
こんにちは。八百屋テクテクです。
今回は、スピッツ「ホタル」について解釈していきたいと思います。
この曲は、とんでもない絶望を表現した曲なんじゃないかなと思います。マサムネさんが、絶望をテーマに詞を書いたら、こうなりました、という曲なんだと思います。めっちゃ綺麗な詞ですよね。そうなんです。絶望とは、美しいのです。
どうもこの時代のマサムネさんは、生は醜く、死は美しいと考えていたような気配があります。「俺の作る曲のテーマは、性愛と死です」と答えていたとおり、暗く冷たい死は、彼にとっては最高に美しいテーマなのです。
美しいものについて詞にしたいという欲求自体は、マサムネさんオリジナルというわけではなく、誰だってそうかもしれませんね。私たちだって、星をテーマに美しい詞を書くのはできそうですけれども、いじめ問題をテーマに美しい詞を書こうとしても書けないと思います。では絶望はどうでしょうか? 私たちは、私たちの絶望を、美しい詞に変換することができるでしょうか? たぶん無理だと思います。だけどマサムネさんは、お茶の子さいさいでやってみせてくれます。彼が持っている、美しいと感じるセンサーが特別優れているからでしょう。
この優れたセンサーをもって、絶望を表現するとどうなるのか。詞を眺めながら、美しい絶望の世界をみていきたいと思います。
時を止めて 君の笑顔が
胸の砂地に 浸み込んでいくよ
「君」は、この時点ではもう亡くなっているものと思われます。なので、この世のどこを探しても、「僕」の希望がない状態になっています。
「君」がいるのは、「僕」の心の中だけです。君の笑顔を思い浮かべるだけで、ジーンと心に沁みています。目を閉じて、亡くなる前の、時が止まったままの君の笑顔の妄想をすることだけが、僕の心の拠り所になってしまっているのです。
闇の途中で やっと気づいた
すぐに消えそうで 悲しいほどささやかな光
「すぐに消えそうで 悲しいほどささやかな光」が、「君の笑顔」なのです。僕の心の闇の中で、すぐ気に消えそうで、悲しいほどささやかな光であり続けているのが、君の笑顔であり、幻なのです。
そういう、生命が消えいりそうなギリギリの状態で、僕は生きています。現実世界は闇に覆われ、夢の世界でも、君のすぐ消えそうな幻以外、絶望の闇に覆われています。そういう状態を表現しているのだと思います。
なまぬるい 優しさを求め
変わり続ける街の中で
終わりない 欲望埋めるより
ここは、先ほどちらっと述べましたが、「醜い生」と「美しい死」が表現されています。「美しい死」を引き立たせるために、「醜い生」を描いているという表現技法になっています。
「なまぬるい 優しさ」とは、あまりよくない優しさを表現していると思います。なまぬるい、を、誉め言葉としては使わないですよね。たぶん表面的には優しいんだろうけれども、それを貰っても、あまり嬉しくない、みたいなことなのかなと。
この時代、マクドナルドが「スマイルゼロ円!」とか宣伝していましたけれども、完全に企業側のパフォーマンスです。マクドナルド店員にスマイルを向けられて、ワーイワーイって素直に喜んじゃう大人はいないと思います。でも、こういうなまぬるい優しさの応酬で、街や社会は成り立っているのです。貰っても別に嬉しくない優しさだと自分は思うけれども、なぜかそれが求められているのが、人間社会というものです。そういう無意味なもので、社会は成り立っているのです。相手にスマイルを向けて、気を遣うフリはするけれど、本当に気を使ってくれる人はいません。優しいふりをすることこそが、社会で求められていることなのです。自分もまた、優しいふりをしますが、目の前にいる困った人を全力で助けてあげようとはしません。そういう人たちで形成されているのが、この街なのです。
その街では、金を出せば、欲しいものが手に入ります。高価な料理。高価な酒。綺麗な容姿のオネエチャンが、おべっかを使ってくれます。さらにお金を払えば、もっと上のサービスを受けることができます。さらに高価な料理、さらに高価な酒、さらに過度な接待……こういう、「終わりない欲望埋める」街のシステムを、僕は横目で眺めています。
懐かしい歌にも似た
甘い言葉 耳に溶かして
僕のすべてを汚して欲しい
正しい物はこれじゃなくても
忘れたくない 鮮やかで短い幻
「僕」が欲しいのは、そんな「醜い生」の、中身のない快楽ではありません。「僕」が求めるのは、「美しい死」側にある、美しいものです。
「懐かしい歌にも似た 甘い言葉」とは、いったいなんでしょう? 文脈とか、その後に続く言葉から判断すると、なにか死に向かう雰囲気の歌詞が該当するでしょう。森田童子さんの「ぼくたちの失敗」とか。うーん、曲の中身を曲で例えるのは、ちょっと変かもしれません。カレーの味をパスタで例えても、混乱しますよね。でも個人的には、なんかしっくりきちゃったんで紹介しちゃうんですけど、「春のこもれ陽の中で 君のやさしさに うもれていたぼくは 弱虫だったんだヨネ」っていう歌詞です。絶望の真っただ中にいる人が、夢の中で出会った彼女に、耳元でこの曲を歌われたら、もうそのまま連れていかれそうになります。まさにこの詞の部分は、そういう感じのことを言わんとしているんじゃないかなと思います。
「僕のすべてを汚して欲しい」は、「僕の中にある生命を、君と同じ死の色に塗りつぶして欲しい」ということだと思います。正しいことではありませんが、だからといって、自分の心の中に浮かんできた彼女の幻を、忘れてしまうなんてできません。
ひとつずつ バラまいて片づけ
生まれて死ぬまでのノルマから
紙のような 翼で羽ばたき
どこか遠いところまで
「ひとつずつ バラまいて片づけ 生まれて死ぬまでのノルマ」とは、無意味な人生のことを表しているのかなと。ひとには、生まれた意味はありません。生まれた意味を見つける人もいますけれども、それは宿命的に備わっているものではなく、たいていの人は、無意味とも思える行動に終始して、やがて死んでいきます。この詞の「僕」も、そうでした。生まれた意味もわからず、このまま無意味なことをやり続けて、無意味に死んでいくんだろうな、と思っています。
そんな、目を開けていても閉じていても暗闇という状況の中、たったひとつ、すぐに消えそうで 悲しいほどささやかな光を見つけたのです。
この光こそ、唯一の希望だと思ったでしょう。なぜなら、この世でもっとも美しい光だったからです。
背中に生えた翼は、紙のような翼です。翼が生えたと錯覚しているのです。飛べるはずがありません。落下して終わりです。でも遠くまでいくことはできます。この汚れた生の世界とは無縁の、美しい君の笑顔が待つ世界に……。
という感じで解釈してみましたが、いかがでしたでしょうか?
この詞は、まさに「スピッツ入門」「マサムネさんの歌詞入門」みたいな、とても教科書通りに整えてある詞だと感じました。
「醜い生」と「美しい死」の対比であるとか、美しい言葉が散りばめられているけれど、よーく眺めてみないと死の暗喩だと気が付かない点とか。
さらにこの詞のもっとも言いたかったことが、タイトルの「ホタル」なんじゃないかなと、個人的には思っています。ホタルの輝きって、目の錯覚かなと思うぐらい、本当に小さな光なんですよね。すぐに消えちゃいますし。その「すぐに消えそうで 悲しいほどささやかな光」を、僕の心の中に浮かんだ彼女の幻に例えています。このホタルの光が小さければ小さい程、ただただ闇の深さ、悲しみの強さを、感じることができるのです。
こういうギミックをいくつも重ね合わせて、この詞が出来上がってるのです。すごいですね~。
スピッツ歌詞入門として「ホタル」は、本当にぴったりだと、私は思います。
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