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風待くだもの店~その1~

更新日:2021年5月22日





彼が通う高校の、地理の高橋先生が、病気で入院した。

そのためこの少年は、クラスを代表して、放課後、見舞いにいくことになっていた。

高橋先生は、特に人徳のある先生ではなかったので、


「見舞いに行きたいひとはいる? いないなら、代表で誰かいこうね」


と担任の先生が発言したとき、クラスのみんなは、いっせいに、責任を押し付ける相手を探した。

みんなの視線の先には、この少年がいた。結局クラスのみんなに、面倒を押し付けられた。



「ねぇねぇ、君が坂谷君、だよね? Aクラスの代表になったんだって? 私、Bクラスの代表。よろしく。私のこと、もちろん知ってるよね?」


「いや……えっと、ごめん……」


「ふぅーん。ま、別に謝らなくてもいいよ。隣のクラスだから、見かけたことはあるけど、お互い話をしたことはないんだし。私は岩倉。ガンちゃん、とでも呼んでね」


「いや、ガンちゃん、ってのはちょっと……」


「冗談よ。そんな馴れ馴れしいこと言ったら、ぶっ飛ばすから。とにかく、まずは、お見舞いの品を買いにいかないとね。果物とかでいい? あっ、ごめーん。そういえば私、この後約束があったんだ。ごめんだけど、預かった見舞金渡すから、ちょっと買ってきてくれない?」


「えっ」


「ちゃんと金額分買って、レシート貰ってきて。後で調べるから。着服しないでね。私まで共犯になっちゃうから」


言いたいことだけ言って、とっとと少年の後を去っていった岩倉さん。

彼女の向かう先には、にこやかに手を振る、社会人らしい男性。男性のもとに駆け寄った岩倉さんは、楽しそうに腕をからませて、少年に背を向けて歩き出した。

男性と彼女は、これから何をしようとしているのか。

クラス代表として見舞いにいくことよりも大事な用事があるのか……。

岩倉さんと、できれば男性にも文句を言いたい気持ちはあったけど、少年は口には出さなかった。

クラス代表として見舞いにいくことよりも大事な用事なんて、ほかにもいくらでもあるだろう、と、心のどこかでは、気が付いている。

真面目に律義にひっそりと。そう役割をこなして、周囲に笑われるか、ばかにされる。それが嫌なことなのは、なんとなくわかるけれど、嫌なことを嫌といえるほど、積極的ではない。それがこの少年だった。


とにかく、果物を探さなきゃ……。


少年は、課された目的に忠実に、果物を探し、たどり着いた先が、駅前の錆びついたシャッター街にある、この果物屋さんだった。


『風待くだもの店』


という看板を、そのシャッター街の中で見つけたとき、少年は、おや? と思った。

たしか昨日までは、何もなかったはずだった。

どうも最近は、リノベーションとかいうのが流行っているらしい。駅前の活性化とか、テレビでやっていた。

この、くだもの屋さんも、その流れなのかな……。

頭の中に浮かんだ、その疑問は、お店の中に足を踏み入れた時には、消え去っていた。


店内は、色とりどりのフルーツが並べられている。

スーパーよりも面積は全然小さいけれど、もしかすると、スーパーよりも品数が多いかもしれない。

見たこともない果物に、女性の字で書かれた可愛い手書きのポップ。店の外まで漂うような芳醇な香りに、果物たちを照らし出す、柔らかくて落ち着いた照明。

駅前の寂しい雰囲気とはうってかわって、お店の中はとても華やかだった。

お店の中に足を踏み入れたとき、このお店の華やかさに「わぁ」と小さく声が出てしまったけれど、奥から若い女性の店員さんが出てきたときは、息すらもでなかった。

肩まで伸ばした柔らかい髪に、白磁器のような、透き通った白い肌。なにより、彼女の深い海のような色の瞳に、少年の意識は溺れて沈んでしまいそうになった。

絵にも描けない美しさ、という童謡が思い浮かんだ。竜宮城の乙姫様がいるとしたら、きっと、この人のような姿かたちをしているに違いない。


「あの……果物が欲しいのですが」


幼い子供でも話せる短い言葉なのに、緊張して、喉からしぼり出すのがやっとだった。

暑い日だったのに、風邪でもひいているみたいな、かすれた声しか出なかった。


「どんな果物がいいのかな?」


ん? と少しかがんで、瞳をのぞき込んでくるお姉さん。

買い物の内容を聞かれているのに、心の底まで覗かれているような、そんな気恥ずかしさがあった。

少年は、つい視線をそらした。見つめられると、どきどきと心が上滑りしてしまう。


「えっと、あの……実は、クラスでお見舞いにいこう、って話で、ぼくが代表で、あの、もう一人いたんですけど、そいつは男と一緒にどっかいっちゃって……」


自分でも、何言っているか、さっぱりわからない。ワケのわからないことを言っているという自覚があるだけに、余計に辛い。

後頭部が熱くなっている。やっぱり風邪を引いたんじゃないかというぐらい、意識がぼーっとしている。

それでも、果物を買わなくては、という目的に支えられて、なんとか話を続けることができた。本当に、目的なくこの場所に足を踏み込んでしまっていたなら、きっと逃げ出していたに違いない。

お姉さんは、でも、穏やかに笑って、話を最後まで遮らずに聞いてくれた。


「じゃあ、果物の盛りカゴを用意すればいいかな?」


「はい」


「内容は、どうしよっか。先生の嫌いな果物とか、ある?」


「えっと、わかりません。あの先生は誰からも嫌われているので、誰にきいてもわからないと思います」


「そっか……。予算は?」


「はい、あ、えっと、これで……」


「ありがとう。じゃあ、ちょっと待っててね。すぐにできるから」


お姉さんは、すぐにお店の奥に入っていった。

待っている間、少年は、店内を見渡してみた。

お姉さんが入っていったところには、二人ぐらいが座れるカウンターがあった。お店の果物を使った、フルーツジュースを提供する空間になっているようだった。

ジュースの金額は、一番安いもので300円。

こういうところの相場なんてわからなかったけれど、コンビニや自販機にいけばジュースなんて150円もあれば買える。

いろんな意味で、自分にとっては無縁の場所だな、と少年は考えていた。

居心地が悪いこと、この上ない。早く逃げ出したいような、そんな気持ちでいっぱいだった。

でも、一方で、少しでもここに留まりたい、という気持ちもあった。心のどこかが、ここは居心地がいいと訴えている。

どちらの声を聞くべきなのか、少年には判断がつかない。寒いような、暑いような、心がふわふわとした感覚だった。


お姉さんは、ほんとうにすぐに出てきた。

優しく丁寧に手渡された盛りカゴのフルーツたちは、どれもキラキラ光っているようだった。


「改めてみると、果物って、綺麗なんですね。いつも食べている果物に比べても、とても綺麗に見えます。あの、何か、特別に綺麗に見える品種なんですか? それとも、包装がいいのでしょうか?」


少年がそう言うと、彼女は照れたように笑って、少年のために簡単に言葉を並べてくれた。品種が良かったり、保存が丁寧だったりと、いろんな理由を教えてくれたけれど、少年がお店を出るころには、頭の中から綺麗さっぱり消え失せていた。少年の脳みその容量は、このお姉さんの姿かたちを捉えるのに使用しなければならなかったから。


「お見舞いに持っていけば、喜ばれると思うよ」


「あの先生のお見舞いには、もったいないぐらいです」


「先生、早くよくなるといいね」


「はぁ。まぁ……」


お礼もそこそこに、少年はお店を後にした。

あっという間だった。

でも、少年がお店を出てからしばらくは、身体からなにかの果物の匂いが漂ってくる気がした。

その、甘い匂いがしている間は、後悔に似た気持ちを引きずることになった。なんでもっとうまく言えなかったのだろう? なんで、余計なことを言ってしまったのだろう。きっと、バカなやつだと思われたに違いない。びっくりするぐらい素敵な人だったけれど、きっともう会うこともないだろう。できれば、もう出会いたくない。出会えば、きっとまたうまく自分を出せずに、失敗するに違いない。……。

悶々をしたものを抱えたまま、病院に行って、高橋先生を訪ねた。

面会を済ませた後、先生に盛りカゴを差し出した。

先生は一瞥した後、「果物かよ」と呟いた。

受け取らずに、病室の片隅を指さして「置いていけ」と命じた。

お姉さんの作ってくれた果物の盛りカゴに、何の興味もなさそうだった。

少年は、嫌な気持ちになったけれど、まあ、そういう先生だから……とすぐに思い直そうとした。はじめから事務的に果物を買って、事務的に面会し、事務的に果物を置いてくるつもりでいた。果物を無視されて、嫌な気持ちになる予定は、そこには含まれていないはずだった。

少年は、つくづく、お姉さんに気持ちを狂わされている。

病院をあとにし、家に着くころには真っ暗になっていた。





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