
こんにちは。八百屋テクテクです。
今回は、スピッツ「鈴虫を飼う」について解釈していきたいと思います。
この曲は、マサムネさんの才能についての考え方を現わした曲だと思います。鈴虫とは歌の才能のことで、みんなに褒めてもらえるような美しい声になるよう、じっくり飼い育てているというわけです。
なので、この詞を解釈していくうえで、マサムネさんが自分の才能のことをどう考えていたのかについて深掘りしていくことになりますが、正直めちゃめちゃ難しくて、うまく言語化できない部分があります。たんなる八百屋さんでは到達できない、限界を超えた部分に、その答えがあると思っています。そのぐらい、ふかーい内容になっていると思うのです。
この八百屋さんに、どこまで迫れるかはわかりませんが、なるべく頑張って解釈していきたいと思いますので、どうぞみなさんよろしくお願いいたします。
詞を順番に眺めていきましょう。
天使から10個預かって
小さなハネちょっとひろがって
最初に「天使から10個預かって」とあります。これはいったい、何を預かったのでしょう。鈴虫のことでしょうか。だったら矛盾がありますよね。そうです。虫を「個」で数えているところです。虫なら「匹」になります。マサムネさんは、詞を解読しようとしてくれる人の為に、矛盾が生じないようキッチリ詞を作り上げてくれています。なのにここは「個」を使った。これは、昆虫の鈴虫のことじゃないよ、という、大事なメッセージが含まれていると思います。
この、天使から預かったものは、才能だと思います。才能を、10個預かったのです。
その後の流れから判断すると、天使とは、普通の人間がどんなに頑張っても到達できない領域にいる人のことを指しているのだと思います。ビートルズ、レッド・ツェッペリン、クイーン、ローリング・ストーンズ……、同じ人間とはいえ、今からどんなに頑張ってもたどり着けないでしょう。当時、まだ無名だったマサムネさんは、自分のはるか頭上、雲の彼方にいる彼らを見上げて、「すごいなぁ……」と驚嘆するしかなかったのです。
でも、マサムネさんにも、これまで培ってきたものがあります。ビートルズやクイーンなどのCDを買って、感性を磨き、音楽の勉強をしたのです。今、マサムネさんに備わっている音楽に関するすべてのことは、彼ら天使から預かったものなのです。
とはいえ、彼らの天使の歌声に対して、マサムネさんが持っている才能といえば、鈴虫レベルです。いや別に、卑下しているわけではありません。鈴虫は古来その音色を楽しまれてきた虫で、長い歴史と伝統があります。天使の歌声とまでにはいかなくとも、鈴虫くらいにはなっているだろう、と、あくまでも冷静に自己分析して、そう表現しているのだと思います。
では、鈴虫レベルとは、どのへんなのでしょう? この時のマサムネさんは、デビューしたばかりのピヨピヨアーティストでした。それも、デビュー曲が大ヒットしたということもなく、それに続くシングルもまた、どれもマサムネさんの納得のいく売り上げを上げられずにいました。デビューしたか、していないかの違いがあるだけで、中身はインディーズ時代に肩を並べていた他のインディーズバンドと、たいして違いが打ち出せていない状況です。他の有象無象の鈴虫たちと比べて、「小さなハネちょっとひろがって」というレベルなのです。
膝を抱えながら色のない窓をながめつつ
もう一度会いたいな あのときのままの真面目顔
マサムネさんは、膝を抱えながら、はぁ……、と悩んでいます。天使の歌声に対する憧れと、早く結果を出さなくちゃという焦りばかりが強くなるだけで、前に進んでいる感じがしないのです。それが、目の前の景色に色をなくさせているのです。自分の今の状況に、絶望しかかっているのです。
「もう一度会いたいな」とは、自分の歌声に魅了された人を、ステージの上から見つけたのでしょう。真面目な顔をして、自分を見つめてくる彼または彼女。その人だけが、自分の価値をわかってくれそうな気がしています。だからその人と、もう一度ステージの上で会いたいのです。同じように真面目な顔をしているその人を見つけて、「自分のやっていることは、間違ってなかった」と安心したいのです。
誰かもわからない、ファンの一人にすがっているあたり、相当追い詰められている感じがします。そのぐらい、この時のマサムネさんは、ギリギリだったということが伺えます。
鈴虫の夜 ゆめうつつの部屋
鈴虫の夜 一人きりゆめうつつの部屋
「鈴虫」は、自分の声の才能です。それをひとりで育ててる、ひとりぼっちの夜です。誰からも「すごいですね。才能ありますね」と声もかけられず、ただ一人将来への不安と焦りに怯えて、それでも自分の才能を信じるしかない、という、心細い夜を過ごしているのです。「ゆめうつつ」つまり、叶えたい夢と、結果が出せずにいる現実の狭間で、ひとりで頑張っているのです。
前うしろ前 転がった
なぜだろうまだ気になった
乗り換えする駅で汚れた便器に腰かがめ
そいつが言うように 見つけた穴から抜け出して
ここです。私がもっとも、説明が難しいと感じた部分です。
ここは、世の中の人に才能を認めてもらうのがいかに難しいかを物語っている部分なのだと思います。才能が認められるには、その人に才能が本当にあることと、その人の才能を世間が認めることの2段階が必要です。どちらが欠けても、有象無象に埋没してしまうのです。そしてマサムネさんは、鈴虫レベルの自分の才能に不安を持っています。自分の声は、天使の声ではないのです。この声で、はたして勝負していけるのだろうか……と。
「前うしろ前 転がった」と、いちおう、もがいてみることは試みています。正しく真面目に音楽を頑張ってみようとはしています。
でも実はこの時点でマサムネさんは、まともに勝負をすることを放棄しています。正しく頑張っても、ダメだろうな、と見切りをつけています。
まともな勝負とは、素晴らしい曲を作って、素晴らしい演奏をすることです。そうやって頑張っていれば、自然とみんなが才能を認めてくれて、有名になれる……というわけですが、こういう正攻法が通用するのは、天使の歌声と天使の才能を持つ、本当に限られた人たちだけです。それこそビートルズやレッド・ツェッペリンなら、それで大丈夫だったでしょう。クイーンは、売れるまでそこそこ苦労しました。クイーンでさえ、正攻法ではダメだったかもしれないのです。クイーンでダメなら、スピッツで正攻法での成功は、もっと絶望的でしょう。
なので、詭道を試すことにしました。それは「乗り換えする駅で汚れた便器に腰かがめ そいつが言うように 見つけた穴から抜け出して」ということです。一体、何をしたのでしょう?
たぶんですけど、音楽的に汚れた手段だと思えることに、手を伸ばしたのだと思います。
駅は、線路の中継地点です。マサムネさんはこれまで、ロック路線を走ってきました。が、ここで乗り換えのために、駅に立ち寄ったのです。のちにマサムネさんは、アルバム「クリスピー」にて、ポップな路線に挑戦していますが、これは今までやってきたロック路線からすれば路線変更になります。
でも、ただの路線変更ではダメなのです。ロック路線には競合がひしめていていますが、ポップ路線にだって競合がいます。ロック路線でもポップ路線でもない、駅のトイレにある抜け道みたいな、邪道を行く選択をしたのだと思います。
いい言い方をすれば、オリジナルですが、マサムネさん的には、「汚れた便器で見つけた抜け道」にしか、今のところ思えないような道であるみたいです。
技術って、レベル上げに似ています。ビートルズがロックレベル98とかその辺ですが、マサムネさんはロックレベル50くらいで頭打ちになってしまいました。そこでポップにいこうとすると、またレベル1からやり直しになります。これが邪道になっても同じです。レベル1からはじめなければならず、「こんなこともできないの?」って素人にすら笑われる部分から、取り組まなければいけません。この経験が、やがては自分を強くするとわかっていても、全然ダメなレベルのものしか作れないのは、恥ずかしいのです。大企業の重役がリストラされて、明日食べるものがないとしても、コンビニでアルバイトはできないと同じです。
でも、マサムネさんは、覚悟をしています。大企業の重役だった自分がコンビニのアルバイトになって、客から笑われる覚悟をしています。汚れた便器を掃除しまくって、そこから活路を見出すつもりでいます。何をしてでも、音楽を、やり続けたいからです。
油で黒ずんだ 舗道にへばりついたガムのように
慣らされていく日々にだらしなく笑う俺もいて
ここもまた、どうにも活路が見いだせないでいる自分を、自嘲している様子が描かれています。自分を、すごく汚いものだと思っています。
でも、汚いと思われても構わない、とも思っています。諦めのような、開き直りのような、そんな感じがします。
鈴虫の夜 ゆめうつつの部屋
鈴虫の夜 のどぼとけ揺れて
鈴虫の夜 ゆめうつつの部屋
鈴虫の夜 一人きりゆめうつつの部屋
でも、自分の才能を伸ばそうとすることを諦めてはいません。「のどぼとけ揺れて」つまり、声を震わせて、歌っています。
なりふり構わず、便器で活路を見出すんだ、とひとりで虎視眈々と実力を蓄えることを誓っているのです。
という感じで解釈してみましたが、いかがでしたでしょうか?
「鈴虫を飼う」については、ずっと前から難しいことはわかっていました。解釈メンドクサイな、と思っていました。相当悩むことが予想できたからです。悩みながら書きましたが、はたしてこのブログを読んでくださっている皆さんには、伝わりましたでしょうか。うまく伝えきれない部分もあったんじゃないかなと思います。それが、自分としてはもどかしいです。
この詞は、当時のマサムネさんの苦しさを、本当に表現してくれている詞だと思うのです。めっちゃ価値のある詞だと思うのです。そこまではわかっています。問題は、この私にそれを伝えるための力がないことです。残念に思います。
もっと才能のある若い人が、この詞をもっと適切かつキレイに解釈してくれることを、この八百屋さんは望んでいます。後世にずっと伝えていきたい、そのぐらい価値のある曲だと思うからです。
スピッツが好きな八百屋さんの記事一覧はこちらからどうぞ↓
Comments