スピッツ「ワタリ」は、セックスソングかもしれませんね。~スピッツ歌詞解釈~
- 2022年1月5日
- 読了時間: 7分
更新日:4 日前

こんにちは。八百屋テクテクです。
今回は、スピッツ「ワタリ」について解釈していきたいと思います。
結論から申し上げますと、私的には、セックスソングなんじゃないかなと思います。
なのでエロが苦手な人や、成人に達していない青少年の諸君は、ここでお別れです。大変申し訳ございません。ワタリとは、ワタリ鳥のことを歌った曲なんじゃないかなと思います。ワタリ鳥のように、自分も現代という大きな海原を自由に羽ばたいていきたいなという気持ちを表した曲なんだと思います。ね、いちおう意味が通ってるでしょう? これでいいですよね? 私も心の底からそう思っています。というわけで、この解釈はこれでおしまいです。お疲れさまでした。次のブログでお会いしましょう。この下には何もありませんので、このまま引き返してくださいませ。またねー!
性について語るのは、技術がいります。
たとえアナタが成人の年齢に到達しており、エロい話に抵抗がなかったとしても、伝え方によっては、抵抗がでてきますよね。スピッツの曲の解釈において、「あれもこれも、ぜんぶエロい」みたいな前提で話をしている人が、たびたびツイッターで炎上している光景を目にしてきました。たとえそれが本質を言い当てていたものだとしても、語り手に上手に伝える技術がなかったら、炎上してしまうのです。「お前は、父親と母親がエロいことしたから生まれたんだろ」というのは真実かもしれませんが、そういう無神経な物言いをする人、嫌ですよね。
私はただの八百屋さんです。文章で生計を立てているわけでもないし、特別な訓練を積んだわけでもありません。こんな八百屋さんが、はたしてスピッツのエロを語るうえで、技術的なものが足りているのか、どうか。
いやそもそも、この解釈が間違っているかもしれません。技術云々の前に、読解力の問題であるかもしれません。
はたして、わざわざこのブログを読みに来てくれるアナタを、納得させるような説を展開できるのでしょうか。
私が、セックスソングだと解釈した「ワタリ」の解説に挑んでいきたいと思います。
誰のせいでもねえ すべて俺のせい
可笑しいほど白い花を手に持って
誰もせいでもねえ すべて俺のせい
マジメすぎただけ 君が見た夢
もう二度と会えない そんな気がして
この「せい」は、責任の所在をあらわす言葉であるのと同時に、「精子」のことを表していると思います。つまり、「お前をこんなふうにしたのはすべて俺のせいだ」という意味と、「お前のからだの全ては誰のものでもなく、すでに俺のモノだ」という、2重の意味があると思います。この俺は、彼女に対して、責任と所有欲という相反する感情を抱えています。
可笑しいほど白い花は、精子が飛び散った様を表しています。そして飛び出た白い精子を、彼女の手に持たせています。
これはどういう状況なのかというと、たぶん、彼女の口の中で出した精液を、受け止めきれなかったのだと思います。それで口から漏れてしまい、彼女は漏れた精液を、手で受け止めるしかなかったのです。
彼女の、口から指から、あらゆるところが、俺の精液で汚れている様をみて、「可笑しい」と嗤っているのです。彼女の痴態を眺めて、俺は愉悦を感じています。
君は、このセックスに「こんなはずじゃなかった……」と困惑している様子が伺えます。それに対して俺は、「マジメすぎでしょ。何夢みてんの?」と嗤います。マジメな君も好きだけれど、だからこそ、そんな君を姦淫の底に堕とすのを、快楽に思っています。
「もう二度と会えない」は、マジメで清く正しい交際を想像していた、さっきまでのマジメな彼女のことだと思います。もし彼女が、この俺の支配欲の赴くままのセックスに流されて、姦淫の底に堕ちてしまえば、もう二度と、戻ってくることはないでしょう。「プールに誘われたけど、水着どうしよっかな…可愛いの着たいけど、露出多いのは恥ずかしいし、下品に思われるかも…あのヒトは、どういうのが好みなんだろう?」なんてのに頭を悩ますことはもうなくなるのです。だって、これ以上ないぐらいの痴態を、全部見せてしまったわけですから。
心は羽を持ってる
この海を渡ってゆく
「海」という字の中には、「母」が入っています。たぶんこの詞の中の海は、母体のことを指しているのだと思います。
もっと言うなら、母体の母体たらしめている器官である、子宮内を指しているものと思われます。
そして「心」は、俺の内臓です。この内臓は精子に変換されて、セックスを通じて、俺から君へと「わたって」いくということです。
寂しい黄昏に泣けるぜいたく
電車の窓から見かけた快楽
寂しい黄昏に泣けるぜいたく
ガクに収まった世界が軋む
愛されるような道化になった
黄昏は、日没後のことを表しています。つまり、寂しい黄昏とは、セックス後の空虚感を表しているんじゃないかなと。
「俺」にとっては、セックスは慣れたもので、いつもの空虚感に浸っているところでしょう。ところが、マジメすぎる君にとっては、このセックスは大変だったようです。身体の負担が大きかったのか、精神の負担が大きかったのか、泣いてしまいました。
そんな君をみて「たっぷり俺にいじめられて、ぜいたくだね」と、このセックスは愛の大きさというふうに、君に言い聞かせています。ここも男の支配欲と、独りよがりさが、現れている部分だと思います。
「電車の窓から見かけた快楽」というのは、他人のセックス場面なのだと思います。電車の窓という公共のものから覗ける場所でセックスをしていた露出狂の男女を目撃したのだと思います。
重要なのは、これをわざわざ詞に採用し、「快楽」と表現している点です。つまり「俺」は似たような性的嗜好の持ち主であり、彼女にもそれを強要したのかもしれません。少なくともその快楽を、理解できる側にいるわけですから。
「ガク」に収まっていたのは、彼女のほうです。「マジメ」という「ガク」のことだと思います。この彼女の世界が軋んでいます。俺の性的嗜好に付き合っているうちに、次第にその嗜好を受け入れていき、喜びをみせるようにまでなってしまった様子です。彼女も、そちら側に堕ちてしまったようです。
「愛されるような道化」とは、俺に愛される「道化」に、君がなったということです。道化とは、おかしな恰好や変なポーズをして、笑いをとる役者です。君は俺の欲望の道具になりさがり、どんな要求も受け入れるようになり、どんな痴態もさらすようになりました。
それでも掟を破ってく
黒い海を渡ってゆく
「黒い海を渡ってゆく」の部分は、子宮内に射精をする表現だということは、先に述べたとおりです。閉じられた子宮内は、暗黒です。
「それでも掟を破ってく」は、どう解釈しましょう。
俺の要求に従順に応える「愛される道化」となった君に対して、さらにどぎつい性的な要求を俺がしているのだと思います。もっと、もっと、と、要求がエスカレートしている様子が「それでも掟を破ってく」の部分だと思います。彼女は俺の従順な奴隷になりましたが、まだまだ許されそうにありません。これから先、もっともっと性的な行為を、彼女の身体で楽しむつもりでいます。
とまぁ、「ワタリ」を、こんなふうに解釈してみましたが、いかがでしょうか?
ひとによっては、不快な話になったかもしれません。
不快なことを申すのが解釈の趣旨ではありませんし、アナタがもっている解釈を否定することもございません。
性的な話が苦手な人は、性に対して、臆病になったり、避けたいと思ったり、してもいいと思います。今の世の中、避けて通ってもいい環境になりました。
でも、スピッツを語るなら、私は、避けて通ることができないと判断しています。ここで避けても、どこかで面と向かい合わなくちゃいけない場面に遭遇しちゃうのです。それなら性的なことも含めて、さまざまな可能性にアンテナを張っていた方が、巨大なスピッツの世界を楽しめることになるではありませんか。
マサムネさんが表現したセックスに対して、どのように受け止めて、昇華していくか。これが、スピッツを解釈するうえでの課題なんじゃないかなと、私は思っています。
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