
こんにちは。八百屋テクテクです。
今回は、スピッツ「虹を越えて」について解釈していきたいと思います。
この曲は、マサムネさんが作詞作曲している様子について描かれた曲だと思います。
そして虹は越えるべき目標であり、自分の手からリリースされた曲たちが羽ばたいていって、めっちゃ売れろ~空高く飛んでいけ~っていう感じなんじゃないかなと。
順番に詞を眺めていきましょう。
モノクロすすけた工場で
こっそり強く抱き合って
最後の雨がやむ頃に
本気で君を連れ出した
詞の冒頭が「モノクロすすけた工場」ですが、この詞のサビにて「色になっていく」ということです。色のないものが色になっていくという構成ですね。
これと「虹を越えて」という言葉を組み合わせた時、作品を生産して販売していきたいんだな、という意図が見えるようです。
工場というのは、何かを生産する場所です。モノクロは、モノクロームという意味で、絵画や写真などを単色で表した表現技法のことです。これを曲作りをしているというふうに解釈すると、「モノクロすすけた工場」とは、作詞や作曲をしているマサムネさんのノートのことを表しているのかなと。ノートに書き込むときは、基本的には単色ボールペンか鉛筆で書きこんでいるでしょう。マサムネさんが自分の曲が書き込まれたノートを掲げて「これがスピッツの曲を生産している工場です」と紹介しているシーンが、思い浮かびます。
「こっそり強く抱き合って」と「本気で君を連れ出した」の部分ですが、これは曲のモチーフをどうしようか悩んでいるシーンなのかなと。ノートには、これからモチーフにしようとして書き留めていたことがズラーっと並んでいます。それはキョーコちゃんとかリカちゃんとか、マサムネさんが関わったことのある人の名前なのかもしれないし、はたまた「夜を駆ける」のモチーフみたいに、911テロ事件など事件や出来事が並んでいたかもしれません。
それらひとつをチョイスして、「こっそり強く抱き合って」つまり、ひとりでその人や出来事を掘り下げていこうとしているのです。胸にいだくことで、そこから伝わってくる温度とか感覚を、自分のものにしようとしています。
「本気で君を連れ出した」は、工場という名のノートに書かれたモチーフのひとつを、ノートの外に連れ出す、つまり本気で曲に仕上げるということなのかなと。
虹の向こうへ 風に砕けて
色になっていく 虹を越えて 虹を…
「風に砕けて」とは、風に想いを乗せたい、という気持ちを表しています。楽曲を評価してくれるのは、世の中の人です。自分の作品が風に乗って、人々の心にぶつかり、心を砕きたいという思いです。
虹は、赤・橙・黃・緑・青・藍・紫の7色です。赤は空側で、紫は地上側です。この配色順は、温度を視覚的に眺める際の配色として採用されています。赤はめっちゃ暑いイメージありますよね。逆に青は普通か、ちょっと下ぐらい。この感覚を応用して、売上とか営業成績などのグラフの配色にも使われています。赤は売り上げがいい時、青側にいけばいくほど、売り上げが悪い時です。
「虹を越えて」というのは、売り上げが一番いいときの配色である、赤色ラインを越えて売れていってほしい、というマサムネさんの願望なんじゃないかなと思います。本気で丹精込めて、頑張って作った曲ですから、めっちゃ売れて欲しい、というのは、アーティストなら誰もが持ちうる感覚だと思います。
漫画のあいつと遊ぶ日も
蚕の繭で寝る夜も
遠い目の子供のように
みんな あらすじ書き換えた
「漫画のあいつと遊ぶ日も」「蚕の繭で寝る夜も」の二つは、まさにモチーフのことを表現しています。蚕の繭で寝る夜は、過去にマサムネさんの作った曲たちを眺めると、「シュラフ」が該当しそうな気がします。漫画のあいつと遊ぶ日は、けっこう候補が思い浮かびます。ようは、漫画をモチーフにした楽曲のことを言っているのです。
「遠い目の子供のように みんな あらすじ書き換えた」は、子供のようにワクワクしながら、曲を作っている様子でしょう。あらすじ書き換えた、とありますが、もしかすると「ぼくが漫画の中にでてきたら、この漫画はこうなるだろうなぁ」なんて、愉快なことをイメージしながら曲を作った日もあったのでしょう。
虹の向こうへ ツメの先から
解き放っていく 虹を越えて 虹を…
「ツメの先から 解き放っていく」は、ギターを奏でるシーンだと思います。爪の先で、ピックの先で奏でる音楽により、自分の作品が解き放たれるのです。
すぐ届きそうな熱よりも
わずかな自由で飛ぶよ 虹を越えて
ここは、「自分の作品は、自分で自由に考えて作ります」ということを宣言したいのだと思います。「世の中の人にウケる内容で曲を作れば売れるよ」っていうのは、事務所の偉い人とかに幾度となくアドバイスされていたと思います。わかりやすい恋愛ものにすれば、売れるのです。同時期に女優の広末涼子さんが「とってもとってもとってもとってもとってもとっても大好きよ」という曲をリリースして、めーっちゃ売れました。当時の人々は、いや、今もそうかもしれませんけれども、歌詞解釈に頭を悩ませるような曲よりも、シンプルでわかりやすい曲のほうを求めていたのです。
これらのことが、マサムネさんにとっては圧力となっていたことでしょう。でも、圧力に屈して、わかりやすい曲を作ることはありませんでした。「わずかな自由で飛ぶよ」と、自分の裁量が及ぶ狭い範囲で、それでも自由に曲を作って、飛ばしたいと思っています。スピッツがスピッツであるために。
という感じで解釈してみましたが、いかがでしたでしょうか?
この詞だけではなく、スピッツの曲には作詞作曲そのものを題材にしているんじゃないかと思われる曲が、けっこういっぱいあります。
それらを通じて、マサムネさんの、作詞作曲に関する想いとか、願いとかを汲み取ることができるのです。本当に真摯に、真面目に曲作りをしているんだなぁ、というのがわかります。
こういう曲は、曲としてだけでなく、マサムネさんの資料としても価値のある存在だと思いますので、大事にしていきたいですね。
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