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なぜスピッツの「桃」はすごい曲なのか~スピッツ歌詞解釈~

  • 2021年4月26日
  • 読了時間: 7分

更新日:3 日前



「桃」は、スピッツのアルバム「さざなみCD」に収録されている曲です。

さざなみCDの雰囲気としては、夏の暑さ、涼しさ、などが思い浮かんできますが、桃は夏の果物ということもあり、もろ夏のイメージです。トップバッターの「僕のギター」でバーンと心を掴んで、すぐ後の「桃」で「これはこういうテイストのアルバムなので、よろしくね」みたいな構成になっています。

また、「桃」は曲全体の強弱を薄くしているために、単体で聴くと、どうしても単調になりがちです。そこを、「僕のギター」のようなメリハリがバシッとある曲と組ませてあげることで、より「桃」が引き立ってくれますね。

似たような構成に、「名前をつけてやる」の「プール」が思い浮かびます。「プール」もまた、それ単体で聴くと単調に聴こえる曲ですが、直前に「ミーコとギター」と「胸に咲いた黄色い花」を配置することで、「プール」の世界観がより際立っています。

そういえば「桃」も「プール」も、夏がテーマの曲になっています。夏の涼しさや、ちょっとした寂寥感。そんな雰囲気のある曲です。普通、夏の曲といえばテンションが上がる曲を作成しそうですが、こういう詞的な夏の表現は、スピッツならではですね。



本当に「桃」は、夏にぴったりな曲ですね!



…とまあ、ここで終わっておけば、めでたしめでたしで終わるんですけど、どうでしょう?

「この曲は死の曲かもしれないですね」という話をしようと思うんですけど、続けてもいいでしょうか?

ダメだったら、綺麗なところで終わっておきましょう。どうもお疲れさまでした。また次回の記事でお会いしましょう。

これ以上、下には記事はございません。本当です。




















さて、素直な良い子のみんなは退散したと思いますので、ここから本当の解釈です。

物騒な内容をチラ見せしてしまいましたが「死の曲」は「殺人」という意味ではありません。死は、生のはじまりでもあり、終わりでもあります。動的な生と、静的な死。それが交互に現れるのが、生きているものの世界です。桃は植物ですが、植物の移り変わりを眺めていると、そう感じます。生きるのは激動で、死に向かう途中はゆっくりです。

スピッツの「桃」の詞には、とてもゆっくりした時間が流れています。静止していると言ってもいいぐらいです。

どの曲にもたいていは出演している「君」も、桃にはでてきません。たぶん、いるような雰囲気になるように明るく編曲をしたのだと思いますが、詞だけを眺めていると、人の気配が乏しいです。自分だけの世界に陥っています。

何も変化を望まず、ただ緩やかに退廃していく。そこは喜びも悲しみも、怒りもない世界。でもその暗く閉じられた世界は、生き急ぎ過ぎて疲れはてた人間にとっては、誰にも傷つけられることのない、幸せで柔らかく、優しい、救いの世界でもあります。

そんな世界の入り口に立っていることを、スピッツの「桃」は表現しているのではないかなと、思うのです。



スピッツの「桃」から漂う死臭を疑い始めると、どんどん死臭が強くなることがわかります。

まず、桃は何の表現なのでしょうか。当然最初に思いつくのは、フルーツの桃です。美味しいですよね。夏には八百屋テクテクのネット通販で、美味しい桃を販売しますので、ぜひご利用ください。

そんなことはさておき、桃って、どんなフルーツなんでしょう。お盆の御供えに使われる果物ですよね。死者を弔う果物です。そのほか、触っただけでも変色し、痛む、繊細な果物です。甘くてみずみずしい側面もありますが、それを味わえるのは、時期的にも、鮮度的にも、ほんの一瞬です。とても永遠に続くようなものではありません。

永遠といえば、桃には「桃源郷」という言葉があります。桃源郷は、現世に絶望した人間がいきつく場所です。この世ではない場所であるとされます。

また、桃は青酸化合物を生成します。若い桃の種に含まれていて、食べると神経麻痺により、呼吸や心臓が止まったりして死にます

数あるフルーツのなかでも、あえて桃を選んだ理由って、なんでしょう。死を連想させる果物ですね、と八百屋さんだからこそ、答えてしまいます。



他にも、恋愛とか家族とか仕事とか人生感とか、いろんな可能性を考えてみたんですけど、「桃は死をテーマにした曲」というのが、一番しっくりきちゃったんですよね。

スピッツは昔、性愛と死をテーマに曲を作っていたと公言しているので、そりゃあ死をテーマにしていても不思議じゃないですけども、TPOみたいなのって、あるじゃないですか。この「桃」のさわやかなサウンドには、まず不釣り合いなテーマなんですよね。桃を純粋な恋の歌だと思っているスピッツファンも多いでしょうから、ここで「死の曲です」と言っちゃって、雰囲気をぶち壊すのも忍びないと思います。

でも、そんな良い子は、さっきのところで帰ったと思うので、あえて言っちゃいます。桃は死の曲です。




切れた電球を今 取り換えれば明るく

唐突にでてくるこの言葉。その後なーんの説明もないので、どんな意味が込められているのか謎です。

でも、ここに「死」という方向性が加われば、解読できそうです。切れた電球とは、自分自身のことです。自分が死んでも、次の誰かが自分の代わりを立派に果たしてくれるので、自分一人がこの世から消えても、なんの影響もないということです。



桃の唇 はじめて色になる

「唇亡びて歯寒し」ということわざがあります。唇は、入口という意味もあります。桃源郷の入り口、という意味で捉えると、どうでしょうか。

これが、はじめて色になる。切れた電球である自分が、この世から追いだされ、黄泉の国を彷徨い、桃源郷の入り口にたどり着いた、ということなのかなと。



捕まえたその手を 離すことはない

永遠という戯言に溺れて

捕まえたその手、というのは、誰の手でしょう。桃源郷の暗闇から伸びるガイコツの手が、自分の手を掴んで離してくれない。そんな状況なのかもしれません。

そして、「ここで永遠に幸せになれるよ」という戯言に、つい耳を傾けてしまい、そのまま死の世界へと引きずり込まれていくのかなと。



何もなかったよ 巡り合えた理由など

やっと始まる 窓辺から飛び立つ

巡り合う、というところに少しの違和感を覚えました。正しく美しく言葉を使うマサムネさんが、もし誰かとめぐりあうなら「めぐり会う」か「めぐり逢う」を使いませんか? チェリーでは「めぐり会いたい」と言っています。

自分が巡り合ったのは、人ではなく、ましては出会いたかった綺麗な女の子ではなく、何か運命的な出来事や場所だったことが、この一文から浮かびあってくるような気がするのです。あとついでのように、窓辺から飛び立っています。翼がなければ、死にます。



ありがちなドラマをなぞっていただけ

あの日々にはもう二度と戻れない

これまで自分が生きてきたのは、誰かが描いた人生でした。いい学校にいき、偏差値の高い大学に行き、年収の高い会社に就職し、いい車にのり、いい彼女と付き合い、結婚して家土地を買い……それがいい人生なのだと教えられて、そういう人生を歩んできました。右を見ても左をみても、みんな同じ価値観で、同じような人生を歩んでいます。幸せに思っていたモノすべては、実はありがちなドラマであり、これをなぞっていただけなのです。

今ではもう昔みたいに、なんの疑いもなく誰かが描いた人生をなぞるだけの日々には戻れなくなりました。それをしても、なんの意味もないと思ったからです。



柔らかな気持ちになった

甘い香りにつつまれ

桃源郷の中で、柔らかな気持ちになっています。嬉しいとか楽しいとか、そういう動きのある感情ではなく、柔らかな気持ちという、眠ってしまいそうな、静の感情です。ゆっくりと柔らかくなっていき、やがては命が尽きていきます。




いかがでしょうか。

こんな、死とは程遠い曲のなかに、死が潜んでいるとは想像もしなかったと思います。

このエグすぎる変化球こそが、スピッツの魅力なのだと思います。


桃、すごいですね!




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