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スピッツ「愛のことば」は日本が滅亡した話だった説。



こんにちは。八百屋テクテクです。

今回は、スピッツ「愛のことば」について解釈していきたいと思います。

この曲は、戦争により滅亡してしまった日本を表現しているんじゃないかなと思います。その滅亡した日本で、かつて日本だった土地を散策して、美しかった日本を探し続けている、というのが、この詞の内容なんじゃないかなと。

つまり、「愛のことば」とは、「かつて存在した美しい日本に対する愛の言葉」というわけです。


日本の美しさをより具体的にいえば、山や森に生息する日本古来の自然、里山田園風景、伝統工芸、伝統文化などです。これらは日本が千年単位で培ってきたもので、日本を除いて世界のどこにも存在しないモノです。

この美しいモノたちを愛する言葉もまた、長い歴史の中で洗練された、美しい日本語で表現されます。

たとえば、私が「日本を愛する言葉」として思い浮かんだのは、ジブリ映画の「もののけ姫」の歌詞です。


はりつめた弓のふるえる弦よ

月の光にざわめくおまえの心

とぎすまされた刃の美しい

そのきっさきによく似たそなたの横顔

悲しみと怒りにひそむまことの心を知るは

森の精 もののけ達だけ もののけ達だけ


「もののけ姫」は荘厳な話です。日本の神様の怖さとともに、美しさを私たちに教えてくれた作品でした。畏敬の言葉たちで歌詞が構成されていますが、なんとも美しい歌詞だと思います。日本に対する、愛が溢れている感じがします。


さて、そんな美しい伝統を育ててきた日本ですが、スピッツの「愛のことば」の世界では、滅亡してしまっています。

国が滅亡するかどうかは、為政者にかかってきます。民主主義国家であるなら、その国民ひとりひとりが責任を負っています。この詞の世界における日本は、国民が為政者に責任を丸投げする一方で、為政者は責任を果たさず私腹を肥やし、政治が腐敗していました。人類の歴史の中で、いままで何百という国が滅んできましたが、国が滅亡する時というのは例外なく、内部から崩壊がはじまるのです。最後の最後に、ダメ押しとして外国の軍事侵攻がされるので、形式上どの国も他国の侵略により滅んだことになっていますが、その時にはもう抵抗する力が残っていない、ボロボロの状態なのです。

「愛のことば」の中の日本もまた、上記の経緯を経て、軍事侵攻を受けて滅亡したのだと思います。滅亡する頃には日本は腐敗しきっていました。日本人の誰もが目先の金に目がくらんで奔走し、地道に汗水垂らして働くことをバカにし、金融で経済を支配しようとしました。国民も政治家ももろ手を挙げて、楽に沢山稼げる方に流れていったのです。その一方で、日本古来の自然や伝統文化なんて、誰も見向きもしなくなりました。外国の軍事侵攻を受ける頃には、日本人は、日本人であることを忘れてしまっていました。金持ちや大企業は、まっさきに日本から脱出しました。日本にいる経済的合理性がないからです。グローバル企業だとかなんとか言って、あっさり日本を捨てて、国外に脱出していきました。

「愛のことば」の主人公たちも、海外に脱出した人たちのひとりです。あるいは、その子孫かもしれません。

その子孫たちは、日本以外の国で暮らしていましたが、幸せな暮らしとはいえないようです。彼らはやがて「自分たちがかつて暮らしていた日本」想いを馳せるようになりました。

というのが、詞の背景にあるというふうに、私は思いました。

これをふまえて、順番に詞を眺めていきましょう。




限りある未来を 搾り取る日々から

脱け出そうと誘った 君の目に映る海

主人公たちは「限りある未来を 搾り取る日々」を送っていたそうです。上記の設定どおりなら、外国に亡命せざるをえなかった一般的な日本人は、難民として、不遇な暮らしを強いられていたのだと思います。劣悪な環境で働かされて、その賃金の大部分を税金として持っていかれて、残った金で最低限の水や食料を確保する。将来になんの展望もない状態なのだと思います。

ある時「ここから、脱け出さない?」と君が提案してきました。

「今更、どこに行こうっていうんだ」

「日本」

短くそう言った君の目には、かつて日本海と呼ばれていた海が映っているようでした。日本海を越えた先に、自分たちの先祖がかつて住んでいた国が、存在しているのです。

かつての日本は、豊かな国だったと聞かされています。自然があり、四季があり、伝統があり、独自の文化がありました。でもなぜか自分のご先祖様たちは、それらを捨てて、世界中に散らばってしまったのです。

「どんな国だったのか、見てみたいと思わない?」

「わかった」

そんなふうにして、君と僕は、日本に対するいろんな思いを抱えて、今いる国を脱出し、日本へと旅立っていくのです。



くだらない話で 安らげる僕らは

その愚かさこそが 何よりも宝もの

「くだらない話」とは、この事情に当てはめるなら、日本に関することだと思います。

「どうして日本は滅亡してしまったのか」というのが真面目な話だとするなら、「日本ってどんなところだろうね。お団子とかお煎餅とか、食べてみたいなぁ」みたいなのが、くだらない話に該当すると思います。

僕と君との関係は、「お団子食べたい」で盛り上がれる関係なのです。そういう話で安らげるのが、何よりも大事だと思っています。僕と君は、今住んでいる国を勝手に亡命して、他国の管理地となっている国へと不法に侵入しようとしているのです。捕まれば、生きて帰れる保証はありません。それにそもそも、食べられる物もないかもしれません。そういう、絶望に向かって歩みを進めているのです。

でも、ふたりに不安はありません。むしろ「お団子食べたいなぁ」みたいな話で、盛り上がっています。その愚かさこそが……、言い換えれば、どんなに絶望的な状況でも、明るさを忘れないことこそが、何よりも宝ものだと、僕は思っています。



昔あった国の映画で 一度観たような道を行く

なまぬるい風に吹かれて

「昔あった国の映画」とは、かつて存在していた国の映画、つまり日本の映画のことだと思います。僕と君は、戦火を逃れて廃屋となっていた、古い日本家屋が並ぶ場所を歩いているのだと思います。

「うわぁ、映画の中みたいだね」

と君は、誰もいなくなった不気味な街の中心で、ひとりはしゃいでいます。

「なまぬるい」は、あまりいい意味ではないようです。臭いと生臭いでは、生臭いほうが気持ち悪さがあります。同じように、生ぬるいも、何やら不気味な気持ちの悪さを感じているような表現です。

「日本に来て見たけれど、案の定、厳しい環境だった。これから、どうしていけばいいんだろう……」と、不安に陥りそうな気持ちを、君の前ではひた隠しにしている部分なのかなと感じます。



今 煙の中で 溶けあいながら 探し続ける愛のことば

傷つくことも なめあうことも 包みこまれる愛のことば

滅亡したまま何十年も放置され、土埃にまみれた日本。美しい田畑も、里山も、神社も、すべてが朽ち果ててしまっています。美しく整備されていたはずの森林は、日の届かない、魔物の住処のような原始林に還ってしまっていました。

そんな、うっそうと煙が漂っているような荒廃した街に溶け込みながら、僕と君は、かつて繁栄していた日本の姿がどこかに残っていないかを、探し求めています。

僕と君は、ここに来る前は難民でした。現地人に厄介者扱いされて、差別や迫害をされてきました。傷つけられたり、その傷をお互いなめあったりしてきました。

そんな僕と君にとっては、この荒廃した日本で、自分たちのルーツを見つけることが、生きているシルシになるのです。ルーツは、空腹を満たせないし、なんの役にも立たないものです。なので、かつての日本人たちは、それを捨てて外国に移住していきました。でも今度はその子孫たちが、自分たちを慰めるために、ルーツにすがっているのです。

日本人が過去にこの日本で生きていたという証拠は、僕と君に、安らぎを与えたに違いありません。傷ついた二人を包みこんでくれるような、愛のことばを発見したのだと思います。



優しい空の色 いつも通り彼らの

青い血に染まった なんとなく薄い空

「青い血」は、ヨーロッパにおける、高貴な貴族の象徴です。つまり日本を占領した国の人間であることを表しています。

また、ここはやたらと空の色を気にしていますが、これは僕が仰向けに倒れている状態を表していると思います。僕は日本にいた治安維持の部隊によって、不法侵入の罪により発砲され、大けがをしているのです。

「いつも通りだ……」と僕は思います。日本人の歴史は明治以来、ずっと彼らに迫害され続けた歴史でした。日本が滅亡した時も、外国で日本人が迫害された時も、そして今、自分に向けて発砲してきた時も、彼らは自分勝手な論理を並べて、押し通してくるのです。

空の色が優しいと思っているのも、薄いと思っているのも、視覚がもはやきかない状態になっているのだと思います。もうすぐ空から、僕のもとに、神様がお迎えにきてしまうのです。



焦げくさい街の光が ペットボトルで砕け散る

違う命が揺れている

廃墟となっていた街は、治安維持部隊の火器により燃えました。ペットボトルのように見えているものは、手りゅう弾です。彼らは、日本への不法侵入者である、日本人の僕と君を標的にしているのです。

倒れた僕のすぐ隣で、違う命が揺れました。瀕死の僕をかばって、君が、手りゅう弾の爆撃を受けたのです。砕け散った破片は散弾し、彼女の身体のありとあらゆる部分を、ズタズタに貫きました。



今 煙の中で 溶けあいながら 探しつづける愛のことば

もうこれ以上 進めなくても 探しつづける愛のことば

「もうこれ以上 進めなくても」は、僕の命が尽きる寸前になっているということです。それでもなお、僕は君と夢見た、美しい日本を探し続けています。自分たちを慰めてくれる、愛にあふれたその言葉を、探し続けているのです。



雲間からこぼれ落ちてく 神様達が見える

心の糸が切れるほど 強く抱きしめたなら

視界がきかなくなった僕の目は、空を見上げています。雲間から、神様たちがこぼれ落ちてくるのが見えています。

神様たちが、僕と君を迎えにきてくれたのです。日本人でなくなった日本人が、最後に日本の地にて、日本の神様たちに看取られて死んだのです。異国の地で生を受けてから今まで、何もいいことがなかった僕と君にとっては、自分たちの先祖の地で死ねたことが、なによりも慰めになったのかもしれません。

僕は、最後の力を振り絞って、君の亡骸を抱きしめます。生まれ変わったら、もう一度君と一緒になりたい。美しかったころの日本で、美しい景色に囲まれながら、もう一度君と暮らしたい、と強く望みながら。




という感じで解釈してみましたが、いかがでしたでしょうか?

当然のことながら、この解釈は、あくまで私の解釈になります。愛のことばを、純愛の曲だと考えている人にとっては、かなりショッキングな解釈になっているんじゃないかなと思うのです。

でも大丈夫です。解釈は自由なのです。アナタが思っている会社が、アナタにとって一番正しい解釈だと思うのです。ウキウキルンルンで「愛のことばがスキー!」って言ってるSNSのフォロワーさんがおりますが、それで正しいと、私は心の底から思っています。本当は「そんなに好きなんですね!ヨーシこのヒトのために、しっくりくる純愛の曲として解釈しちゃうぞー!」っていうテンションで、私はこの詞の解釈にとりかかったんです。

それがふたを開けてみたら、こうなっちゃいました。もしそのフォロワーさんが、この解釈を眺めたら、びっくり仰天しちゃうことでしょう。悲しむかもしれません。悲しませたりするのは、私の本意ではありません。

なので、本当に、「アナタの解釈が、アナタにとって一番の解釈なのです」と言いたいです。

私もまた、私の解釈に泣きたいぐらいに感動しています。もし私の解釈がいいと思ったら、アナタの解釈の一部にしてくださいませ。受け入れたくなかったら、それはそれで大丈夫です。





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