スピッツ「ウサギのバイク」は、心中の曲かな?~スピッツ歌詞解釈~
- 2022年3月16日
- 読了時間: 4分
更新日:2月28日

こんにちは。八百屋テクテクです。
今回は、スピッツの2ndアルバム「名前をつけてやる」より、「ウサギのバイク」をピックアップしてみたいと思います。
この曲は、ブログタイトルにもありますとおり、「心中の曲」なんじゃないかなと想像しています。どうにもならなくなって、死のう、とした時、道連れになってくれようとしている優しいあの娘…。そんな詞に思えます。
順番に見ていきましょう。
ウサギのバイクで逃げ出そう
枯れ葉を舞い上げて
「逃げ出そう」という、後ろ向きなワードからこの詞は始まります。逃げ出そう、というからには、なにか困難な状況が目の前に立ちふさがっていたのでしょう。仕事がつらい、お金がない、評価をされない、……生きている人なら、逃げ出したくなることなんて、いくらでもあります。それに立ち向かうのではなく、枯れ葉を舞い上げて、軽々と逃げ出しています。
さて、これはどこへ逃げようとしているのでしょう。ブログのタイトルにもありますとおり、死に逃げようとしています。
「枯れ葉」は、植物の生命活動が終わったことを表しています。また整備された道路だったら、枯れ葉はほとんどありません。清掃しているからです。枯れ葉が道路に落ちていないというのは、人々が生き生きと生活している証でもあります。ところが、この詞では、枯れ葉が舞い上がるような場所を、バイクで走っています。生活の匂いがしない道なのです。
優しいあの娘も連れて行こう
氷の丘を越えて
枯れ葉がある道を抜けて、氷の丘につきました。さて、氷の丘を越えた先には、何があるというのでしょう。もちろん、そこには氷の山があります。どんどん寒くなっていくわけです。動物が生きることのできない、植物も生えない、死の世界があるわけです。
そんな死の世界への旅行に、どうして、優しいあの娘を道連れにしようとしているのでしょう。優しい、とは、どう優しいのでしょう? 自分と道連れになってくれるということを、優しい、と言っているのでしょうか?
「一緒に、死のうか」
と言ってくれる女性は、死のうとしている男性にとっては、とても優しいと思います。「死のうなんて考えないで、歯を食いしばって生きろよ!」って言ってくる女性は、優しくありません。
普通は逆です。生きるために自分を諫めてくれる人のほうが優しいはずで、心中してくれる優しさは、優しさではありません。でも、この詞の男性は、それに気が付かないでいます。
脈拍のおかしなリズム
喜びにあふれながら ほら
駆け抜けて今にも壊れそうな
ウサギのバイク
脈拍がおかしくなっているのは、すでに死が自分の身体に迫っているからです。体温が低下して、血流が悪くなってきています。
でも、死を望んでいるものにとっては、死は喜びになります。雪中を走行したことで、バイクも壊れかけていています。
ウサギといえば、月に棲んでいるという逸話があります。
昔、インドにウサギ、サル、キツネの仲良しがおりまして。この3匹の仲の良さを試したくなった神様が、老人に姿を変えて3匹の前に現れ「貧しくて食べるものがない」と訴えました。サルは木登りが上手なので、木の実をとってきました。キツネは漁が得意なので、魚をとってきました。ところがウサギは長所がなく、何もとってこれませんでした。老人が「サルは木の実を、キツネは魚をくれたが、お前は何もくれないのか」と煽ると、ウサギは火に飛び込んで「私の肉を差し上げます」と言い、焼け死んでしまいました。サルとキツネは大いに悲しみました。神様はウサギの身体を抱いて「お前たちから貰ったものはどれも優劣がなかったが、ウサギは哀れすぎる」といい、神様の住む月に連れていきました。
ウサギの逸話と、ウサギのバイクの解釈。
どちらも自分を犠牲にして、道連れになるという優しさを発揮しています。生きている人間からすると間違ったやさしさなのですが、死を目の前にした人間の感性からすると、もっと違ったみえかたになるのかもしれません。ただただ、優しいあの娘になるのかもしれません。
この詞が本当に心中をテーマにした曲だとしたら、ウサギのバイクというのは、必然的なタイトルだったのかもしれませんね。
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