの私としては、世間とは逆の道を行きたいなと。

歌詞解釈は自由ですから、ここはもっと、世間とは違う解釈をしてみたいなと。

もっといえば、青い車は、心中以外の意味が隠されているんじゃないかなと。マサムネさんは、めっちゃひねくれているので、青い車の冒頭を心中チックな表現にして、世間のみんなが「青い車は死の曲だ~!」と騒ぎ立てているのをみて、しめしめ、とほくそ笑んでいるんじゃないか、と考えるわけです。



なので私は、もう少し「青い車」を掘り下げてみて、違う解釈がないかを探してみようと思います。



まず、マサムネさんは、「辻褄のあわないことは言わない」「あやふやなことは言わない」ということを徹底しているんです。

すんごい時間をかけて、針に糸を通すように歌詞を慎重に構築して、矛盾や誤解が生じないように作り上げています。

一文だけを見ると??なことも、全体を通すと、そこに強烈な意味が込められている、という場合もままあります。

その一方で、「これはこういう曲です」という解説を一切やらず、「いやぁ、聴いた人の解釈にお任せします」という立場に徹しています。これだけ丁寧に作り上げた曲ですが、その真意は聴く人次第というわけです。懐の広さが伺えますね。



とにかく、マサムネさんは歌詞づくりにおいては、非常に真面目なひとなんです。

例えば、以前「プール」の項目でちょっと触れましたが「一人を忘れた世界に水しぶき跳ね上げて」のところ、普通は「一人を忘れた世界で水しぶき跳ね上げて」のほうが文法的にしっくりきます。でもあえて「に」にしています。「に」にすることで一見意味が通じなくなっています。でもここは、「に」でなければならなかった。助詞ひとつに、言葉ひとつに、こういう繊細な配慮がなされているわけです。



そんなマサムネさんが手がけた「青い車」ですが、死の歌だとすると、ちょっと意味が通らない部分がでてきます。



行こう行こう、とせかしている点。

木々や水や火など、雄大なものに対して生きる意味を感じている点。

真夏の風を吸い込んだら、心の落書きも踊りだすかもという、楽しい心境になっている点。

今変わっていく点。



もし、青い車を死の歌にするならば、このあたりの表現がもっと違ったものになっているはずなのです。死を前にした心境を、もっと適切に、リアルに表現しているはずなのです。

たとえば、冒頭で君がすでに死人になっているなら、いこういこう、しようしよう、とサビで言うのは不自然です。

また、死に囚われて、今から崖から飛び降りる気でいるなら、木々や水や火の意味に気が付くのも不自然ですし、なにより、踊りだすのも不自然です。

今変わっていくよ、とは、飛び降りたことで、自分が死人へと変わっていくという意味になりますが、これも不自然です。苦痛にのたうち回りながら、ゆっくりと息絶えて死人になっていくのなら別ですが、そういうエグイ死に方は望んでいないはずです。崖から飛び降りるわけですから、すぐに死にたいと思うはずです。この表現に、変わっていく、という、ゆっくりとした変化を表す意味を当てはめるのは、やはり不自然だと思います。



こういう点から、私は、「青い車=死の歌」ではないと考えます。

では、なんの歌なのか。何を表現した曲なのか。

私は、青い車は、青い車で海へ行った時のことを表現した曲なんだと思います。



「冷えた僕の手が君の首筋に咬みつ」いたら、ギャーッ冷たい!って君が「はじけた」という、平和な朝の場面からはじまります。

「永遠に続くような掟」は、毎日会社とか学校とかで、疲弊していく毎日のことを指しています。疲れているのは、たぶん君のほうです。

シャツを着替える、とは、気持ちを切り替えたり、何か新しい決意をするときの表現です。



では、何のために海へ行くのでしょう。おいてきた何かを見るためですよね。

しかもそれを、僕は君に、しきりに勧めています。

たぶん過去に僕と君は、その海で、何か夢を誓ったのだと思います。こうなったらいいね、とか、こうなりたい、とか。毎日に疲れて、その夢さえも見れなくなった君に、夢を思い出してもらうために、海に誘ったのだと思います。

輪廻とは、車輪のことを指します。ということは、青い車を降りています。青い車ごと、崖の下に突っ込んでいたわけではないんですね。車輪を降りるという表現は、もしかしたら、「永遠に続くような掟」の中で、ハムスターの回し車のように永遠に回り続けさせられる毎日から、飛び出そう、という提案なのかもしれません。

ここまでくると、終わりなき夢、というのは、僕と君がこの海で過去に誓った、「おいてきた何か」のことだということがわかります。

また、この夢というのは、他の人から見れば、大したことではないだろうけれど、と言いたいのです。「愛で汚されたチャチな飾り」とか「つまらない宝物」とか「偽物のかけら」とか、そういうものに言い換えられているからです。それでも、この夢は二人にとっては、とても重要なものだと、言いたいのです。



いやぁ、青い車は死の曲です、としておいたほうが、話題性がでていいのかもしれません。

でも、青い車を普通にひも解いていくと、こういう結果になりました。普通にいい話だと思いますし、曲の雰囲気にバッチリと合う、とても爽やかで疾走感のある曲です。

こういう、ある意味普通の解釈で、青い車を聴いてみるのも、いいんじゃないかなと思います。

かえって、新鮮かもしれません笑



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