
こんにちは。八百屋テクテクです。
今回は、スピッツ「放浪カモメはどこまでも」について解釈していきたいと思います。
この詞は、マサムネさんがスピッツの曲を作詞している時の詞なんじゃないかなと思います。作詞する際には、膨大な言葉の中から、適したものを集めますよね。それこそ、世界中に視野を広げて。マサムネさんはこの時、カモメに姿を変えて、世界中を旅しながら、詞に必要な言葉を探し回るのです。どこまでも。……みたいなことをいいたい詞なんじゃないかなと。
詞を順番に眺めていきましょう。
悲しいジョークでついに5万年
オチは涙のにわか雨
私たち人間は昔、ただの猿でした。その猿が自我を持ちはじめ、言葉を使いだし、他のサルたちとコミュニケーションをとり始めたのは、約5万年前と言われています。約5万年前が、精神面における、人間のはじまりと考えられています。
さて、私たち人間の精神が開花してから5万年たちましたが、私たちは他人とうまくコミュニケーションをとることができているでしょうか? 好きな相手に、好きな気持ちを、上手に伝えることができているでしょうか?
そうですよね。難しいんですよね。5万年も経過したのに、まだこんな初歩的なことすら、私たちは、できずにいるのです。
動物的なことでいえば、メスは、強いオスの遺伝子を欲しがります。そうやって次世代に強い個体を残して、生き残っていくことが生物としての命題だからです。なのでフィジカルが強いオスが好まれます。これは、現代においてもそうです。スポーツの成績が優秀だったり、ケンカが強い人のほうが女性に好まれます。いや何も暴力を賛美しているのではなく、その人の胆力を女性は見ているということを言いたいのです。いくら金を稼ぐのがうまくても、困難に直面した時に真っ先に逃げてしまうような肝っ玉の小ささでは、いざという時に頼りにならないと思われるでしょう。危機に直面した時に、粘り強く対応できる人と、嫌になってすぐ投げ出してしまう人がいますけど、その違いは、胆力にあります。頼りがいとは、胆力に起因するものであり、つまりフィジカルなのです。
どうでしょう? 人類がコミュニケーションを始めてから5万年も経過し、5万年という途方もない年月をかけて、その手段を極限まで発展させてきました。その5万年分の知識と経験の蓄積の上にいるのが、私たち現代人というわけですが、はたして私たち弱者男性は、舌先三寸だけで、強者男性に対抗できるだけの説得力を持ち合わせるまでになったでしょうか? 答えはノーです。どれだけ頑張ってコミュニケーションを図ろうとも、女性に選ばれるのは、より強い男性なのです。
この5万年もの間、弱者男性は、ずーっと上手いジョークを閃いては、あの手この手で使い続けてきました。でもそのたび、女性に相手にされずじまいでいました。そして現代の今、マサムネさんは意中の女性に対して、自分が考えた最高のジョークを披露してみせました。結果、またもや失敗。意中の女性は、マサムネさんより強い、筋肉も胆力もムキムキの男性のもとへと行ってしまいました。それが「オチは涙のにわか雨」というわけです。
でも放浪カモメはどこまでも
恥ずかしい日々 腰に巻き付けて 風に逆らうのさ
放浪カモメというのは、マサムネさんのことだと思います。前項目の、5万年前からの人類の発展を経たその先にマサムネさんがいるわけですが、まだまだ人類の旅は続いています。5万年前はアフリカの一部にしか人類は居住しておりませんでしたが、それから意識の拡大とともに数を拡大させ、居住区を拡大させていきました。彼らは、大陸の果てである日本にも渡来しました。言葉の発達というのは、脳みその発達であり、文化文明の発達なのです。そのくらい強い可能性を秘めているものなのです。言葉の可能性を信じて、昨日は「オチは涙のにわか雨」で終わっていたマサムネさんですが、懲りずに今日もまた「風に逆らって」「放浪」し続けているのです。
「恥ずかしい日々」は、告白して失敗した経験でしょう。これは、大事に腰に巻き付けておくべきものだと考えているようです。
なるほど、やみくもに成功例だけをコピーすればいいというものではありませんよね。ホスト王と呼ばれたローランドさんの格言をマネして使ったところで、ローランドさんみたいにモテモテになれるわけではありません。むしろバカにされてお終いでしょう。相手にとってどんな言葉が必要なのか、この場面でどんな言葉が必要なのかは、失敗を繰り返して、やっと習得できるのです。ローランドさんだって、きっとそうだったでしょう。失敗は成功の基。失敗した経験がなければ、成功もありません。
ところで、そもそもマサムネさんは、どうしてそんなに、「放浪」し「風に逆らう」ことにこだわるのでしょう? 普通の人だったら、一度告白して成功してしまえば、あとはもうそんなに頑張らなくてもいい感じです。ましてや、マサムネさんは今や弱者男性ではく、強い方の部類に入る男性です。マサムネさんがひとこと声をかければ、大勢の女性たちが群れをなして集ってくるに違いありません。
それなのに、5万年もの歴史を掘り返したり、恥ずかしい日々まで引っ張り出したりと、かなり重装備で挑んできています。その先に、どこまでも行こうとしています。この動機は、いったい何なのでしょう? って考えた時、マサムネさんは、歌詞を作りたいのだと結論に到達することができるのです。誰もが納得するような、自分が納得するような、そんなすごい愛の歌を。愛の歌を作りたいがために、マサムネさんはどこまで放浪し続けているのです。
ムダなものばかり欲しがって
足りないものは まだ みつかんねー
マサムネさんは、まだまだ言葉は未完成だと思っています。もっと心に突き刺さるような言葉を探しているけれども、目にするのはムダなものばかり。
この現象は、私たちにも心当たりがありますよね。なんか役に立つ知識とか、面白い話とかが、たまーに転がっているのでSNSを毎日眺めていますが、だいたい目にするのはインフルエンサーたちによる醜い炎上狙いの煽り合戦とか、マウント合戦とか、不毛な男女対立の話とか。それに右往左往されるだけで一日が終わる感じです。マサムネさんがもしSNSをこっそりやってたとして、「一般の人がどんなふうに考えているか、気になるので情報収集しよう!」って意気揚々とツイッターとかを眺めて、そういう醜い争いに遭遇して右往左往している姿を想像すると、ちょっと面白くも感じます。そんな滑稽さが、この詞に現れていると思います。
ましてや、ハヤブサ制作時代にSNSなんてものはありませんでしたので、おもに人を通じて情報を収集していたのでしょう。たぶんマサムネさんもまた、知り合いを飲みにでも誘って、居酒屋とかキャバクラとかにお金を大量に落として、話を聞いていたのだと思います。そうやってお金を沢山使って得られた情報が、こんなくだらない話だったとしたら、徒労感もひとしおでしょう。
見ろ あの夕焼けを 美しい…
上昇し続けることはできなくても また やりなおせるさ
探している言葉が、思うように見つからなくて、くたびれながら夕陽を眺めている様子がうかがえます。次の詞を完成させなくちゃいけない納期が迫っているのに、飲み屋でムダな話を延々と聞かされ続けて、一日無駄にしてしまった…これは、さすがに自己嫌悪しちゃうでしょう。
でも、夕焼けの美しさの中に、マサムネさんは希望を見出しています。「上昇し続けることはできなくても また やりなおせるさ」と、前向きに言葉を探し続けられるよう、気持ちを切り替えています。
そんな素直な気持ちで会いに行きたい
愛にあふれた短い言葉を たったひとつだけ
サビです。今まで長々と説明してきましたが、言いたかったのはまさに、このサビの「そんな素直な気持ちで会いに行きたい 愛にあふれた短い言葉を たったひとつだけ」に集約されています。会いに行きたいと思っているのは、自分の音楽を楽しみにしてくれている、スピッツファンです。マサムネさんは、ファンのために言葉を一生懸命探してくれていたのです。ファンの心を納得させられるような、愛の言葉を探していたのです。それを曲に乗せて、まっすぐに、真摯に、自分の思いの丈を伝えたいと思っています。
いつか素直な気持ちで会いに行きたい
愛にあふれた短い言葉を 差し上げたい
ムチャ素直な気持ちで会いに行きたい
パジャマのままで受け止めておくれ たったひとつだけ
今でこそ、ライブツアーと、グッズ販売がアーティストの主な収入源となっておりますが、この時代はまだまだCDの売り上げが大きく、とにかくCDをめっちゃ出して、音楽を大勢の人にCDプレーヤーで聞いてもらうというスタイルでした。
「パジャマのままで受け止めておくれ」は、スピッツのCDを買ったお客さんが、お風呂上りから寝るまでの間、ひとりで音楽を聴きながらくつろいでいるシーンだと思います。学校とか会社が終わって、家に帰ってきて、ひとりの部屋でくつろいでいる時間こそが、スピッツの音楽と向き合ってくれる時間なのです。そこで自分たちが頑張って手掛けた音楽を、受け止めてくれ、とマサムネさんは願っているのです。
という感じで解釈してみましたが、いかがでしたでしょうか?
この曲はロックではありますが、詞の内容からは、音楽に対する真摯な態度が表現されているようです。なるほど、こういうテイストの詞は、しっとり歌い上げるよりも、ロックが似合うと思います。
また、愛というのも種類があります。マサムネさんといえば、これまでは主に性愛について表現することが多かったように思いますが、何も性愛だけが、愛のカタチではありません。家族愛、隣人愛、ペットに対する愛ってのもあります。もちろん、自分の音楽を聴いてくれて、心を支えてくれる、ファンに対する愛も。それらの愛は、性愛と同じくらい、立派に詞のテーマとして存在できるものだと、マサムネさんは感じているんじゃないでしょうか。
もっといろんな愛のカタチを、幅広く扱っていきたいという意思表示を、この詞から感じるようです。
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