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スピッツ「8823」は、漫画に音楽の方向性を見つけた話だった説。



こんにちは。八百屋テクテクです。

今回は、スピッツ「8823」について解釈していきたいと思います。

この詞のタイトルの由来は、西岸良平さんの漫画からとったものだそうです。どの漫画のどの部分を引用したかまではよくわかりませんでした。海底人8823というのがあるそうなのですが、そのあらすじと、マサムネさんが手掛けた詞の内容は異なっております。ので、これ以上詞のルーツを探るのは難しいです。

とはいえ、私は「漫画」からとった、という、この一事のみが重要なんじゃないかなと思っています。

この詞は「漫画はすごいぞ! なんか今まで音楽を作るのしんどくて、アイディアに煮詰まっていたけれど、漫画読んだら新しインスピレーション湧いてきた!ウオーッ!音楽を作るやる気もでてきたぜーっ!」っていう曲なんじゃないかなと。

どういうことなのか。順番に詞を眺めていきましょう。




さよならできるか 隣り近所の心

思い出ひとかけ 内ポケットに入れて

「隣り近所の心」とは、マサムネさんの横に並んでいる、音楽仲間のことだと思います。彼らはロックな音楽に邁進しており、ロックで突っ張っていることを誇りに思って生きています。ロック以外になることを許さない、そんな厳しさがあります。マサムネさんもそれに混じって、「うむ、俺もロックで生きていくぜ」と、突っ張って生きてきました。が、ロビンソンのブレーク後、世間はスピッツのことを、Jポップミュージックとして認識しました。CDコーナーにいけば、スマップの隣にコーナーを作られていました。カラオケボックスや、のど自慢大会では、老若男女問わず歌われました。チェリーなどは、清く正しい音楽の代表として、中学校の音楽の教科書にも載りました。ロックアーティストとして、頭を抱えたくなるような事態だったでしょう。実際、アルバム「ハヤブサ」の前にリリースされたアルバム「フェイクファー」では、方向性に相当悩んで悩んで、迷走しながら作っていたそうです。

でも、この詞「8823」を制作したことで、悩みから解放され、アルバム「ハヤブサ」を手掛けるきっかけとなったそうです。つまり、この8823が、マサムネさんの大きな転換点だったわけなんです。いったい何が起こったのかというと、最初に「さよならできるか」と自分に問いかけたのです。今までのロックに、自分の音楽性の根幹を成していたロックに、思い切ってさよならできるか、と。

「思い出ひとかけ 内ポケットに入れて」は、行先を想像させてくれます。この思い出が何かというと、先ほど触れた「西岸良平の漫画」を読んで、感動した思い出なのだと思います。「今までロックでみんなを感動させよう、って躍起になっていたけれど、俺はロックだけじゃないんだ。ロック以外にも感動した経験って、山ほどあるじゃないか。どうしてそれを、取り入れようとしなかったんだろう…?」っていう気づきがあったんじゃないかなと。だからこそ、封印していた幼いころの思い出を、再び内ポケットに大事に入れなおしたんじゃないかなと。



あの塀の向こう側 何もないと聞かされ

それでも感じる 赤い炎の誘惑

「あの塀の向こう側 何もないと聞かされ」における、塀の向こう側にあるものは、漫画のことだと思います。ロック仲間たちは、漫画のことをバカにしていたのだと思います。あんなもの、子供の読み物だと。

確かにこの時代、少年ジャンプは少年だけの読み物でした。大人になっても読んでいると、けしからん、とバカにされたのです。大人は少年誌を卒業し、朝日新聞を読まなければいけませんでした。ゴルフ、パチンコ、競馬、競艇、競輪、麻雀をしなければいけませんでした。

そんな、誰もが無理やり大人の階段を上らされている風潮の中、ロックミュージシャンが漫画を読んでますと言ったら、まわりはどう思うでしょう? いや、漫画から学ぶこともあるというのは、今となってはもはや常識なんですけど、当時は子供の読み物という認識です。「いや、漫画も勉強になるんすよ」とマサムネさんが言っても「漫画なんか読んでも、役に立つことなんて何もないぞ」と大人たちは笑ったでしょう。そんな時代だったのです。大の大人が漫画を読むのには、抵抗感という壁や塀があったのです。

でも、「それでも感じる 赤い炎の誘惑」の部分に、マサムネさんの漫画に対する情熱を感じます。そんな情熱、どの漫画に感じたのでしょう?

もし「赤い炎」が何かの漫画を例えであるとするなら、思い浮かぶのがこの時代に連載されていた「烈火の炎」でしょう。いや正直、赤い炎で連想される漫画って、ほかにも沢山ありますよね。「るろうに剣心」の志々雄真実も炎の使い手でした。「ドラゴンボール」の孫悟空も、界王拳使った時に赤い炎みたいになります。「ダイの大冒険」にて、まだまだ駆け出しの魔導士ポップが、自分の命を削って禁呪法のフィンガー・フレア・ボムズを使った時は感動しましたし、そのポップが成長して大魔王バーンの火系究極呪文カイザーフェニックスを素手で解除したのは一番の名場面です。「幽☆遊☆白書」では、飛影の邪王炎殺黒龍波のシーンが印象的ですが、今現在でも右手が疼く人が続出するほどの人気です。

マサムネさんのいうところの「赤い炎の誘惑」が、もし「幽☆遊☆白書」の邪王炎殺黒龍波のことだったとしたら、マサムネさんも右手に宿した黒龍が夜な夜な疼いて「うっ…!」とか言ってかもしれません。想像すると面白いですね。



誰よりも速く駆け抜け LOVEと絶望の果てに届け

君を自由にできるのは 宇宙でただ一人だけ

ここでの「君」ですが、人間の女性ではないと思います。なぜならこの詞は、あくまでもマサムネさんの創作における方向性の話に終始しているからです。じゃあ何かというと、私は思うに、「君」は「自分の詞、または曲全体」のことだと思います。

そう考えると、「君」を自由にしたり、不幸にしたりと、なんか所有物っぽい扱いなのにも納得がいきます。生身の女性を自由にできる、っていうと、じゃあいままで監禁されてたんか?ってなっちゃいます。不幸も変ですよね。なんか曲のイキオイでそれっぽく思っちゃいますけど、普通に考えたら、生身の、意思のある女性に対する扱いではないんじゃないか、と思えるのです。

なので私は、ここでの「君」は、自分の曲のことだと思います。そして、「宇宙でただ一人だけ」に該当するのは、もちろん、マサムネさんのことです。

こう言い切っているのには、感動します。今までは、「ロックっぽいかな~?どうかな~?」って、まわりの視線を気にして身動きがとれなくなっていただけに、「俺の曲を自由にできるのは、俺だけだーっ!」って言っているのです。吹っ切れた感がありますよね。

「LOVEと絶望の果て」は、今までの自分には発見できなかった、新しい世界のことだと思います。つまり、漫画によって表現されていた世界のことだと思います。マサムネさんは曲作りのために、LOVEもしたし、絶望もしました。あがいてあがいて、あがきまくったその果てに見つけた新世界が、漫画だったのです。



夜明けの匂いを 吸い込み すぐ浮き上がって

裸の胸が 触れ合ってギター炸裂!

「夜明けの匂いを 吸い込み すぐ浮き上がって」は、明日に希望を抱いている表現だと思います。「方向性が掴めたぞ! もうすぐ暗い夜も明けるぞ!」と意気揚々としている部分なのかなと。

「裸の胸」ですが、ここもまた現実の女性の裸体ではなく、漫画の世界のことなのかなと。たぶん漫画の主人公とヒロインが強大な敵を前にして満身創痍になって、裸の胸が触れ合っているシーンを、マサムネさんが眺めているのかなと。めっちゃクライマックスって感じがしますよね。そりゃあギターも炸裂しますわ。



荒れ狂う波に揺られて 二人 トロピコの街を目指せ

君を不幸にできるのは 宇宙でただ一人だけ

「トロピコの街」ですが、意味だけ取り出すと熱帯の街となりますが、歌詞全体を眺めたうえで意味を考えると、「アニメチックな色とりどりの世界」というふうに解釈したいです。「二人」つまりマサムネさんと、マサムネさんが手掛ける曲の、次なる目指すべき場所は、漫画の世界です。その漫画の世界で吸収したモノを、自分のモノとして曲に落とし込んでいくのです。

「君を不幸に」は、自分の手掛けてきた作品を、生かすも殺すも、自分次第と言いたいのだと思います。先ほどのサビでは「自由に」と、自分の権利の部分を主張していますが、今度は自分が手掛けることで発生する義務と責任について語っています。「俺の作品に、漫画成分を入れるぞ。それで失敗して不幸なことになったら、それは自分の責任だ」という覚悟をもって、取り組んでいます。



簡単なやり方でいいよ ガンダーラじゃなくてもいいよ

愚かなことだって風が言う だけど

「ガンダーラ」とは、西遊記において三蔵法師一行が目指した場所で、ガンダーラを経由して最終目的地である天竺に行きます。

これをマサムネさんの事情に当てはめると、「ロックを突き詰めなくてもいいよ」ということなんじゃないかなと。スピッツはロックバンドとして活動してきましたが、ゴリゴリのロック界隈からすると、「スピッツ? うーんロックといえばロックかもしれないけれど……でも、ほかにもっとロックっぽいバンド、あるでしょう?」って言われるぐらいの、純度になっていると思います。スピッツが目指すべきなのは、ロックのガンダーラではないということです。ロックであることにこだわったばかりに、大変な思いをしたマサムネさんとスピッツだからこそ、「簡単なやり方でいいよ」と、自分を自制したのだと思います。

「愚かなことだって風が言う」は、ロックであることを辞めたマサムネさんに飛んでくる、世間の風当たりのことだと思います。「ロックであることをちょっと休憩して、漫画に活路を見出します」だなんて宣言したら、「愚かなことを…」と言われるでしょう。マサムネさん本人が活路だと思っていても、周りはなかなかそうは思わないのです。「常識外れだ、考え直せよ」と、ロックの常識が言うでしょう。



誰よりも速く駆け抜け LOVEと絶望の果てに届け

君を自由にできるのは 宇宙でただ一人だけ

今は振り向かず8823 クズと呼ばれても笑う

そして 君を自由にできるのは 宇宙でただ一人だけ

今は振り向かず君と…

「今は振り向かず8823 クズと呼ばれても笑う」は、この詞をもっとも的確に表現した部分だと思います。サビの大きな盛り上がりに、もっとも言いたかったことを持ってくる技術は、天才としか言いようがないですね。

8823は、漫画のことです。「今は、ロックだった昔を振り向かず、気にせず、ただひたすらに漫画を読んでエッセンスを吸収する。そう決めたんだ」と、宣言しています。そして、純粋なロックを作ってる同業者や、スピッツを硬派なロックバンドだと信じて疑わないファンたちに「お前はロックを汚したクズだ」と呼ばれても、「アッハッハ」と笑うつもりでいます。そういう開き直りの姿勢で、新しい挑戦をしていこう、と思っています。そういう姿勢が、この一文に現れていると思うのです。




という感じで解釈してみましたが、いかがでしたでしょうか?

このアルバム「ハヤブサ」の後にリリースされたスピッツの楽曲において、漫画やアニメのことを描いているんだろうな~、って思える曲が、いくつかあります。もっとも、マサムネさんが公言したわけではありませんので、私が解釈した範囲では、という注釈が付きますが。

ツンデレアニメとか、初音ミクとか、その時代に流行したアニメやアニメ文化を、貪欲に取り入れています。その姿勢は、もしかしたらこの8823から始まっているのではないかなと、私は思います。

スピッツによる、アニメがテーマと思われる曲が気になる人は、どうぞ私の解釈ブログをめぐってみてくださいね。



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