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スピッツ「ブランケット」は、戦場で亡くなった人の話説。~スピッツ歌詞解釈~



こんにちは。八百屋テクテクです。

今回は、草野マサムネが平井堅に楽曲提供し、のちにセルフカバーした曲「ブランケット」の歌詞について解釈していこうと思います。

これは、詞を読んだだけで、なんとなくわかりますね。ただ直接的なことを言ってないだけで、主人公はもうこの世のものではないモノになっています。

幽霊とか、亡霊とか、そういう存在になっています。

そして彼には、幽霊になったら、やりたいことがありました。彼のために悲しんでくれている「君」と一緒にいるために、ブランケットになることです。

ただし、「ブランケットになることが彼の目的だったのなら、目的が叶ってよかったね」ということがいいたい曲ではありません。

一言でいうのが難しいので、とりあえず順番に丁寧に見ていってからにしましょう。




わかってんだ みんなが言うような幸せ

そんなもんは 手に入るときしぼんでく

人間は飛べるもんだとか思ってた

ゆらゆらと君の街まで行けるはず

主人公は、のちほど出てきますが、たぶん戦場カメラマンです。しかも、流れ弾に当たって、死ぬ直前か、死んだ直後です。

彼は戦場カメラマンということで、まさに戦場にいて、戦闘の様子を記録していました。

正直、この詞の最初の2行が、この曲でもっとも大事な部分なのだと思います。

生前の彼が、一番言いたかったことなのだと思います。

戦闘をしていた陣営のうち、どちらかが勝って、どちらかが負けました。負けた陣営は死に絶えました。それで勝った陣営が歓喜の声をあげたのかといえば、そんなことはありません。勝った陣営に所属する兵士の目の前には、自分たちの攻撃で荒廃した建物、行き場をなくした民間人、親をなくした子供、食料をもとめて彷徨う人々の群れです。理想のために戦い、国家のために戦い、正義のために戦い……そうやって手に入れた理想、国家、正義は、終戦後に広がる悲惨な現状を前に、なんの役に立つのでしょう?

彼もまた、戦争の犠牲者になりました。彼は死骸になったことで、なんの意味もなさないものになりました。遺骸は野ざらしになり、土に還っていくだけになりました。

なので、ここから先は、彼の死を慰める創作になります。彼はきっと、幽霊になって宙に浮き、ゆらゆらと愛する「君」のもとにいくのでしょう、ということが語られることになります。



わがままな望み 今カタチを持って

それぞれのために 生きていこう

気づかれなくても こごえそうな君を

優しく包める ブランケットに

「戦場カメラマンだった彼は死んだ。彼の魂は、彼を愛した人のもとにいき、優しく包んでいるはずだ。彼の死を無駄にしないためにも、我々が掲げた理想と正義をカタチにするために、この国家で生きていこう!」みたいな、勝利者側のアジテーションに使われた部分なのかなと。

いや、このアジテーションをそのまま詞として使ったわけではありません。この内容がマサムネさんの耳に入ったあと、マサムネさんの感情というフィルターを通じて、この詞になったのだと思います。わがままな望み、の部分が、多くの人々を巻き込んだ戦争の理想や正義を表すのだとしたら、わずかに、皮肉を感じます。



戦いで汚れてしまった レンズ越しに

キラキラって 無垢な光が見えたから

レンズは、カメラのレンズです。このレンズを汚したのは、彼自身の血液なのだと思います。

その証拠に、彼がのぞくレンズは、戦場にはないものを映しています。彼の薄れゆく意識は、このレンズを通して、この世のものではない「無垢な光」をみていたのです。



色のある明日 もしも来るのなら

定めを外れて 落ちていこう

傷だらけの時 君のそばにあって

悲しみをいやす ブランケットに

ここも、アジテーションされた内容を訳した部分なのかなと。内容的にはさっきと同じなのですけれど、マサムネさんの表現に皮肉が入っているのもまた、同じです。

どういうことかというと、「色のある明日」、つまり、大勢の人間を犠牲にしたその先に、平和で豊かな未来がこの国に来るようなことがあれば、自分の死は定めを外れて、成仏しないだろう、ということです。戦争の理想や正義が、その他大勢の犠牲によって成り立つなんてことが、あっていいはずがないからです

ただただ、彼の愛する人のもとに、彼の魂が還ることを祈ることしかできない、ということを言いたいのかなと。



迷いながらここまで来たよ

名前のないアメーバのままで

ありがとう 心まとまり

ついに僕は 姿を変える

この部分は、彼が死ぬ寸前の刹那に、君に感謝している様子が描かれているのだと思います。ずっと戦場カメラマンとして生きてきたけど、たいして有名ではないからそれほど稼ぐこともできず、名前のないアメーバみたいな存在だった。名前のないまま、最期を迎えてしまった。

ありがとう。こんな僕を愛してくれて、ありがとう。先に旅立つこと、心がまとまったよ。……それを最後に、息絶えました。



という感じで解釈してみましたが、いかがでしょうか?

最初に私が述べた、「このひとは、ブランケットになれてよかったね、というような内容ではない」の意味が、なんとなく伝わったのではないのでしょうか。

これは、いわば、戦争反対の曲です。

互いに武器を手にとって争えば、悲しみだけが広がっていくことになります。その前には、どんな理想も正義も、無価値で無意味だと言いたいのだと思います。

その題材として、戦争被害者の様子が、描かれている、という構造になっているのだと思います。




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