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スピッツ「さわって・変わって」は、野球の歌?~スピッツ歌詞解釈~

更新日:2023年7月22日



こんにちは。八百屋テクテクです。

今回は、スピッツの曲「さわって・変わって」を解読していきたいと思います。

この曲、ファンの間では、野球の曲だと言われております。

そうですね。この曲は、福岡の天神駅がでてきております。福岡が舞台の曲というわけです。また、歌詞中に出てきております「3連敗のち3連勝」とか「転がる玉を止めて」とか、これはもう球技を表しているようです。

この2点を考えると、この曲を作ったマサムネさんは福岡出身であり、ホークスのファンを公言しているということで、これはもうホークスの応援歌だという線が濃厚になってきます。

こういう前提があると、「さわって・変わって」は、ランナーのタッチアウトにより、攻守が入れ替わることを表している、ということを表しているのだと、容易に導き出すことができます。

これだけの証拠が出そろっているので、私の、いつものひねくれた、もとい、独自の解釈の余地はなさそうですね……。と思っていました。つい先日までは。

というのも、先日、2021年度の日本シリーズが終わって、ヤクルトスワローズが日本一になったんですよ。すごいですね!

コロナの影響もあり、興行全体に活気がなくなりつつあった2021年ですが、久しぶりに盛り上がっているのをみて、ああやっと活気が戻ってきたのかな、と思えるような出来事でした。

そこで、「スピッツにも野球の曲、そういえばあったよね」と、この「さわって・変わって」に久しぶりに注目してみたのですが、そこで、あれ……? と気になった点があったんです。

それは、マサムネさんの詞を作るときの方針と、この曲で語ろうとしているであろう「野球」というテーマに、ズレがあるように思えてきたのです。

「これは、純粋に、野球のことだけを歌っている曲ではない……?」

と、そう思うようになってきたのです。

「野球を、彼女と二人で見て盛り上がっている曲」という解釈もできそうですが、はたして、そうなんでしょうか?



まず、この詞=野球、という構図に私が違和感を持ったのは、「春が忍び寄ってくる心地」の部分です。

プロ野球の開幕は、3月です。それから半年以上の時間をかけて、セ・パでリーグ戦を行います。そのリーグ優勝のチーム通しが、日本一をかけて戦う日本シリーズが、今年みたいに11月です。11月中には、日本一が決まってしまいます。

「さわって・変わって」することにより野球の試合に勝つことで「春が忍び寄ってくる心地」になると歌詞の中では言っていますが、冬に入ろうとする手前で優勝が決まるのに、春を感じるという表現はいささか早すぎないでしょうか? 日本シリーズが終わった後に野球ファンが感じるのは、来年に向けてのキャンプと、ドラフト会議の内容です。どちらも冬の重要なイベントです。

また「3連敗のち3連勝」とは、日本シリーズのことだとしたら、どうでしょう。日本シリーズは、先に4勝したほうが優勝です。なのに、3連敗したら、もういいや、とか言いたくなっちゃいますよね。でも、その次に3連勝した。これはもう、「街が光る」ぐらい盛り上がるのは当然ですよね。

でも、優勝が決まるかどうかという熱戦のタイミングで「春が忍び寄ってくる心地」とは、どうも喜び方が淡泊な気がします。春が忍びよってくる心地、とは、将来なにか、少しいいことがありそうな予感がするときに使う表現です。明日には勝敗が決まるという、一番盛り上がっている瞬間の、心の持ちようとは違う気がします。

とまぁ、詞=野球、という解釈にいろいろと注文を付けてみたわけですが、野球のことを表現している部分があることもまた、確実なのです。

ウーム、どう解釈したらいいものか……としばらく悩んでいましたが、やっとわかりました。

この曲は、2002年に発表された曲なのを思い出しました。今のソフトバンクの傘下であるソフトバンクホークスではなく、業績不振にあえいでいたダイエーの、ダイエーホークスの曲だったのです。

どういうことなのでしょうか。歌詞を順番に見ていくことにしましょう。



天神駅の改札口で 君のよれた笑顔

行き交う人の暗いオーラがそれを浮かす

ぬるい海に溶ける月 からまるタコの足

言葉より確実に俺を生かす

天神駅の改札口で行き交う人は、暗いオーラを纏っているようです。それも「君」がよれた笑顔を見せただけで、浮くぐらいだそうです。なんで、天神駅を利用している福岡市民は、こんなに表情が暗いのでしょう? これはたぶん、福岡市民が暗い顔になる出来事が、直前にあったからなんですね。この後の展開から判断すると、その出来事とは、ホークスが野球の試合に負けたことでしょう。

「ぬるい海に溶ける月」とは、天神駅を出てすぐの、博多港を指しているのだと思います。その後の「からまるタコの足」は、文字通り、その海にいるであろう、タコの足を指しているのだと思います。なんで、本物のタコの足が急に出てくるんだと思いましたか? 「タコのようにからまる脚、つまり君と僕との交情を表現しているんだ」と、スピッツファンなら解釈したくなるところではありますが、たぶんこれは、残念ながら、本物のタコの足です。理由は、後ででてきます。

さて、その次に出てくるのが「言葉より確実に俺を生かす」となっています。俺にとって、一体何が、そんなに嬉しいことなのでしょう。もちろん、行き交う人の暗いオーラが嬉しいわけでもありません。君のよれた笑顔を見れたのが嬉しい? それはあるでしょうけれど、めちゃめちゃ嬉しい、ってわけでもなさそうです。なぜなら、続く詞の中に出てくる「からまるタコの足」というのは、後ほど詳しく述べますが、否の表現です。ということは、「言葉より~」の上の部分は、暗いオーラが漂っている表現になり、対照的に、「言葉より~」の下に続くサビが明るいものを表現することによって、対比をする構造にしたかったわけです。

負け戦で、応援していた自分も彼女も暗い顔だったけれど、そんな中、彼女は僕の顔をみて「へへ……」とよれた笑顔を見せたわけです。それを見て僕は、「わーい!嬉しぃ~!」とテンション爆上がりにはならないでしょう。嬉しいことは嬉しかったんでしょうけれども、暗い気持ちを吹き飛ばすほどのものではなかった、というのが、この前半に漂う、暗さとなっています。



さわって 変わって 愛も花もない夜を越えて

さわって 変わって 春が忍び寄ってくる心地

優しい風 二人を包め

詞の中の「さわって・変わって」とは「野球のタッチアウト、攻守チェンジ」のことで、まぁ間違いないと思います。この「さわって・変わって」がサビのたびに繰り返されるのもまた、野球の激しい攻防戦をよく表現しているようで、すごいと思います。

問題は、他の部分です。上記で述べたとおり、「愛も花もない夜を越えて」や「春が忍び寄ってくる心地」は、野球とは結びつかない、まったく関係なさそうなワードです。これをどう解釈するかがカギとなっているわけですが、私はここを解くカギが、ダイエーにあると思いました。

ダイエーといえば、日本で初めて全国制覇を成し遂げたスーパーです。その規模も勢いも、現在のイオンと同じくらいありました。ところがバブルがはじけた頃くらいから業績不振に陥り、最終的にはホークスを手放し、本業もイオンに吸収されていくことになってしまいます。

この曲が発表された2002年は、ダイエーの業績不振が注目されてきた頃でありました。

さて、スーパーは、業績不振になると、どのようなことになるのでしょう? まず「売れない商品」を売り場から外して「売れるモノ」だけを扱うようになります。単純に考えて、売れるモノだけを売るのが、一番効率がいい商売ですからね。というわけで、真っ先にリストラの対象になるのが「お花屋さん」です。花卉は、とても効率が悪い商売なんです。お花屋さんに沢山あるお花の、ほとんどが売れ残り、枯れてしまいます。売れる花に、枯れた分の仕入れ値を上乗せして、高い値入で売って帳尻を合わせているわけです。当然、儲けも少ないです。また、みなさんが誰かにお花を贈り贈られるのって、何かのお祝いか、プロポーズしたい時か、夫婦で大げんかをした後ぐらいでしょう。お花を買う機会がないというのも、スーパーにとっては不必要と判断される部分です。

スーパーにとって、扱っていても利益にならない、という品目は、他にもあります。「タコ」なんかもそうですね。みなさんのおうちの食卓にタコはでてきますか? けっこう値段が高いので、なかなか食べないよ、という方も多いのではないのでしょうか。業績不振のスーパーでは、高級食材であるタコを、毎日毎日売り場に並べておくことができません。なのでタコの仕入れが減ります。減りますと、苦労してとっても儲からないから、ということで、水揚げ量が減ります。博多湾にて、タコの足がからまるほど、タコが繁殖しているのは、ダイエーの、仕入れに使う体力がなくなってきていることの現れともいえるでしょう。

このように、「からまるタコの足」や「花もない」は、ダイエーの業績不振を表していると、私は解釈しました。

でも、そこでダイエーホークスが野球を頑張って、優勝したらどうでしょう?

ダイエーに活気が戻ってくるではありませんか。

ホークスを応援することで、ダイエーが復活する。「愛も花もない」ような閑散とした売り場という苦境を乗り越えて、ひとも商品も活気が戻って、充実した経営ができるようになれば、ホークスを運営する資金も潤うというものです。

「優しい風 二人を包め」もまた、僕と君の二人のことではないんじゃないかなと。ダイエーとホークスのことを指しているんじゃないかなと。

「春が忍び寄ってくる心地」とは、今がダイエーにとっては、辛い冬の時代だけれども、ホークスと一緒に頑張っていってほしい、という、マサムネさんの願いなのではないのでしょうか。



もういいやとか言いたい時に こらえるオロかさで

3連敗のち3連勝して街が光る

さわって 変わって 絶えず転がる玉を止めて

さわって 変わって 春が忍び寄ってくる心地

優しい風 二人を包め

すでに上記で述べましたが、歌詞、この後半部分はもっぱら日本シリーズのことを指しているような気がします。

細かい話ですが、愚かを「オロか」と書いています。ここもまた、本当に「愚か」な判断をしているわけではない、と言いたいことがわかります。愚直さ、とでもいいましょうか。劣勢になった時のホークスを、それでも信じる愚直さが、この「オロか」に現れていると思います。



いかがでしょうか?

恋の歌だと思って聴いていたら、なんとスーパーの経営に関する曲だった、なんて言われたら、誰でもビックリすると思います。

小売業である八百屋さんの私が解釈すると、どうも考えがスーパーみたいになってしまいます。し、本当にこの解釈であってるのか? と問われると、苦笑いせざるをえません。

まぁ、それだけ解釈の自由度が高いということで、まとめさせていただけますと、幸いです。




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