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スピッツ「雪風」は、供養の曲説。~スピッツ歌詞解釈~




こんにちは。八百屋テクテクです。

今回は、スピッツ「雪風」の歌詞を眺めながら、幻想の世界に浸ってみたいと思います。

「雪風」については、マサムネさんは、「雪国のことを妄想して作りました」と言っています。なので、この詞は妄想なのだ、という前提に立てば、より近しいものが推察できるんじゃないかなと。

いつもなら解釈という形で、「ここは、こういう意味です。ほらほら、最後はこうなるでしょ」みたいな感じで、逐一説明をしていくスタイルなんですけど、この「雪風」については、そういう解釈よりも、もっと大事な部分があるんじゃないかなと思える曲です。

理論的な解釈はほどほどに、あくまで妄想として、詞をなぞることで、マサムネさんが何を考えていたのかを、追体験する方式で、このブログを読んでもらえたらいいな~と。

やってみましょう。




まばゆい白い世界は続いてた また今日も巻き戻しの海を

エイになって泳ぐ

これは、妄想の世界にいることを表現しています。どういう妄想かというと、マサムネさんはエイになって泳いでます。問題は、どこを泳いでいるのかということですが、「巻き戻しの海」だそうです。過去の海ではありません。泳げば泳ぐほど、過去にさかのぼっていくという、そんな不思議な海を泳いでいっているのだと思います。

そして、「まばゆい白い世界は続いてた」と言っています。この過去に繋がる海ですが、それはもう、まばゆい白い世界なのだそうです。過去が光と希望にあふれていたことが伺えます。この光あふれる過去が恋しくて、マサムネさんは、「また今日も」過去にさかのぼっているのです。

同時に、今現在にはもう、この光は失われているということが伺えます。過去にしか存在しない光を探すために、妄想の過去の海を泳いでいるのです。



じゃれあってぶつかって大わらい 割れた欠片と同じ物を

遠い街まで 探しに行ったね

過去の海にて、エイになったマサムネさんは、誰かとじゃれあっています。現実にはもういなくなってしまった人だと思います。

生きているということは、何かを探してどこかにいくことです。私たち人間は、そのほかの動物のように、食べて寝ることだけでは満足できない動物なのです。意識的にしろ無意識的にしろ、つねに何かを探求し続けることを目的としてしまうのです。「割れた欠片と同じ物を遠い街まで探しにいった」ことは、生きている証なのです。もちろんその前の、「じゃれあってぶつかって大わらい」もまた、生きている証です。人間の生の、みずみずしさを感じる部分です。



すごく懐かしいだろ? 可愛らしいだろ?

あの日の温もり よみがえる

これでいいかな? ダメって言うかな?

雪風の中 問いかけてみる

「すごく懐かしいだろ? 可愛らしいだろ?」は、マサムネさんが自問自答している部分だと思います。過去の海で、親しかった人に再会し、ぬくもりを感じている部分です。

でも、この再開は、あくまでもマサムネさんの想像の中の話です。マサムネさんは、過去の海にて、親しかった人の幻想を作り出して、対話を試みているわけです。

「あの人は、なんて言うだろう? 『あ~らいらっしゃい、久しぶりねぇ~』っていう感じかな? 『な、なんでアンタがここに…!?』って驚くかな? あの人がもし、俺の想像の中でこんな再開をさせられていると知ったら、これでいいって言うかな? ダメって言うかな?」と、再会の際の細かな設定まで、あれこれ考えている部分です。

私がポイントだと思うのは、これらを想像している舞台が、冷たい雪風の中だという点です。タイトルが「雪風」であるように、マサムネさんがこの詞で言いたかったのは、過去の人と妄想に浸る話よりも、それが「雪風」の中で行われるということを強調したかったんじゃないかなと。

冬というのは、植物が枯れる、死のシーズンです。この環境では、人間も動物も普通には生きていけません。雪風が吹いているような環境は、普通は、生き物が生き生きする環境ではないのです。

ということは、つまり、死者の魂が還っていく、神聖な場所なんじゃないかなと。

亡き人に思いを馳せる行為というのは、神聖な行為です。私たち日本人には、お盆の風習があります。お墓参りの風習があります。お墓や仏壇の前で亡き人を想うことを供養といいますが、それ以外の場所で亡き人を想っても、それはそれで、立派な供養です。

雪風の中というのは、マサムネさんの中では、神聖な供養の場だということなのだと思います。



現実と離れたとこにいて こんなふうに触れ合えることもある

もう会えないって 嘆かないでね

供養とは、供に養うと書きます。現世にいる自分が天国にいってしまった彼の人を想うとき、彼の人もまた、自分を想ってくれているのだ、という仏教思想を表した言葉だそうです。

この部分は、まさに、供養のことを言っているんじゃないかなと。

マサムネさんは現世にいますが、想い人は天国にいます。ですがマサムネさんが過去の海にて、想い人の言動をアレコレ妄想しているとき、実は本当に想い人も天国からマサムネさんのことを見ていて、「いや、その妄想はいいけど、あの妄想はダメだわ」とアレコレ注文をつけているのだと思います。

現実と離れたところにいる人でも、こういう形で、触れ合うことができるわけです。

現実ではもう会えないけれども、嘆くことはない、と自分に言い聞かせている部分なんだと思います。



お願い夢醒めたら 少しでいいから

無敵の微笑み 見せてくれ

君は生きてく 壊れそうでも

愚かな言葉を 誇れるように

雪風の中で、マサムネさんが想い人との妄想を繰り広げることを「夢」と表現しています。マサムネさんの妄想の中にいる人は、あくまでも妄想で出来上がっている人であり、現実に生きていた彼女そのものではありません。記憶の中にいる人というのは、少しずつ、現実と乖離していきます。影や形もそうですし、考え方などもそうです。いやな言い方かもしれませんが、マサムネさんの妄想に都合のいい人間へと改ざんされてしまうのです。

なので、この妄想が覚めたとき、自分の記憶を修正するという意味で、「本当の彼女」を見る必要があるのです。写真とか思い出とか、彼女がこの世に残した痕跡を追う必要があるのです。正しい形で、過去の海で彼女と再会を果たしたいから。

でも、「お願い」とか「少しでいいから」とかと言っているあたり、彼女が現世に残した痕跡は、ほとんど何もないことが伺えます。「無敵の微笑み」つまり、現実世界において、正真正銘の彼女が微笑んでいる姿というのは、もうどれにも残っていないのです。

「壊れそうでも」とは、マサムネさんの記憶の中にいる彼女が、マサムネさんの記憶の改ざんにより、崩壊が進んできているということになります。マサムネさんには「ああ、彼女が壊れつつあるな…」という自覚はあるけれども、彼女が現実にいないので、修正のしようがありません。ただゆっくり崩壊していくことを、悲しみをもって眺めているだけになります。

でも、「君は生きてく」と言っています。この詞というのは、あくまでも前向きな詞なのです。彼女を失った悲しみや、彼女の面影が自分の中から消えていく悲しみは表現されていますが、それをふまえつつも、あくまでも前を向くための詞となっているのです。

その前向きさが「愚かな言葉を 誇れるように」に表れています。マサムネさんにとっては、自分が紡ぎだした詞は、とくに意味を持たない、愚かな言葉だと認識しています。でも、自分が紡ぎだした言葉が、生前の彼女のもとに届いて、「いい詞ですね」と感動してくれていたのでしょう。ほかのどの部分が壊れていこうとも、生前の彼女から貰ったこの言葉だけは、正真正銘の本物の彼女の想いです。それを想うと、誇れる気持ちになれます。そういう気持ちで、締めくくられています。

雪風は、前を向くための詞です。



涙が乾いてパリパリの 冷たい光受け立ち上がれ

まだ歌っていけるかい?

ここも、マサムネさん自身に対して向けられる言葉です。ここまで語られたことを踏まえたら、「まだ歌っていけるかい?」の答えは、もちろんイエスでしょう。




という感じの内容になっていると、解釈しました。

雪風の詞をなぞったうえで大事なことは、雪風の詞の意味そのものよりも、マサムネさんと、その想い人が、妄想の中でどんな会話を繰り広げたのだろう、ということです。

これは、自分の親しい人が亡くなってしまった場合に、どう向き合えばいいのか、という答えになっているんじゃないかなと。

雪風は、そんな曲になっているんじゃないかなと思います。



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