
こんにちは。八百屋テクテクです。
今回は、スピッツ「魔法」について解釈してみたいと思います。
この詞は、言葉の不思議さを描いた曲だと思います。優れたアーティストが、思いをしたためた歌詞を歌い上げることで、不思議な力が沸き上がることがあります。そのことを「魔法」と表現したかったんじゃないかなと。
私たち現代人が魔法ときくと、すぐさまファンタジーの世界を思い浮かべるかもしれません。ハリーポッターみたいに空を飛んだり、杖から光線を出して魔物をやっつけたりする摩訶不思議なパワーを魔法と思いがちですが、このエレクトロニクスが発達した現代にも魔法があります。マジックインキとか、魔法瓶とかが、それに該当します。マジックインキは、鉛筆や墨、顔料などがメインだった当時としては、画期的なペンでした。素早く書けてすぐ乾き、どんなものにも書けて、雨に濡れても滲まない、と、まるで不思議な魔法を使ったみたいなペンでした。魔法瓶は、中に入れた飲み物を保温していられる、不思議な瓶です。これらの不思議さを「魔法」と評しているわけです。人が作った物理的な何かが、人々を感動させることを「魔法」と表現しているわけです。
では、この詞で語られている「魔法」とは、いったいどんなものなのでしょう。
この世界で何が起こっていて、主人公はそれに対して何をしたために、「魔法」と称賛されることになったのでしょう。
順番に詞を眺めていきましょう。
消えてしまいそうな老いぼれの星も
最後の祈りに耳をすませてる
これは、地球のことを指していると思います。今よりずっと未来、人類は地球の資源を吸い尽くし、汚染物質を垂れ流し、果ては戦争の影響で多くの生命体が傷つき、人が住めなくなった地球のことを指しているのだと思います。地球を人間に例えたら、人生の役割を終えて、病魔に侵された後期高齢者。あとは静かにその生命を終えるのを待つだけの状態になっているのだと思います。
この、老いぼれの地球は、「最後の祈りに耳をすませてる」のだそうです。祈りとは、詞の後半にでてくる歌のことです。「最後」とのことですので、この歌が、地球で最後の歌ということになります。ということはつまり、この歌を歌った人間を最後に、地球から人間がいなくなるという状況になっているということが伺えます。
人間が住めなくなるくらい老いぼれた地球と、そんな地球で生き残った、たったひとりの人間。その人間が死ぬ間際に歌おうとしている歌に、地球は耳をすませている、という状況なのです。
サビついた自由と偽物の明日
あの河越えれば君と二人きり
河とは、大きな川を指します。たぶん三途の川を想定してるんじゃないかなと。地球には、歌をうたえる人間はもう僕以外にいません。君はもう口がきけなくなっているのです。この世では僕は一人きりですが、河を渡って向こう岸にいけば、先に亡くなった君と、再び二人きりになれるではありませんか。
こういう状況から逆算すると、「サビついた自由」と「偽物の明日」も解釈できそうです。サビついた自由とは、国や社会が地球から消え去って、どこに行こうと、何をしようと自由になったということだと思います。納税の義務も、勤労の義務もありません。とはいえ、この状況で自由になっても、何もできることはないのです。まさしく、自由がサビついている状態なのです。そして偽物の明日とは、明日という概念は理解できていますが、今日を生き伸びることができないので、明日はもうやってこないのです。明日という言葉は、もはや僕の頭の中でしか存在しえない、偽物となってしまったのです。
もう離さない 君がすべて
風は冷たいけど
この時点で君は、すでに亡くなっています。僕は君の亡骸を抱いて、「もう離さない」と言っているのです。君の体温が無くなっているので、ことさら風が冷たく感じます。
君はもう亡くなってしまっているのに、僕は「君がすべて」としか考えられないのです。君の亡骸以外、この地球上には何もなくなってしまっているのですから。
胸の谷間からあふれ出た歌は
果てしない闇を切り開く魔法
もう離さない いつまでも
風は冷たいけど
さて。このブログの最初に、魔法の意味をお話しました。すぐれた何かで状況を一変させるような発明のことを、私たちは魔法と評しているのです。この場合、歌が魔法ということになっていますが、この絶望的な状況において、どんな魔法が発揮されたのでしょう。ジブリの映画みたいに、僕が歌った歌は地球の環境を一変させ、汚染や戦争の傷跡を、綺麗さっぱり消してしまえたのでしょうか。緑が萌え、花が咲き、青い海が広がり、希望の光がみちあふれ、復活した人々が笑顔で語り合うような日常が、戻ってきたのでしょうか。
残念ながら、違います。「風は冷たいけど」という一文が、それを物語っています。地球の状況は何も変わっていませんし、ただ一人生き残った人間である僕がこの後死ぬのも、変わっていません。歌は、そんな便利なものではないのです。
とはいえ、「果てしない闇を切り開」いてくれたのだけは、確かです。
この場合の闇とは、僕の心の中の闇という意味だと思います。「サビついた自由と偽物の明日」に、うんざりしていたのだと思います。苦しみながら生きるより、綺麗に死んでしまいたいと願っているのだと思います。死ねば、先に逝った君が、待っていてくれているではありませんか。
この場合、死とは、幸いなのです。
ということはつまり、「果てしない闇を切り開く魔法」とは、君の魂が安らかにであるように祈る鎮魂歌と、もうすぐ君のもとに向かうよという死の歌、ということになると思います。死ぬことで、やっと苦しみから解放されるのです。この世にいることに伴う、ありとあらゆる苦痛がなくなるという意味では、この歌は、画期的な魔法なのです。
「胸の谷間からあふれ出た」からわかるとおり、僕は、心の底から、死を望んでいるのです。
という感じで解釈してみましたが、いかがでしたでしょうか?
この詞は、なかなか不思議な曲です。歌詞の意味が細かくわかってない状態で聴いても、なにやら不穏な感じが漂う曲になっています。私はこの曲を、中学生の、青春ど真ん中の時に聴いたものですから、全然ピンと来ていませんでした。大人になって、物事がいろいろ見えるようになって、はじめて腑に落ちるタイプの曲なのかもしれません。
大人向けの曲は、大人になってからしんみり聴くのが、もっともその良さを享受できる聴き方なのかもしれません。夏目漱石やヘルマンヘッセ、芥川龍之介は、国語の授業で勉強しますが、その内容が本当に理解できるようになるのは、分別ある大人になってからなのです。
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