
こんにちは。八百屋テクテクです。
今回は、スピッツ「仲良し」について解釈していきたいと思います。
この曲、みなさんはどう解釈しているでしょうか? たぶん君と僕との、ふたりのストーリーだと思っていると思います。君と僕は、仲良しというふうに周りから見られているけれど、僕はそれが不満。だって君のことが好きだから…みたいな。
私も、ずーっとそう思っていました。君と僕との関係性についての曲だと思っていたのです。
この曲を聴いた当時の私は、女子にモテない、どこにでもいる高校生だったので、この詞の僕について「なんでブルーになる必要があるんだ。すでに君と僕は仲良しと言われるぐらい、距離が近いではないか。なんなら、頑張れば恋人の関係になれるんじゃないか。おれみたいに全然女の子からモテず、話もできず、関心も持たれないぐらいの高校生からしたら、まことに羨ましいご身分ですなぁ」と思っていました。
まあとにかく、女の子と仲良し状態であることと、恋人関係であることの微妙な差異に対して、ブルーになるほどの必要性がどこにあるんだ、と思っていたのです。
でも私、別の解釈ができることに、気が付いちゃったんです。
もしかするとこの「仲良し」という詞には、登場人物が三人いるんじゃないかと。その三人の登場人物とは、僕と、幼馴染の女の子と、その姉なんじゃないかなと。
なんじゃそりゃ? と思いましたか。
それでは、ひとまず順番に詞を眺めていきましょう。
いつも仲良しでいいよねって言われて
でもどこかブルーになってた あれは恋だった
まず、「いつも仲良しでいいよね」って言われたことについてです。マサムネさんは詞のはじめには、めっちゃ重要なワードを放り込んでくるんですけど、この重要であるべき部分のワードが、なんの関係もない、第三者の、赤の他人のセリフにするだろうか、という疑問が、この私の新解釈のはじまりでした。
このワードを、僕に放ったヤツは誰やねん? ってことです。
このワードを言った人と、僕がブルーになったこと。……この二つを推察すると、なるほどもしかして、僕の恋の対象は、このワードを言った人なんじゃないかなと思ったんです。
僕は、このワードを言った人に恋をしていた。でもこのワードを言った人は、僕と、僕と仲良くしている幼馴染の女の子を眺めて、ほほえましく「いつも仲良しでいいよね」って感想を言った。なので僕は「ち、ちがうんだ。確かに僕はこの子と仲良しだけど、でも僕が本当に好きなのは……」と、言いたいけど、言えない。言えば、この関係が崩れてしまうかもしれないから。っていう状況だから、ブルーなんじゃないかなと。
そして、それは自分の言葉でうまく言えないぐらい、僕がまだ幼い頃の話だったんじゃないかなと。どこがどんなふうにブルーなのかはうまく説明できないので、「どこかブルー」になっている、という感じなんじゃないかなと、読み取れます。
さらに推察すれば、「いつも仲良しでいいよね」というワードを言ったのは、幼馴染の姉だと思います。姉からすれば、僕は妹の友達にすぎません。自分とは、直接関わりのない人です。でも僕は、姉に恋をしているので、直接かかわりたいと願っている。この認識のズレが、ブルーの正体なのだと思います。
まとめると、幼い僕、幼馴染、その姉がこの場におり、幼い僕は姉に恋をしているけれど、姉は僕のことを妹の友達としか認識していない。という感じです。
この詞のタイトル「仲良し」とは、この姉から見ると僕は「(妹と)仲良し」ということになり、つまり自分にとっては意中にない人という意味になります。姉に恋している僕にとっては、悪いレッテルであり、呪いの言葉なのです。
何度も口の中つぶやいてみた
かすかなイメージだけを追い求めてた
僕は幼いので、姉に対する気持ちをどうしていいか、わかりません。なので「好きだ、好きだ」と、彼女に対する気持ちを、何度も口の中でつぶやくぐらいしかできないのです。
姉とは、あまり顔を合わせなかったし、言葉もたいして交わさなかったことでしょう。幼馴染と遊ぶときに、ちょっと挨拶するぐらいだったことが伺えます。いったい姉は、どんな生活をして、何を考えているのだろう? 好きな音楽は? 好きな食べ物は?……そんな、かすかなイメージだけを追い求めてたのです。
時はこぼれていくよ ちゃちな夢の世界も
すぐに広がっていくよ 君は色褪せぬまま
「時はこぼれていく」とは、時の砂時計の中に砂がたまって、あふれて、サラサラと器からこぼれていく様子を描いているのかなと。つまり、幼い僕も、姉も、幼馴染も、大人になったということです。幼い僕が抱いていた「ちゃちな夢の世界」も、時とともに大きくなって、いろんな夢を描くようになっていました。大人になった僕はスピッツを結成し、いまや大勢の女性ファンを抱える人気ロックバンドになりました。
でも「君は色褪せぬまま」とのことです。つまり、「幼い時に抱いた、姉にたいする恋心はまだ心の中に残っていて、美しく眩しかった姉を見る目は、いまも色あせていない」という解釈ができます。これだけ有名になって、お付き合いする女性もいたりして、恋を含めた多くの経験をしたことでしょうけれども、いまだにずーっと、憧れの対象だということを言いたいのだと思います。
悪ふざけで飛べたのさ 気のせいだと悟らずにいられたなら
「悪ふざけで飛べたのさ」は、悪ふざけで音楽をやってたら、デビューしちゃって、ロビンソンでブレークしちゃいました、ということを言いたいのかなと。
でも「悪ふざけ」ってのは、マサムネさんの謙遜だと思います。本人たちはいたって真面目にロックをしているんですけど、一般人である幼馴染とか姉から見た場合、いつまでも遊んでいるように見えることでしょう。
そして次の「気のせいだと悟らずにいられたなら」は、どうして飛べたのか、つまり、どうしてマサムネさんの音楽がみんなを感動させられるかの理由について語っている部分なのだと思いますけれども、それは前の部分から判断すると、「姉に対する恋心」を、気のせいだと悟らずに、ずっと本気でいたからだ、と言いたいのだと思います。本気で、姉に対する恋心を、ずーっと詞にしたため続けていたので、飛べた、と。
サンダル履きの足指に見とれた
小さな花咲かせた あれは恋だった
ここは、姉の足です。僕と君は幼いので、たぶんスニーカーのような、足全部をガードしてくれるような靴を履いていたのだと思います。怪我したりしたら危ないですからね。
そんな中、姉は、オシャレなサンダルを履いていたのです。これは、幼い僕から見て、「大人のお姉さんだ~!」とドギマギさせた出来事だったでしょう。サンダルから覗かせた、綺麗に並んだお姉さんの足指は、さぞかし綺麗に見えたことでしょう。ここで、幼い僕の心に咲いた花が「小さな花」という表現なのも、幼さの表れだと思います。
時はこぼれていくよ ちゃちな夢の世界も
すぐに広がっていくよ 君は色褪せぬまま
雨上がりの切れ間から 差し込む陽の光たち 街を洗う
ここの部分の表現、めちゃめちゃ綺麗ですよね。「雨上がりの切れ間から 差し込む陽の光たち 街を洗う」とか、幻想的ですらあります。
たぶん、マサムネさんの幼き日の思い出を描いているのでしょう。幼い日に、恋を覚えたお姉さんとの思い出。これはもっとも美しい言葉で飾られるべき部分だと思います。
という感じで解釈してみましたが、いかがでしたでしょうか?
「仲良し」は、先ほども申しましたとおり、僕にとっては悪いレッテルであり、かなわない恋という事実を突きつけてくる呪いの言葉です。
とはいえ、その詞の内容を眺めると、どこを切り取っても美しい言葉が、宝石のように散りばめられています。
かなわない恋だけど、美しい。これが恋の不思議なところですし、それをもっともよく表しているのが、スピッツの「仲良し」だと思います。
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