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スピッツ「水色の街」は、三途の川を渡る曲だった説~スピッツ歌詞解釈~

  • 2022年8月17日
  • 読了時間: 5分

更新日:6 日前



こんにちは。八百屋テクテクです。

今回は、死の曲として認知されている、スピッツ「水色の街」について解釈していこうと思います。

あっ、今回は死の曲として終始解説していくつもりなので、苦手な人はここでお別れです。お疲れさまでした。この曲は、街中水色のペンキで塗られた、ファンキーな場所に住んでいる女の子に会いに行く、胸がキュンキュンする曲となっております。それ以外には意味などありません。このブログの下にも、記事はありません。本当です。いいですね? 



















まぁ、結論はすでに出ています。

公式がアップロードしている、この曲のユーチューブのコメント欄を眺めてみると、死の曲であることを前提として話がなされています。「不気味だ」「死を連想させる」というコメントに続いて、「でも美しい」と、曲の美しさを賞賛する意見が相次いでいます。

なるほど、「川の向こうにある君の住んでいる街にいこう」と素直に読みとる人よりも「亡くなった君に会うために、三途の川を渡ろう」と読む人のほうが、よりスピッツ慣れしているといえるでしょう。だって、過去にこういう例が死ぬほどでてきているものですから。いい加減、ファンも慣れるというものですね。


いったいどうして、死に関する曲だと言えるのか。

歌詞を眺めてみると、実際に、そのヒントが浮かび上がってきます。



川を渡る 君が住む街へ

会いたくて 今すぐ 飛び跳ねる心で

水色のあの街へ

川の向こう側にいく場合、普段は何と言いますか? 「川を渡る」と言いますか? それとも「橋を渡る」と言いますか? 

昔は、どちらも使われていたと思うのですが、現代では「橋を渡る」のほうが多くなってきたのかな、という印象です。今では川を渡るには、必ず橋を使います。橋渡しの船なんて、観光地にしかありませんからね。川面に浸かって渡ることも、整備された街の中であるならば、まずありえないでしょう。

そうです。普通に川を渡る場合の表現として「川を渡る」を使うのは、住居地において都市整備事業がほぼ完遂されている現代においてはやや不自然なのです。

一方で、「橋を渡る」という曲は、数多くあります。サイモン&ガーファンクルの「明日に架ける橋(Bridge over Troubled Water)」とか、HOUND DOGの「BRIDGE~あの橋をわたるとき~」なんかが有名ですね。これらの曲は、川を困難や絶望に、橋を希望に見立てて、それを渡っていく力強い曲となっています。橋を架けて渡河することは、生のパワーが溢れる表現だと言えるでしょう。

では、「水色の街」の歌詞は、なぜあえて「川を渡る」というワードを使用しているのでしょう?

もう答えはでていますね。生のパワーが溢れちゃってはいけない場面だからです。

川を、困難や絶望の象徴として捉えるなら、その川を、橋を使わずに渡ろうとすれば、どうなるでしょう? ひとは水に足をとられ、流されてしまいます。



優しくなって プレゼント持って

会いたくて 今すぐ 間違えたステップで

水色のあの街へ

「飛び跳ねる心で」「間違えたステップ」と、君に会えることの嬉しさを隠さないでいますが、肝心の「君」に関するナマの情報がひとつも出てきていません。この二人が会って、「いやぁ、今日ちょっと混んでたから遅くなっちゃった。ゴメンゴメン。それよりさ、プレゼント持ってきたんだ。気に入ってくれるといいなぁ」とか、そういう話が、この詞にはないんです。あくまでも、僕が君に会いにいくために、川を渡るところまで。これは、普通の恋愛を題材にした曲だとすると、あまりにも消化不良だと思いませんか?

そして、タイトルの「水色の街」。タイトルは歌詞の中で、もっとも表現したいものに付けられるものです。つまり、「水色の街って、何のことだと思います?」という、マサムネさんからの問いなのです。

ということは、「水色の街」は、ただ水色に見えるだけの街ではないということです。



頸の匂い 明るい瞳

会いたくて 今すぐ 泥まみれの靴で

水色のあの街へ

頸の匂いも、明るい瞳も、普段に生きていたのでは、わからないし、見えないものです。恋人同士でも、相手の頸の匂いを感じたことなど、あまりないでしょう。普段から会っている人の顔を浮かべて、あの人は明るい瞳だなぁ、と意識することはないでしょう。この表現は、僕の頭の中だけにある、「君」の想像図なのです。想像図だから、綺麗だし、いい匂いがします。そして、想像図としてしか認識しえないということは、「君」は、すでにこの世の人ではなくなっているということでしょう。

「泥まみれの靴」とは、やはり頑丈なコンクリートの橋の上を渡っていない証拠です。なぜ橋のない川を、今すぐ渡ろうとしているのか。つまり、そういうことです。




という感じで解釈してみましたが、いかがでしたでしょうか?

実は、ここまで話をしてきてなんですけど、「水色の街」を、死の曲だと本気で信じられずにいます。

ここでの解釈は実は、「死の曲」というフィルターをかけて詞を眺めた時に、そういうふうに見える、というだけなんです。「青い車」と同じです。「青い車は死の曲だ」と誰かが言い出したのが、もっともらしく広まったにすぎないと私は思っています。「水色の街」も同じように、誰かが不気味と言い出したので、「死の曲」っぽくなったんじゃないかなと。

とはいえ、メロディーも不穏なものではあるんですよね。

もしかすると、詞のほうではあまり限定できるような作りにせず、そこにメロディーを重ねることで、おぼろげながら死の雰囲気が漂ってくるという仕掛けを目論んだのかもしれません。

はたして、どちらが虚で、どちらが実なのか。

まだまだ掘り下げる価値のある曲だということですね。




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