
こんにちは。八百屋テクテクです。
今回は、スピッツ「謝々!」について解釈していきたいと思います。
この曲は、アルバム「Crispy!」から「インディゴ地平線」までプロデューサーを担当した、笹路正徳さんへの感謝の気持ちを表した曲なんじゃないかなと思います。つまり、この曲においての君とは、笹路正徳さんのことですね。
そしてこの詞は、もっぱら作詞に関することを述べているようです。
今回は、そういう目線で、詞を眺めてみたいと思います。
終わることなど無いのだと 強く思い込んでれば
誰かのせいにしなくても どうにかやっていけます
ここの解釈は、簡単ですね。笹路さんがスピッツから離れたとしても、スピッツは終わることなど無いのだと、強く思い込んでいこう、という決意を表しています。
また、今までのマサムネさんは、笹路さんに頼って作詞作曲を行っていました。「笹路さんがいるから、作詞作曲早く仕上げなきゃ…」という状況だったのです。「早く勉強しなさい!」と母親に怒られながら勉強している中学生みたいな感じです。
でも今回のアルバムから笹路さんから離れることになったことで、曲を手掛ける仕事的な理由が薄くなったのです。中学生が高校生になって、母親が勉強に余計な口出しをしなくなったのと状況が似ています。この状況がまさに「誰かのせいにしなくても どうにかやっていけます」という心境なのだと思います。高校生になって、母親にケツを叩かれなくてもちゃんと勉強します、という感じでしょう。
やり直しても良いのです 今度は一人ぼっちでも
記号化されたこの部屋から ついに旅立ってくんです
「今度は一人ぼっちでも」は、今回からセルフプロデュースになったことを表しているようです。そうなったとしても、自分ひとりで作詞作曲することを怖がらずに「やり直しても良いのです」とする心境でいます。「おめー、うまくいかなかったオメーの責任だからな!」と、自分で自分を追い詰めすぎないように、ということを言いたのでしょう。
「記号化されたこの部屋」とは、作詞作曲マシーンとなっていた、今までのマサムネさんの環境でしょう。今までは文字や音を好きに並べて、それを笹路さんに提出さえしていれば良かったのです。笹路さんはそれに魂を吹き込んでくれていました。今までのスピッツの曲は、人形のパーツをマサムネさんが作り、笹路さんが起動させたことで、スピッツという人形が意思をもって歩き出すことができていたのです。そんな状況だったのに、「あとはよろしくね」とマサムネさんが今度から全部やることになりました。そりゃあ不安でいっぱいでしょう。
でも、マサムネさんとしては、この不安を隠して「ついに旅立ってくんです」という、頼もしさを笹路さんに見せなければいけません。なぜならこの詞は、笹路さんに対する感謝のメッセージなのですから。
いつでも優しい君に 謝々!!
大人も子供も無く
涙でごまかしたり 意味もなく抱き合う僕ら
今ここにいる woo…
「いつでも優しい君に 謝々!!」は、笹路さんに対する感謝のメッセージです。普段は意味が複雑なスピッツの歌詞ですけど、ここはなんのひねりもない、めちゃめちゃストレートなメッセージになっているのがいいですね。
次の「大人も子供も無く」「涙でごまかしたり」「意味もなく抱き合う僕ら」というのは、マサムネさんが手掛けた歌詞のことだと思います。マサムネさんの手掛けた詞には、大人の恋愛を描いたものも、子供の初恋を描いたものもあります。また、悲しい表現を描きたい時があったけど思うように描けず、涙という言葉で無理やり悲しい雰囲気にもっていく、といった、技量の足りなさをごまかしたこともあったでしょう。詞の中の登場人物を意味もなく抱きあわせて、それっぽい表現にしたこともあったでしょう。
その未熟な詞を、笹路さんは立派なスピッツの詞に仕上げてくれていたのです。スピッツの詞が「今ここにいる woo…」つまり立派な詞として私たちスピッツファンのもとに届けられているのは、本当に、笹路さんの尽力のおかげなのです。ということを言いたのだと思います。
生まれるためにあるのです じかに触れるような
新しいひとつひとつへと 何もかも悲しい程に
ここは、笹路さんの仕事ぶりについて、つまり、スピッツの歌詞が生まれるまでのことを言っているのだと思います。マサムネさんによる、記号にしかなっていないような詞を、「じかに触れるような」ぐらいにまで鮮明にしてくれて、ひとつひとつ新しく誕生させてくれたのが笹路さんです。
「何もかも悲しい程に」は、それに対するマサムネさんの、偽りのない感情でしょう。これまでずーっと笹路さんがやってくれていたのに、これからは笹路さんなしで、挑んでいかなければいけません。不安は見せないつもりではいるけれど、悲しい気持ちは表明したい、ということでしょう。
あくまで優しい君に 謝々!!
赤い土にも芽吹いた
大空に溶けそうになり ほら全て切り離される
鳥よりも自由にかなりありのまま
君を見ている woo…
「あくまで優しい君に 謝々!!」もまた、1番のサビと同じように、笹路さんに対するストレートなメッセージです。
そして次の「赤い土にも芽吹いた」「大空に溶けそうになり」「ほら全て切り離される」も、1番の法則に沿えば、スピッツの歌詞の一部だと思います。
「赤い土にも芽吹いた」は、八百屋テクテクの独自解釈的には、荒廃した土地に緑が生えるというストーリーの「夢じゃない」を想像させます。「大空に溶けそうになり」は、「空も飛べるはず」を。「ほら全て切り離される」は、宇宙の風に乗った「ロビンソン」を私は想像します。本当は違う曲のことを想定しているのかもしれませんが、いずれにせよ、歌詞に命を吹き込んできた笹路さんの功績をたたえている部分じゃないかと思います。
「君を見ている」は、マサムネさんが笹路さんを見ているところだと思います。その姿勢が「鳥よりも自由にかなりありのまま」とのことです。
私たちが仕事上のしがらみとかで、社交辞令で、仕方なく感謝の言葉を述べること、ありますよね。買い物してくれた客に対して、「ありがとうございました~」って声をかけるのも、別にありがとうなんて思ってない人がほとんどだと思います。目の前の客がどんだけ買い物してくれても、時給制なんで、アルバイト料が増えるわけでもありませんからね。
でも、マサムネさんは、「あくまで優しい君に 謝々!!」というのを、「鳥よりも自由にかなりありのまま」述べた、ということです。ここに、マサムネさんの、笹路さんに対する心からの想いが込められています。
くす玉が割れて笑い声の中
君を見ている woo…
ここはどんな状況かというと、くす玉の下にいるのがスピッツの4人です。ロビンソンで大ブレークして以降、音楽番組やらインタビューやらイベントやらにひっぱりだこ。各地でいろんな歓待や、表彰を受けたことでしょう。そういう栄光の中に、スピッツの4人はいるわけです。自分たちを、周りがめっちゃ祝福してくれています。
でもそんな中、マサムネさんは、「君を見ている」つまり、マサムネさんの視線の先には、いつも笹路さんがいるのです。自分たちスピッツが、今この栄光の場に立っていられるのは、裏で支えてくれていた笹路さんのおかげです、ということを言いたいのだと思います。
という感じで解釈してみましたが、いかがでしたでしょうか?
この詞が、「笹路正徳さんへの感謝の気持ちを表した曲」という情報がなければ、私はこの詞について解釈することができなかったと思います。長い間、「僕と君の曲なのね」というふうに解釈していました。こうして、いろんなところから情報収集ができるような環境になって、はじめて明らかにすることができました。
昔謎だったことが、明らかにできるようになったというのは、嬉しいことですね。
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