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スピッツ「TRABANT」に見る、旅とは何か。



こんにちは。八百屋テクテクです。

今回は、スピッツ「TRABANT」について解釈してみたいと思います。

ブログタイトルでは「旅とは何か?」とかいうものになっていますが、この詞は、旅とは何か? について国語辞典的な解説をしてくれているわけではありません。私自身、ちょっとどういうものか説明しづらいので、まず最初に詞を眺めて、それから内容を問うようにしていきたいと思います。




草木もない灰色の 固い大地の上に立つ

道は全部最終的に ぼやけて消えていく

唐辛子多めでお願い 何も変わらないけれど

古い機械も泣いている ため息隠すように

曇り空を突き抜けて 君と旅に出たい

まだ前書きの物語 崩れそうな背景を染めていけ

この部分は、ソヴィエト連邦のスプートニク1号の打ち上げ、および、ルナ計画による月面探査のことを表しているんじゃないかなと。

草木もない灰色の固い大地とは、まさに月面のことです。

この時代の宇宙開発計画は、東のソヴィエト、西のアメリカという超大国の冷戦を象徴するものでした。我々一般人からすると、人類が月に行くのは夢がある、なんてノホホンと考えがちですけれども、宇宙開発というのは、いわば軍事利用のためであり、国防のためのものでした。たとえば、大陸間弾道ミサイルは、衛星軌道にミサイルを乗せ、敵国に入るのと同時に垂直落下させるものです。こうすることで、防御するのが難しい兵器になります。この弾道ミサイルに核兵器が積まれていたら、自国の領域に侵入させた時点で、撃ち落とそうが撃ち落とせまいが、甚大な被害を被ることになります。これを阻止するための手段として、衛星にミサイル、または超電磁砲を搭載し、弾道ミサイルが撃ちあがった瞬間に、超高度から撃墜する防御策が考えられます。このように、宇宙開発というのは、天気予報のためのものではなく、軍事国防なのです。

ただし、理由はどうあれ、我々一般人から見た、「人類が月に手を伸ばした」という事実は、人類の可能性を見せてくれた、希望に満ち溢れた話でした。ソヴィエトからすると、軍事利用が主で、希望はツイデでしょうけれども、人類全体からすると、希望が主で、軍事利用の企みのほうがツイデになります。

この「TRABANT」の詞からうかがえるのは、軍事利用というツイデこそ見え隠れするものの、そこから生まれた希望というものに光を当てたい、とする意思です。

のちのソヴィエトの崩壊により、冷戦が終結し、アメリカとの宇宙開発の戦いは終焉しました。このため、お金のかかる宇宙開発は鈍足になり、こんにちでは、冷戦時代に実現した有人による月面着陸は困難になっています。

社会が発展するためには、戦争が、競争が必要です。「唐辛子多めでお願い」と、自ら苦難を求めて宇宙開発をしようにも、結局時代の大渦の力の前では、いち個人、いち組織の能力なんて、焼け石に水。なんの役にも立ちません。何も変えられないのです。

古い機械が軋んでいるのを、泣いている、と表現しています。もう役に立たなくなっています。古い機械とは、ソヴィエトのような、古い社会体制のことを指しているのかもしれません。軍事利用という目的が消滅し、為政者はため息をつく一方で、人々には希望だけが残った。

これら、いいこと、わるいこと全てを包含しているのが、この部分で語られているソヴィエトの宇宙開発です。これらの希望をもって、月への旅に出たい、と、この部分では言っています。

長々と語ってきた宇宙開発と、旅との関係が、ちょっとよくわからないですか。まあまあ、疑問はとりあえず置いておいて、次の詞にいきましょう。



寸前の街で生まれて しずくに群がるアリの

一匹として生きてきた フェイクの味に酔い

部外者には堕ちまいと やわい言葉吐きながら

配給される悦びを あえて疑わずに

高い柵を乗り越えて 君と旅に出たい

本当の温もり想定して すすけている鳩をとき放て

「寸前の街」とは、なんのことでしょう? どの街のことでしょう? 「高い柵」のある街、つまり、街が分断されていることを表しているように思います。このことと、「TRABANT」の時代背景を考えると、1961年から1989年までの、東西冷戦時代のベルリンのことなんじゃないかなと。高い柵とは、東西に分断していた、ベルリンの壁のことなんじゃないかなと。

主人公は、「配給」のある側、つまり東側にいました。ソヴィエト陣営側ですね。社会主義というのは、王様や貴族が支配し一部の特権階級が甘い蜜を吸い、そのほか大勢の人々が奴隷として支配されていた国家体制とは違い、誰もが平等で、貧富の差もなく、幸せに暮らせる社会体制のことです。この国にいる彼は、ベルリンの壁崩壊、つまり社会主義体制崩壊寸前の街に生まれて、貧しいいち労働者として、ちょっとした配給をありがたいと思いながら、外の世界がどうなっているのかも知らず、社会主義が抱える論理の矛盾なども疑わず、ただただ現状の「フェイクの味に酔」ったりしていたわけです。

こんな状態から、「高い柵を乗り越えて君と旅に出たい」と言っています。

鳩は、平和の象徴です。戦争の象徴であった高い柵を越えて、平和の象徴を解き放つ。これは、意味がわかると心にズシンとくる表現ですね。

どうですか。ソヴィエトの崩壊、ベルリンの壁崩壊と、それに伴う希望。歴史というものを俯瞰すると、人間というのは、常に旅をしているように思います。いくつもの国を作り、争い、壊し、その営みの中で、新たな希望とともに、何かを作り上げてきたのです。人類の歴史いうものを、ひとりの人格として捉えたとき、とても活発で、好奇心があって、希望というものを求めて世界中を旅してきたんだな、ということがわかります。

そうです。ブログの最初で、これは旅の話です、と申しましたが、個人の旅行の話ではなく、人類全体による、目指すべきものを模索しつづける、大いなる旅を表した詞なのだと思います。



塵と間違えそうな 伝説かき集めて

隠された続きを探る

ギリギリの持ち物と とっておきのときめきを

君の分まで用意して 今日も夢見ている

その時が来ることを すぐにでも来ることを

最高の旅立ちを 今日も夢見ている

さて、最後の詞です。ここは、特に深く探るものがない部分だと思います。旅に出たいと熱望する様子が描かれているのだと思います。

ただ、詞の1番と2番の内容、そして「TRABANT」の意味である「随伴者」ということを踏まえて、この部分を眺めると、印象がだいぶ変わってきます。

マサムネさんは、TRABANT、つまり人類の随伴者という立場なのだと思います。歴史家とか、詩人とか、そういう立場から、人類の歴史というものを俯瞰して眺めています。そして、人類をひとつの意思のある人格として捉えて、この人格に対して、「一緒に旅をしよう」と投げかけています。とっておきのトキメキを求めて。




という感じで解釈してみましたが、いかがでしたでしょうか?

アーティストという職業はしばしば、この詞のような、「TRABANT」の役割を担っています。社会を風刺したり、闇を描いたり、はたまた光を指し示したり。人類はそれを眺めることで、自分たちの立ち位置を理解していきました。アーティストは、長い長い人類の旅にとって、よい随伴者だったのです。

マサムネさんもまた、よい随伴者であろうとしてくれていることが、この詞でわかります。スピッツというと、恋だ愛だと、なにやらフワフワしたものばかりをテーマにし、また私たちファンも、そういうものを彼らにオーダーしがちなんですけれども、この詞のように、社会について鋭く抉った曲というのも、ちらほら見受けられます。そういう曲を作ることこそが、アーティストとしての命題だ、とでも言わんばかりに。

それらしい曲を探すのは、一見難しいんですけど、八百屋テクテクのブログの中を見ることで、それらしい曲を発見することができると思います。

「TRABANT」っぽい曲を見つけて、さらなるスピッツの魅力に迫りたいと思う方は、ぜひ下の画像から、八百屋テクテクのブログを見て行ってくださいね!(宣伝)






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