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スピッツ「裸のままで」の二人は、アダムとイブだった説。



こんにちは。八百屋テクテクです。

今回は、スピッツ「裸のままで」を解釈していきたいと思います。

あくまでも私の解釈ですが、この詞の主人公は堕天使ルシフェルです。神罰により地獄の底で氷漬けになっているルシフェルが、人間の始祖であるアダムとイブを見つめている、という話だと思うのです。

何言ってるか、全然わからないでしょう? そりゃそうですよね。

ところでこの曲は、マサムネさんが「絶対に売れる!これはミリオンいく」と自信満々で出したシングルだったそうです。結果は振るわなかったのですが、マサムネさんが自信満々になった理由がどのあたりにあったのかも含めて考察していくと、より深く詞を味わうことができるんじゃないかなと思うのです。

もしこの曲が、私の考察のとおり神話をもとにした話だったとしたら、マサムネさんは、コールドプレイ「Viva la Vida」みたいなものを目指していたんじゃないかなと思います。「Viva la Vida」の詞は、歴史や宗教などを含んだ深いふかーい内容になっており、解釈の幅がめちゃくちゃ広いものになっています。このため多くの人々の関心を集め、世界中のチャートを独占することに成功しました。2008年のリリースでありながらも、2025年現在も世界中で愛され続けている曲なのです。「Viva la Vida」は、「裸のままで」より後年の作品なので、当然のことながらマネをすることはできませんが、でも独自の世界観、宗教観、歴史観、戦争観が込められた曲というのは、昔はめちゃくちゃ多かったのです。多くの音楽ファンは、その独自の世界観に酔いしれ、いつまでも議論の対象にしました。こういう議論の対象になるような曲を、マサムネさんは作りたかったんじゃないかなと思うのです。

そもそも、あのトチ狂ったPVを仕上げたからには、詞の内容が一般的な内容であるはずがないのです。なにやら深く考察してほしい広い世界観をもって作られたことを知ってほしい、というマサムネさんの願望が、ひしひしと伝わってくるような内容のPVではありませんか。


ということで、この詞は神話の内容を参考にしたものだという前提で、うまく解釈できるか、さっそくやってみましょう。




ひとりの夜くちびる噛んで 氷の部屋を飛び出したのさ

人は誰もが寂しがりやのサルだって 今わかったよ

「氷の部屋」とは、堕天使ルシフェルが閉じ込められている部屋のことです。ダンテの神曲によれば、地獄には地下1層から地下9層まであり、下にいくにしたがって、より重い罪に処せられた人が投獄させられ、それぞれの罪に応じた責め苦に苦しめられています。そのもっとも地下の9層は、コキュートスと呼ばれる氷地獄になっています。もっとも重い罪を犯した罪人が、永遠に氷漬けにされる場所です。その中心に、ルシフェルがいるのです。

ところが、ルシフェルはこの氷の部屋を、いとも簡単に抜け出すことができるようです。ルシフェルはサタンとも呼ばれますが、そういえばちょくちょく地上に顔を出していますよね。キリストや、その弟子のそばに現れては、修行をちょくちょく妨害したりしている様子が、聖書とかで描かれています。

ところで、ルシフェルは神の敵ではありますが、人間の敵ではありません。かつては天使の中でももっとも地位の高い天使だったのですが、神を裏切ったことで神の怒りを買い、堕天しちゃいました。堕天はしたものの、人間の行く末については彼なりに考えているのです。神の意思とは方向性が違うだけで、世界をよくしてあげようと思う気持ちは、もと天使だった時と変わらないのです。人格が破綻しているとか、そういうことはないのです。

ルシフェルは、ある時ひとりぼっちで地獄の底の底にある氷の部屋に閉じこもりながら、魔界のモニターで外の様子を眺めていました。すると、人類の始祖である、アダムとイブを発見します。彼らは禁断の果実である知識の果実を食べる前だったので、知識は何も持ち合わせていません。ただのサル同然でした。そんな彼らが、服も着ずに寒そうに寄り添っているのをみて、「ひとは寂しがりやなんだよな。わかるぞ。俺も人間みたいなもんだからな」と思ったのでしょう。何とかしてあげたいと思ったのでしょう。



はがれ始めた嘘について レールの上で考えたのさ

小さなズレさえ許されない掟なのに めぐり会えたよ

「レール」とは、親が敷いたレールならぬ、神様が敷いたレールのことだと思います。親が敷いたレールとは、偏差値の高い高校、有名大学を経て、有名企業に就職し、親の決めた結婚相手と結婚することです。そうお膳立てをすることを指します。同じように、神様が描いた計画どおりに地上の生物が進化していくわけですが、それに対してルシフェルは「ちょっと違くない?」と意見をします。

親の決めたレールというのは、子供の幸せに必ずしも結びつかないものです。ましてや地球で生きるものすべてを、神様の気に入るようにデザインし、マシーンのように同じ方向を向かせるというのは、ムチャでしょう。

なおかつ、「神は嘘をつかない、間違わない」という姿勢についても、疑問を抱いています。それはまるで「親は嘘をつかない。間違わない」と子供に言っているのと、同じではありませんか。たとえ絶対神だろうと、絶対に正しいなんてことはないのです。真理に基づかない、ただの傲慢です。それをルシフェルは、子供の視点から、つまり生物の視点から考えています。

「小さなズレさえ許されない掟」とは、厳しい神の掟のことだと思います。ルシフェルが投獄されている地獄では、愛欲、貪食、強欲、憤怒、異端など、現世では刑事事件の対象にならないような行為も、罰せられます。このブログの筆者である私は、エロが苦手なので愛欲での処罰対象にはならない自信がありますが、美味しいカレーが大好物で、いつもおかわりしちゃうので、貪食罰の対象にはなりえます。ケルベロスに引き裂かれる運命かもしれません。また強欲でも怒りっぽくもないと思いますが、実家が福井の浄土真宗勝楽寺の檀家なので異端の対象になります。異端は、火あぶりの刑になるそうです。

そういう厳しい掟によって、地上のありとあらゆる生物を縛り付け、神に逆らうことのないよう徹底的に管理されてきたはずでしたが、ここで人類の始祖たる、アダムとイブがめぐり会ってしまうのです。神と同じ知力を持つかもしれない種族であり、その知力で神に反逆するかもしれない種族である、人間の男性と女性がめぐり会ってしまったのです。



そして時はゆっくり流れ出す

二人ここにいる 裸のままで

どんなに遠く 離れていたって 君を見つめてる

ほら 早く! 早く! 気づいておくれよ

「そして」とは、何かが行われた後のことを指します。神話になぞれば、蛇に化けたルシフェルが、イブに、禁断の果実である知識の果実を授けたことを指すのだと思います。イブに果実を食べさせ、またイブの勧めでアダムが果実を口にしたことで、彼らの無垢が終わり、知識が開花したのです。この瞬間から、人類の歴史ははじまり、ゆっくりと流れ出したのです。

「二人ここにいる 裸のままで」は、文字通り、アダムとイブの、裸の二人がそこにいることを現わしたものだと思います。

そして、彼ら二人がいるエデンの園に対して、ルシフェルは地獄の底の底という、めちゃくちゃ遠い場所にいます。こんな遠くにいても、ルシフェルは彼ら二人の将来を見守っているのです。

「ほら 早く! 早く!」と急かしているのは、人間の知力が神様の域に到達するのを待ち望んでいる表現なのかもしれません。神様は人間が知力をつけるのを恐れて、禁断の果実を食べないよう、神様に従順な動物であるよう望んでいましたが、ルシフェルは人間に知識をつけて、成長するのを期待しているのです。



地下道に響く神の声を 麻酔銃片手に追いかけた

無くしたすべてを取り戻すのさ 地の底に迷い込んでも

神様の意に背いて、人間に知識を授けたことは、重大な裏切り行為だったはずです。ルシフェルは神様に、めちゃめちゃ怒られたと思います。

「知識は、人間を罪人にするのだ。傲慢、強欲、嫉妬、憤怒、色欲、暴食、怠惰。これら七つの大罪は、すべて知識からくるものなのだぞ! 知識がなければ、無垢で善良な人間でいられたのに!」

そう、地下のコキュートス全体に響きわたるような声で、神様はルシフェルに怒鳴ったのだと思います。知識は危険物なのです。人格や良心、道徳が備わっていない知識は、必ず悪い方に作用します。私たちが住む現代社会でも、道徳心のない商業が横行しているせいで、経営陣は莫大な富を築く一方で、労働者は使い捨てにされています。理念のない政治が横行し、汚職にまみれた社会になっています。人間性のない科学が発達したせいで原爆でにらみ合う世界になりました。神様は、これを恐れていたのです。

でもルシフェルは「うるせえ!」と、神様の小言を黙らせるべく、麻酔銃片手に神様を追いかけます。「人間の知識は、そんなものだって乗り越えられるはずだ」と信じているからです。

神様とルシフェル、はたしてどちらが正解だったのでしょう。どちらがより人間に対する愛が深かったのでしょう、



やがて光は 妖しく照らしだす

二人歩いてる 道はなくても

どんなに深く 霧に包まれても 君を見つめてる

ほら 早く! 早く! 気づいておくれよ

ルシフェルの名前は、もともと「光を掲げる者」という意味があります。堕天し、地獄の底にいながらも、なおも人間たちの行く末を見届けるために、妖しい光で照らしてくれているのだと思います。

アダムとイブは、知識の果実を口にしたために神様の怒りを買い、エデンの園を追放されました。神様に見放されたアダムとイブは、ルシフェルが照らし出す妖しい光の中を、知識を働かせながら手探りで歩いていくことになるのです。

アダムとイブの子供たちが殖え、繫栄し、文明を築き上げてきた過程で、やはり争いが生まれ、互いに傷つけあいました。それも、神様からもらった知識を駆使して、他人を排除し、自我のみの栄達を望むのです。その傲慢な姿勢は、すべてルシフェルのせいだとされました。なので七つの大罪の中の傲慢部門は、ルシフェルが司っているとされています。

ルシフェルとしては、神様の意向を無視して知識を授けたので、そう言われてもしょうがない、という態度でいます。人間に知識を授けても、うまくやっていけるだろうという彼の見込みの甘さが、今日の結果に繋がっているのです。

そんな、深い霧に包まれて、行く先も見えないという状況でも、ルシフェルは人間を見放そうとしません。神様は人間を見捨てましたが、ルシフェルだけは付き合ってくれるのです。

「ほら 早く! 早く! 気づいておくれよ」は、自分だけが味方だよ、と人間に訴えている、ルシフェルの心の声なのかもしれません。



そして時はゆっくり流れ出す

二人ここにいる 裸のままで

やがて光は 妖しく照らしだす

二人歩いてる 道はなくても

どんなに遠く 離れていたって 君を愛してる

ほら 早く! 早く! 気づいておくれよ

最後に「君を愛してる」です。

神様の愛というのは、基本的には無垢なるものにしか注がれません。敬虔なクリスチャンとか、ひどい痛みや苦しみに耐え抜いた人とか、ひどい迫害を受けたけれど広い心で許した人とか、あるいは自我が生まれる前に早世した少年少女が該当します。いわば、盲目的に善良な人限定なのです。知識をもって小賢しく振舞っているような人には、神様の愛は受けることができないのです。ヒト基準ではどれだけいい人でも、たいていどこかの地獄に行きます。

ルシフェルの場合はどうでしょう。道はなくても、知識をもって切り開いていこうとする人間こそ、ルシフェルが望んだ未来なのではないのでしょうか。そうあってほしくて、人間に知識を授けたのではないのでしょうか。

道を切り開こうと頑張っている人間を「君を愛してる」と訴えたい、というのが、この詞でもっとも述べたかったことなんじゃないかと、思うのです。




という感じで解釈してみましたが、いかがでしたでしょうか?

私の解釈したとおりの意味ではなくても、神話としてざっくり受け止めてみることで、なにやら壮大な話になるような感じ、しませんか?

神話として解釈することで、マサムネさんが狙っていたモノが、見えてくるようです。そしてそれが世間にあまり受け入れられなかったときの絶望感もまた、見えてくるようです。「こんなすごい曲を作ったのに、どうして…?」的な感じで。

スピッツが大ブレークして、過去の作品が再注目されてきた今だからこそ、もう一度「裸のままで」をみんなで真剣に眺めてみる機会があるといいですね。話としては壮大だし、物議をかもす内容だと思うので、もしかするとコールドプレイみたいに、世界中のヒットチャートを賑わすことになるかもしれません。




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