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スピッツ「ミカンズのテーマ」にみる、ミカンに対する想い。



こんにちは。八百屋テクテクです。

今回は、スピッツ「ミカンズのテーマ」を、八百屋さん独自の目線で解釈していきたいと思います。

この曲は、「もしスピッツが新しいバンドをやるとしたら…、という感じで作りました」とマサムネさんが当時言っておりました。スピッツのifという内容になっているそうです。なるほどなるほど。

その話を聞いて、今、八百屋さん的に申しておきたいことがあります。

この当時のミカンというのは、今よりずっと酸味が強かったんです。今は、より甘いミカンが好まれるようになったので、スーパーのミカンもだいぶ甘くなりました。なので今ミカンというと「ミカンめっちゃ好き! 甘いだけじゃなく、ほどよい酸味が美味しいのよね」だなんて言われたりしますけれども、当時のミカンはまだまだ酸味が強く、食べる人は食べるけれど、食べない人は全然食べない、という果物でした。今みたいに「酸味が美味しい」だなんて言う人は少数派でした。酸味に美味しさがあるなんて上品な表現、当時のミカンを食べていた人は、やらなかったでしょう。

そのかわり、安かったんです。今では8個入で500円とか800円とか、そんなものでしょう。だいぶ高級品になった感があります。1個あたり100円程度。一日1個食べれば、十分満足しちゃう果物になりました。昔は80個入ひと箱980円でした。1個12円です。みんなコタツに入って、紅白歌合戦を眺めながら、あんまり美味しくない、でも中にはちょっと美味しいのもあるミカンを何個もむしゃむしゃ食べていたわけです。

このように、今のミカンと当時のミカンとでは、まったく別ものだと言ってもいいと思います。

なので、ミカンの要素が入っているであろう「ミカンズのテーマ」もまた、当時の、あまり甘くもない、ほぼ酸っぱいだけのミカンを思い浮かべると、よりいい感じに解釈できるんじゃないかなと思うんです。また、当時の、二束三文で売られており、贈り物で貰ってもあまり嬉しくないとまで言われたりしていた、人々に粗末に扱われていたミカンを、この曲に重ねたりすると、よりいい感じになるんじゃないかなと。

これを踏まえて、順番に眺めていきましょう。




はじめましての御挨拶 余計なことも紹介しよう

誰もが驚く野望を 隠し持ってる前頭葉

存在してる感じ 噛みしめて

マサムネさんが自分たちスピッツをミカンに例えて、「はじめまして~」と挨拶しているところから曲が始まっています。上記で紹介しましたとおり、当時のミカンは、日常にありふれすぎている、特別でもない、粗末な果物です。わざわざ買ってまでは食べないけれど、まあコタツの上にあったら、しゃあない食べるか~、みたいな、そんな果物です。

そういう有象無象の中の一つなので、「余計なことも紹介」して、他と差別化しようと一生懸命になるんですね。ミカンのひとつが、「ぼくは、他のミカンとは違うよ~!」って訴えているのです。本当は他とあんまり変わらないのに、チガウヨ、と言い張りたいのです。

「誰もが驚く野望を 隠し持ってる前頭葉」とは、アーティストとして有名になりたい、という意思です。自分たちの能力は、他のミカンと比べて大差ないけれども、野望を持っています。その野望を、どうぞ味わってみてほしい、と言っています。ミカンズが、他のミカンたちと違うのは、野望があるかどうかだけなのです。



あたり前すぎる人生を 切り貼りしてこのざま

好きだと言えたら良かった そんな記憶でいっぱいだ

がんばってやってみよう 上向いて

ここもまた、ミカンの能力の足りなさを嘆いてる部分なのかなと。当時は、もっと美味しいものがいっぱいありました。冬のクリスマスケーキに乗せる果物といえばイチゴでしたし、洋菓子店ではラ・フランスを使ったお菓子なんかも人気でした。もしクリスマスケーキの上にイチゴではなくミカンが乗っていたら、どうしますか? 洋菓子店にて、ミカンゼリーをあまり見かけないのは何故でしょう? いや、今となってはミカンの地位が向上したので、そういう使い方があっても、かえって物珍しいかもしれません。が、当時はミカンは粗末で安価な果物だったので、ハレの日のお使い物には相応しくなかったのです。クリスマスにミカンケーキが出されたら、子供たちのテンションだだ下がりだったでしょう。「うち、貧乏なんやね…」だなんて、しみじみ言われたかもしれません。

そういう、特別な日には選ばれない、何者にもなれない存在だったミカン。そんなミカンに、自分たちを重ねているスピッツ。そういう目線でこの部分を眺めてみると、うっすらと悲しみが見えてくるようです。

クリスマスケーキが来るのを、今か今かと期待している子供たち。その子供たちの目の前に出されたのが、美味しくないミカンが乗った、ミカンケーキ。絶望に瞳を潤ませる中、そのミカンのひとつが取り繕うように子供たちに言います。「いやあの、僕たちは、大好きな君たちのために、頑張って美味しくなったから……だから美味しく食べて欲しいな……」

がっかり、という表情を隠さない子供たち。たかがミカンに好かれてもな…という想いでいます。

ミカンは思います。「俺たちがイチゴだったら、どんなに良かっただろう。イチゴだったとしたら、俺たちの好きに、子供たちは全力で「スキーっ!」って返してくれるのに…これじゃあ、好きだなんて言えないよ。ミカンなんかに好かれても、迷惑がられちゃうよ……」

これまで出荷されてきた膨大な数のミカンの記憶の中には、たぶんそんな光景があります。

この光景を、スピッツに重ね合わせたら、どうでしょう。ロビンソンでブレークする前の、知名度が低かった頃のスピッツには、そんな場面があったかもしれません。イチゴではなく、ミカンだった頃のスピッツが、あったのかもしれません。



ミカンズ 甘くて 酸っぱい言葉 かますぜ

ミカンズ 俺達 虹の橋を渡ろう

これまでは、自分たちの不遇さを、果物のミカンに例えて表現してきました。

でもサビでは、一転、ミカンの特徴を、自分たちの主張に変えて表現しているように思います。

先ほども述べた通り、当時のミカンは、甘さは控えめで、酸味が強い果物でした。なので「甘くて 酸っぱい言葉」というのは、当時のミカンに重ねるなら、「2割甘くて、8割酸っぱい」ぐらいの感覚だと思うのです。甘い言葉も時には言うけれど、基本はそこそこ酸っぱいよ、みたいな。その特徴が、「かますぜ」と、攻撃的な言葉にて補完されているようです。

スピッツが名前を変えて、新しいバンドでやりたかったことって、まさにこの部分なんじゃないかなと。スピッツはこの時代、ロビンソン、空も飛べるはず、チェリーの大ブレイクにより、「さわやか青春バンド」というイメージになっていました。曇りひとつもない爽やかさで、ひたすらキラキラしたことだけを言っているバンド、いわば、甘さ10割のバンドとして認識されていたと思います。

この甘さ全開っぷりを、自分たちに求める世論、そしてレコード会社に、マサムネさんは辟易していたのかもしれません。なので「もっと酸っぱい言葉を使った曲が作りたいなぁ」という願望がでてきても、おかしくはないでしょう。その想いが重なった先が、ミカンだったのではないかなと思うのです。当時のミカンのような、基本すっぱい曲を描くバンド、ミカンズ。このミカンズで、俺たちはヒットチャートという名の虹の橋を渡っていきたいんだ、という想いが、このサビに込められているんじゃないかなと、私は思うのです。



ゆとりの無いスケジュールを もう少しつめてディストーション

青いボトルの泡盛を 濃い目に割って乾杯しよう

「まぁいいか」なんて言うな 言わないで

ディストーションは、エフェクターによる歪んだ音のことを差します。もっと単純に、ヘンな音、と解釈してもいいかもしれません。

「ただでさえ、ゆとりがないスケジュールなのに、ギュッと詰め過ぎたらボカーンってショートしちゃった…」という意味で捉えました。なにもかも、うまくいってない様子を描いているのだと思います。

ところで、泡盛をミカンの果汁で割ると、めっちゃ美味しいのは知っていますか? 沖縄県民はシークワーサーで割ったりしますが、あれは酸味と香りを加える意味があります。めっちゃフレッシュなんですよね。

さらに泡盛をミカン果汁で割ることのメリットは、酸味と香りがシークワーサーよりも穏やかなので、沢山入れることができます。結果、度数が薄くなり、飲みやすくなることです。

たぶんここで泡盛を割っているのは、ミカン果汁だったんじゃないかなと思うのです。これまでミカンであることを卑下するような形で曲が展開されてきましたが、ここにきて、ミカン果汁で割ると美味しいよ、という、新たな視点によるミカンのいいところ、を挿入してくることにより、ミカンであることの重要感、存在感をだしてきた部分なんじゃないかなと、思うのです。

このように、ミカンは重要だから、「まぁいいか、俺達ってどうせミカンだし…」って言うな、言わないで、と、自分たちを鼓舞しているところなんじゃないかなと。



ミカンズ 笑顔は 無理に作れないけど

ミカンズ いつかは あの娘のハート つかもう

サビにいる「あの娘」は、先ほどのミカンショートケーキに絶望していた子供たちを想像させます。あの娘にとっては、期待外れだったミカンズたち。はたして彼らに、彼女を喜ばせることができるのでしょうか?



ミカンズ ミカンズ ミカンズ

ミカンズ ミカンズ ミカンズ

ミカンズ ミカンズ ミカンズ

すっぱいミカンのまま、駆け抜けていく様子を表しているんじゃないかなと。

酸っぱいミカンは美味しくないから、甘くしよう、としている今の農業は、ロックではないのかもしれません。なぜなら、みんな全部同じ方向を向いているからです。リンゴも甘く、イチゴも甘く、ブドウも甘く、プラムも甘くなってきています。もともとどれも酸味が強い果物だったんですけど、品種改良、栽培技術革新が進み、今はひたすら甘く、高くなっています。誰にでも好かれる、いい子ちゃんばかりになってしまっています。

ミカンもまた、今は甘いものばかりです。当時の、すっぱいミカンに想いを馳せると、この部分の意味がより深いモノになるんじゃないかなと、思うのです。



めまいがするくらい 慎重に歩いてみたが変わんねー

逃げ出す術ばっか 考えた そんな自分がキライで

楽しいことないかいな ありそうだ

ここは、曲作りについての悩みみたいなものなのかなと。ミカンズは上で述べた通り、甘味と酸味の割合が2対8ぐらいを理想としているのかな、という感じが八百屋さん的にはしています。それに対して、ロビンソンや空も飛べるはずなどのヒット曲は9対1ぐらい。その後のハヤブサなどは7対3ぐらいにはなっているでしょうか。この時代のスピッツは、ミカンズのような酸っぱい世界を描けていません。ギリギリのバランスを攻めるよう、慎重にやってみるものの、結局はどれも似たり寄ったりで、甘味が強めな曲に仕上がってしまう。そんなもどかしさを、詞から感じます。「さわやか路線じゃなくて、ロックだ、って自分たちは主張したがっているけれど、結局のところ、ほぼさわやか路線を行ったり来たりじゃないか。何をやっているんだおれは。ミカンズになれてないじゃないか」と。

また、そんな自分に自己嫌悪して、「もういやだ、新しいバンドとして、一からやり直せないかな……」と逃げたがっています。いや、音楽活動自体に嫌気がさしているのではなく、自分が目指したい方向にたどり着けないもどかしさに、悩みつかれている、という感じがします。

でも最後には、そんなジレンマを抱えて進むスピッツにも「楽しいことないかいな ありそうだ」と、希望をもっています。



ミカンズ 甘くて 酸っぱい言葉 かますぜ

ミカンズ 俺達 虹の橋を渡ろう

ミカンズ 笑顔は 無理に作れないけど

ミカンズ いつかは あの娘のハート つかもう

実は恋も捨てず 虹の橋を渡ろう

「ミカンズ いつかは あの娘のハート つかもう」の部分が、この詞を通じて、もっとも言いたかったことなんじゃないかなと思います。

ミカンズが作る曲は、甘味が少なく、すっぱい曲です。それで、あの娘のハートを掴もうとしています。先ほど述べたショートケーキの例でいうと、なかなか勝ち目の薄いチャレンジだと思います。

でも、それこそが、草野マサムネにとって、一番やりたかったことなんじゃないでしょうか。自分たちが本当にやりたいことで、あの娘のハートを掴めたとしたら、どんなに嬉しいことでしょう。自分たちが酸っぱいミカンだったとしても、そのミカンだからこそ好きっていってくれる人に出会えたら、どんなに嬉しいことでしょう。

この詞は、そんな願望を表した曲なんじゃないかなと思っています。




という感じで解釈してみましたが、いかがだったでしょうか?

八百屋テクテクでは、美味しいミカンを販売しておりますので、この詞の解釈にピンときた方はぜひ、八百屋テクテクの美味しいミカンを買ってくださいね!

あっ、でもこの解釈だと、昔ながらのすっぱいミカンのほうが、情緒を感じるかもしれません。うーむ。それなりにすっぱいミカンをお求めの方は、もよりのスーパーで買ってくださいませ。

みかんのシーズンには、ミカンズのテーマを聴いて、楽しく元気にすごしましょう。




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