こんにちは。八百屋テクテクです。
今回は、スピッツ「恋のはじまり」の詞を眺めながら、恋のはじまりについて考えてみたいと思います。
みなさんは、恋って何なのかについて、考えたことがあるでしょうか?
恋とは、かわいい相手を見つけて、声をかけて、意気投合して、デートして……その過程の中で二人で育んでいくものだと思っているでしょうか? 相手を好きになったり、相手から好きだと言われたり、そういうのを恋だと思っていますか? もちろん、それも恋でしょう。というか、むしろそれこそが、ほとんどの人が思い浮かべる、普通の恋のカタチだと思います。
でも、ここで語られてる恋は、上記のものとは少し違っているようです。
アナタがいっちばん最初に恋をした相手とのことを思い出してみてください。たぶん、上記のような幸せいっぱいの状態にはなってなかったと思います。恋仲になるどころか、意中の相手に話しかけることすら躊躇していたのではないのでしょうか。嫌われたらヤだし、何を話せばいいのかわからないよ…とクヨクヨしていたのではないのでしょうか。悩むあまり、「恋とは何か?」について哲学的な思考をしちゃったりして。当然ながら「恋とは何か…」と、暗い顔をしてつらつら思案していても、恋が進展することにはなりませんし、気になるあの子にも振り向いてもらえません。ただただ暗い顔をしたアナタがそこにいるだけ、という状況に陥った経験はないでしょうか? 毎日のように悩んでみるけど、結局自分から話しかける勇気もなく、何も起こらずに自然と疎遠になってしまった、なんて経験はないでしょうか?
たぶん「恋のはじまり」は、この暗い顔をしてクヨクヨしている人のことを表現した曲なんじゃないかなと思います。
恋人の二人がイチャイチャしている時の曲ではなく、ひとり恋に悩んで、どうすればいいのかわからなくて、戸惑ったり、クヨクヨしたりして結局恋には発展しない人の曲。そういう視点で眺めてみると、より共感できると思うのです。
詞を順番に眺めてみましょう。
思い出せないのは君だけ 君の声 目の感じ
思い出したいのは君だけ ぼやけた優しい光
「思い出せないのは君だけ」というフレーズからはじまっていることに違和感を覚える人もいるんじゃないでしょうか。恋をしている相手のことなので、思い出せないなんてありえない、学校の授業の内容は忘れても、好きになった人のことだけは覚えているもんじゃないのか、と。
でもでも、本当にそうでしょうか?
よーく思い出してみてください。アナタが最初に好きになった相手のこと、ちゃんと覚えているでしょうか? あるいは、ちゃんと観察できていたでしょうか? どんな声をしていたかとか、目の感じとか、どうでしょう?
恋は盲目と言われています。ダメな例かもしれませんが、キャバ嬢が彼氏に選ぶのはゴリゴリのチンピラが多いそうです。そのキャバ嬢が占い師のところにやってきて彼氏の写真を見せながら「今度この人と結婚しようと思うんだけど、相性どうですか」とよく相談しにくるそうです。占い師が「やめときなさい」と説得しても「いや、この人は、その辺のチンピラとは違って、と~っても優しくて、私のことをめっちゃ考えてくれるの。この人だけは違うの!」と、聞く耳を持ちません。結局そのチンピラ彼氏にDVされて金を全部巻き上げられて、やっと目が覚める、というのが、恋というものです。このキャバ嬢がチンピラ彼氏のことを見る時、めちゃめちゃフィルター補正がかかっていたというわけです。
同じように、というのもなんなんですけど、強力な恋のフィルターを通して意中の相手のことを眺めた時、はたして等身大の、そのままの彼女を観ることがアナタにできていたでしょうか。恋のフィルターを通して彼女のことを観たとき、めちゃめちゃ巨大な存在に見えていたのではないのでしょうか。めちゃめちゃ聡明で清潔で、清純で美しくて……彼女の巨大さに怯えてしまって、ちゃんとした彼女のことは、ほとんど何もわからずじまいだったのではないのでしょうか。
好きになった相手には、自分の理想を投影してしまうのです。B’zも「欲しい気持ちが成長しすぎて愛することを忘れて万能の君の幻を僕の中に作ってた」て、LOVE PHANTOMで言ってました。
そんな感じで、自分の理想ばっかりが投影された姿ばっかりで、ちゃんとした相手のことは何も思い出せない、何も頭の中に入っていない、というのが恋というものです。
だからこそ、「ちゃんと思い出したい」と願うのもまた、恋というものです。
それは恋のはじまり そして闇の終り
時が止まったりする
それは恋のはじまり おかしな生きもの
明日は晴れるだろう
恋のはじまりは、闇の終りだそうです。ここでの闇とは、何のことを指しているのでしょう? たぶん、物事に「昏い」という状態を指しているのだと思います。恋をすると、ものの見え方がかわります。意中の相手がことさらに大きく見えることも、その一つです。「恋とは何か」について、一日中頭を悩ませることもそうです。恋はどんな形であれ、ひとを変えてしまう現象です。それを肯定的に捉えているのが、この部分なんじゃないかなと。
そういえば恋をする以前の人間というのは、そのへんの虫や動物と、なんら変わりがなかったように思います。やりたいように遊び、食べて、寝ていました。恋をして頭を悩ませたことで、自我を発展させていったように思います。人間に考えるきっかけを与えてくれるものって色々あると思うのですけれども、その大きな部分を占めているのが、恋というものだと思うのです。今まで暗い土の中で種の状態だった自我が、恋をすることで、芽吹き、成長が始まるのです。
「時が止まったりする」という感覚を味わうのも、この時期からです。時間は同じように流れているはずで、虫だった頃にはそんな感覚なんてないと思うのですが、恋をしたことで感覚が研ぎ澄まされて、そう錯覚してしまうのです。
しかしながら、この詞では、恋のはじまりは「闇の終り」という程度にとどまっています。
閃光のように、激しく眩しいものではない、と言いたいのかもしれません。恋をすれば、常に明るい未来がアナタを待っている、だなんて、能天気で無責任なことを言いたいわけではないようです。
暗い夜からやがて太陽が昇ってくるときのような、薄明りのような状態。この穏やかな状態こそ、恋のはじまりの印象として相応しいんじゃないかなと。そう詞を眺めていて、感じます。
なので、「明日は晴れるだろう」と、今よりちょっとだけ明るくて楽しい未来があるんじゃないかな、と予想して、サビは終わっています。
新種の虫たちが鳴いてる マネできないリズム
遠くからやってきた夜風に 背中なでられてる
ここは、すごくセンチメンタルを感じる部分ですね。
恋をする前の人間には、静けさという状態がよくわからないそうです。何かがあるという状態……自分の好きな食べ物とか飲み物を貰った時、嬉しいですよね。そういうのはわかりやすくワーイ!って喜んだりできますよね。遊ぶところが沢山あるディズニーランドにつれて来てもらったら、子供はめっちゃ喜びますよね。でも、そんな子供が、静まり返った夕暮れの街につれて来られたら、どうでしょう? その街の良さなんて、まったく理解できないでしょう。「つまんないから、早く帰ろうよ~」って言うに違いありません。当たり前です。この良さを理解しろ、っていう方が無茶です。
でも、この詞の主人公は、恋がはじまったことで、情緒が成長してきているみたいです。まさに、子供なら喜ばないであろう、静まり返った夕暮れの街に身を置いて、その声に耳を傾けているからです。「新種の虫たちが鳴いてる マネできないリズム」「遠くからやってきた夜風に 背中なでられてる」どちらも、この静かな何もない街で、じっとただ待っているからこそ、感じることができたのです。
そもそも、この何もない街で、彼はいったい何をしているのか。
たぶん、君が通りかがるのを待っているのです。
とはいえ、近くまでいって話かけることは決してありません。近くに彼女を感じられれば、それでいいのです。それ以上は望めません。
ただいつもの通い道を、彼女がいつものように通り過ぎるのを眺めるだけ。そのために、虫たちの声を聴いて時間をつぶしている。そんな情況が、この部分から読み取れるような気がします。
それは恋のはじまり そして闇の終り
花屋のぞいたりして
それは恋のはじまり おかしな生きもの
明日は晴れるだろう
君を待ってはいたけれど、結局君の姿をはっきりと見るまでのことはできずじまい。「好きって気づかれたら、嫌われそう、意識されちゃいそう…」って怯えて、アンタなんかに興味ありませんよ、みたいな雰囲気を醸し出しているものですから、今日もまた、彼女の何もわからず、彼女の何も記憶できませんでした。
だけど、それで満足なのです。彼女にではなく、何かよくわからないモノに恋をしているような状態ですけれど、それでテンションがあがるのが、恋のはじまりです。そのテンションのまま、彼女に似合う花を探しに、花屋のぞいたりしちゃうのです。明日は晴れるだろう、という気分になっています。
浮かんでは消える 君のイメージが
俺を揺らす
ここは、まさにLOVE PHANTOMですね。自分の中で大きく成長した万能の君の幻が、自分を追い詰めてくるシーンです。
彼女自身は、とくに何もしていないけれど、彼女の幻に自分の気持ちをかき乱されまくっている。それが、恋のはじまり、というわけです。
という感じで解釈してみましたが、いかがでしたでしょうか?
私にとって、恋のはじまり、は遥かとおい昔の話ですけれども、この詞を仕上げた当時のマサムネさんだって、恋のはじまりからずいぶん時間が経過したころだったでしょう。
それにもかかわらず、ここまで鮮明に、恋のはじまりを描けるのは、正直すごいと思います。天才といわれる所以を、まさにこの詞が表現しているのではないのでしょうか。
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