
こんにちは。八百屋テクテクです。
今回は、スピッツ「花泥棒」について解釈していきたいと思います。
この詞のタイトルである花泥棒とは、他人が育てた植木を勝手に盗んでいく、窃盗を指しています。他人のものを奪えば窃盗事件、力づくで奪えば強行盗犯つまり強盗事件になってしまいます。なので、いくら風流だからって、勝手に花を盗んでいってはいけません。大事件になってしまいます。
でもこのスピッツの「花泥棒」で語られていることは、どうも上記の、樹木の窃盗についての話ではないようです。あの娘を綺麗な花に見立てて、それをチラリと盗み見ることを、花泥棒に例えているのです。あの娘の可憐さに、どうしても視線が向いてしまうことを表現した曲なのだと思います。
順番に眺めていきましょう。
どうせ一度なら心が向かうまま 花泥棒 花泥棒
あの娘に似合いそうな花を見つけたぞ 花泥棒 花泥棒
この花を渡せたら それが人生だ!
この部分をそのまま読んじゃうと、「あの娘に贈る花を泥棒してくるわ」ってことになるんですけど、あの娘を花に見たてて、容姿をチラ見しているという解釈をすると、まったく意味が違ってきます。あの娘と自分とは、チラ見しかできないぐらいの薄い関係性なのです。しゃべったことすら、あるのか、ないのか、ぐらいの。
なので、綺麗な花を買って渡せるぐらいの関係性になれたら、という意味だとすると、「それが人生だ!」の言葉に重みがでてきますよね。「どうせ一度なら心が向かうまま」も、チラ見しかできずに終わるくらいなら、どうせなら告白してみよう、みたいに解釈ができます。
走るよありったけ力尽きるまで 花泥棒 花泥棒
逆に奪われて すべて奪われて 花泥棒 花泥棒
ああ 夢で会う時は すごくいいのにさ!
ここもまた、チラ見しかできない関係に葛藤している様子が描かれています。「ああ 夢で会う時は すごくいいのにさ!」が、まさにそうですね。夢で会う時は、ちゃんと会話もできているのでしょう。逆に言えば、現実の僕は、彼女を前にしてオドオドマゴマゴしているしかできず、チラ見しかできていないのです。
「走るよありったけ力尽きるまで」は、どうにかこうにか、彼女との関係を一歩前に進めたくて、ジタバタしている様子です。その下の「逆に奪われて すべて奪われて」は、近づこうと頑張っているのに、彼女があまりにも眩しすぎるために、近づく勇気が奪われている様子です。
詞の終りは、花泥棒!花泥棒!と連続していますが、こんなに頑張っても、やはりまだチラ見しかできない、堂々巡りな様子が伺えます。
という感じで解釈してみましたが、いかがでしたでしょうか?
マサムネさんの描く詞は、自分視点のものがけっこうあります。自分の心境とかは細やかに描かれているのに、相手となる君の様子が、よくわからない、みたいな。
そういう詞はたいてい、自分の中でモヤモヤするだけで、事態がいっこうに進展していない、という感じです。僕は君と仲良くなりたいとこんなに願っているのに、君は僕なんか気にせずに、「かつ丼うめえ!モグモグ!」みたいに、全然違うことをしている、みたいな。そういう届かぬ思いを抱えてモヤモヤする曲が、けっこうあるように感じます。
私は、そういう曲にこそ、マサムネさんの感性と技術が秘められている、と思います。そういうモヤモヤ曲にこそ、キラリと光るものがあると思っています。
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