
こんにちは。八百屋テクテクです。
今回は、スピッツ「海ねこ」について解釈していきたいと思います。
この曲は、海ねこについて歌った曲だと思います。海ねこは、日本近海にいる渡り鳥で、「ニャー」と猫みたいに鳴くのが特徴です。現代では数が豊富にいることが確認されていますが、少し前までは数が大幅に減ったことがニュースになったりもしていました。
この時代は、生き物の絶滅危機、あるいは絶滅が、次々と報告されていた時代でもありました。高度経済成長に伴う環境破壊が問題になっており、そうした問題を手っ取り早く伝えるのに、絶滅というセンセーショナルなテーマが、取り沙汰されていたのです。
もしかしたら、海ねこも絶滅してしまうかもしれない……。
そんな危機感が、この詞に込められているんじゃないかなと思います。
順番に詞を眺めていきましょう。
はじめからこうなるとわかってたのに
宝物のありかはわかってたのに
もし、この詞が環境問題のことを言いたいのだとしたら「はじめからこうなるとわかってたのに」が、この詞の中でもっとも言いたかったことだと思います。どの企業も利潤ばかりを追求し、環境が汚染させることを気にも留めなかったのです。空気、土壌、海洋……日本のすべてが汚染されていた時代だったのです。
当時は大企業といえども、倫理観など持ち合わせていませんでした。金を儲けるためだったら、何をしてもいいという風潮だったのです。人間に対してすら、セクハラパワハラは当たり前で、使える人材だけをこき使い、使えなくなったら切り捨てるという、人間さえも使い捨てていた時代だったのです。こんな時代ですから、ましてや動植物の事情なんて、気にしているほうが頭がおかしいという時代だったのです。
そんな国で、「海ねこ激減」というニュースをみれば「はじめからこうなるとわかってたのに」という感想がでてきたことでしょう。マサムネさんは、怒りのため息とともに、「当たり前やんけ」と思ったに違いありません。
「宝物のありか」は、ご先祖様が残してくれた美しい国ニッポンのことです。美しくも貴重な動植物が育ち、豊かで雄大な自然が、かつては存在していたのです。ジブリの「もののけ姫」の世界ですね。ですが近代日本人は金に目がくらみ、不動産宅地にするために森林を伐採し、山林を破壊し、山奥に誰も来ないニュータウンを計画したり、金持ちの遊び場であるゴルフ場を建設したのです。なお森林伐採が進んで丸裸になった山で、がけ崩れが頻発すると、あわてて杉を乱植しました。なので今、現代人は猛烈なスギ花粉に悩まされる事態になっているのです。
この一連の、後先をよく考えない政策により、かつての美しい山林は破壊され、動植物は姿を消しました。かつての宝物は、ひっそりと姿を消していったのです。
おそろしくいい天気だ
寂しそうに流れてくわた雲を追いかけていこう
首都圏や名古屋、関西、福岡など工業地帯では、光化学スモッグにより意識を失う人が続出していました。街全体が汚染された霧で覆われているような状況でした。
でも、海ねこが生息している日本海側は工業が盛んでなかったため、比較的空が澄んで見えたようです。普段からくすんだ空しか見られない地域に住んでいるマサムネさんからしたら「おそろしくいい天気だ」と感動したことでしょう。
「わた雲」は、まだ綺麗だった頃の日本にも存在していたモノです。「わた雲」は寂しそうに言いました。「ああ、日本が汚くなっちゃったな。僕はもう別のところいこう」と。つまり、この時のわた雲は、ひっそりと消えていった昔ながらの美しい動植物を象徴した存在なのです。それをマサムネさんが、「まってー!」と追いかけています。
今日一日だけでいい
僕のとなりでうたっていて
海ねこの生息地に来ました。海ねこは絶えず「にゃーにゃー」と歌っています。それを、マサムネさんが眺めているという状況なのだと思います。
「今日一日だけでいいから、歌ってほしい」とは、海ねこが、やがて絶滅の危機に直面するかもしれない、というニュースがあったからです。近い将来、この歌声が聴けなくなる日がくるかもしれない。だから今、歌って欲しい、という願いが込められています。今この瞬間を、心に焼き付けたい、という想いで、そう言っているのだと思います。
明日になれば僕らもこの世界も
消え失せているのかもしれないしね
環境問題においで犠牲になるのは、物言わぬ動植物たちで、その次は物言えぬ一般人たちです。
空気、土壌、海洋……汚染されつくして死に絶えた世界。大企業の役員たちなど限られた人間だけが、狭い地下シェルターで洗浄された空気を吸いながら、使い道のない大量の札束を抱えて細々と生き残っている。そんな未来がやってくるかもしれません。
今日一日だけでいい
僕と二人で笑っていて
そんな絶望的な未来を想像すると、今現在の長閑な光景が、途端に愛おしくなります。いい天気で、空にはわた雲が流れ、海ねこが鳴いている。こんなに幸せなことはないでしょう。環境が破壊されてしまえば、どんなに大金を払っても元に戻らない、かけがえのない光景なのです。
「今日一日だけでいい 僕と二人で笑っていて」には、そんな思いが込められていると思うのです。
という感じで解釈してみましたが、いかがでしたでしょうか?
1960~1980年代は、戦争や環境破壊に対するテーマが、ロック音楽において取り上げられた世代でもありました。日本のメディアはしきりと、こういう音楽を取り上げてきたことで、戦争や環境に関心を持ってもらおうとしていたことが伺えます。しかしながら90年代に入ると、音楽業界は大衆に売れる音楽へとシフトしていきました。誰にでもわかりやすい恋愛の曲ばかりが、取り上げられるようになってきたのです。まるで戦争や、環境問題が、世界中からなくなったのだと、錯覚させるような変容です。
この頃のマサムネさんの音楽には、この詞のような、昔ながらのロックスタイルの曲が見受けられます。マサムネさんは愛とか性とか死とか、人間の内面的な感覚を表現するのに優れていますが、こういう一面もあるのだということを、もっと知られてもいいと思います。もっと評価されてもいいと思います。
とはいえ、詞の解釈が難しく、この詞の私の解釈もまた、「それはお前の勝手な解釈やんけ」と言われてしまえば、それまでです。なかなか難しいところですね。
スピッツが好きな八百屋さんの記事一覧はこちらからどうぞ↓
Comments