スピッツ「野生のチューリップ」は、作品に行き詰った時の話だった説。
- 八百屋テクテク
- 2024年12月15日
- 読了時間: 4分

こんにちは。八百屋テクテクです。
今回はスピッツ「野生のチューリップ」について解釈してみたいと思います。
この曲は、「流れ星」とペアになっている曲なんじゃないかなと思います。「流れ星」は、僕にしか見えない地図、つまりスピッツの曲を作詞作曲するための紙の上で、自分の中の流れ星、つまりインスピレーションと対話している話でした。これをなぞったように、星と地図というフレーズが「野生のチューリップ」にも出てきます。制作された時期も同じインディーズ時代ということで、同じモチーフで曲を作ろうと試みていたんじゃないかなと、私は想像しています。
順番に詞を眺めていきましょう。
夜空にいつもの星が見えない
ポケットに破れた地図をつめ込んで
「流れ星」では、作詞作曲するための地図の上で、流れ星という名のインスピレーションに頼って、気づいたら太陽が沈んでいたというぐらい熱中して、制作していました。
でも「野生のチューリップ」では、「星が見えない」ということです。「流れ星」の内容に沿えば、いいアイディアが浮かばないよ~、ということなんじゃないかなと。「破れた地図」もそうですね。「流れ星」の内容に沿えば、作詞作曲がうまくいかないよ~、っていうことなのだと思います。つまり、制作を長時間行っていたけれど、どうにも先に進まない状態になっているということなんじゃないかなと。
僕の目はどこへ行く 君のにおいがする
真夜中の風に乗って 野生のチューリップ探しに
ここは、深夜徘徊しているところだと思います。気分転換に夜道を出歩けば、いいアイディアが思い浮かぶ、というわけではないと思うんですけど、でも歩かずにはいられない、という感じになっているのだと思います。なので、「僕の目はどこへ行く」と、行先も決めないままで歩いています。また、ここでの「君」とは、「流れ星」の内容にそえば、インスピレーションのことでしたが、ようは「いいアイディアが思い浮かびそうな場所にめがけて歩こう」ということを言いたいのだと思います。
ちなみに「野生のチューリップ」というものは、ほとんど存在しないそうです。昔オランダで品種改良されたものが輸入され、今現在も品種改良されつづけているものが、球根として出回っているからです。発見しにくいものを探して、真夜中を出歩いている、というのは、自分でもわかっているのです。
スズメのざわめき かためた木々も
野良猫 サカリの頃の歌声も
スズメは、昼間は単独行動をしていますが、夜中になると大群で木に集合します。また野良猫は、サカリの時期は夜にうなり声をあげます。このあたり、マサムネさんが実際に真夜中に出歩いて遭遇した光景なのだと思います。「なにか、曲や詞のヒントになるかな……」みたいに思っているところなのではないのでしょうか。
粉々に砕かれて ここには何もない
真夜中の風に乗って 野生のチューリップ探しに
でも、「スズメのざわめき」も「野良猫のサカリ」も、たいして役には立ちませんでした。「(アイディアを得ようとした目論見が)粉々に砕かれて ここには何もない」ということですね。
野生のチューリップも、当然ですが、見つかりません。
いますぐ行くよ まわっているよ
いますぐ行くよ 壊れた時計の力で
「まわっているよ」は、街を深夜徘徊している様子です。また「壊れた時計の力」となにやら摩訶不思議な力っぽい言い方をしていますが、「こんな時間に徘徊して、いったい何時だと思っているんだ」と、他人から見れば、そう思われるようなことを、マサムネさはやっていたのだと思います。
夜空にいつもの星が見えない
ポケットに破れた地図をつめ込んで
さよなら さよなら……
「さよなら さよなら……」の部分ですが、徘徊する目的は、今のアイディアに煮詰まった状況を打破するためです。モヤモヤした頭の中を、すっきりさせるために歩くのです。「さよなら さよなら」のリズムでずんずん歩いて、頭のモヤモヤに、さよならを告げているのではないかなと思います。
という感じで解釈してみましたが、いかがでしたでしょうか?
この詞だけではないのですが、「君」を実際の人間の女性のことだと認識してしまうと、歌詞の意味がわからなくなってしまう場合があります。君の存在を固定することで、歌詞全体がぼやけてしまうのです。この場合は、逆に、君がどういう存在かをいったん白紙にして、歌詞全体で意味の通じるような解釈をして、その解釈において君の部分に当てはまるような存在を代入してやると、とたんにうまく解釈できることがあります。
私は、そんな感じで解釈しています。
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