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スピッツ「フェイクファー」とは、いったい何を表しているのか。~スピッツ歌詞解釈~

更新日:2023年7月22日



こんにちは。八百屋テクテクです。

今回は、個人的スピッツ最大の謎である、フェイクファーの歌詞解釈をしていきたいと思います。

フェイクファーが発売されたのが1998年。当時私は高校生になったばかりでした。それから20年以上たって、ようやく、その謎に迫ることができたわけです。

みなさんフェイクファーって、どんなことを表現した曲だと思いますか?


「風俗で知り合った女の子に恋をした、哀れな男の歌」だと思いますか? なるほど、ウソにまみれた世界だけど、それでもいいから恋をしたと。そして箱つまり店の外にアフターしようぜ、みたいな、そんな曲かもしれません。


あるいは「不倫にはまった、哀れな男の歌」だと思いますか? 背徳行為にふけっている時にこそ、恋の「悦び」にあふれるものなのかもしれませんね。


ここまで具体的には想像しなくとも、フェイクファーの歌詞は、なんとなく「正攻法での恋じゃないのかな……」っていう印象を受けるのではないのでしょう。

なんとなく、後ろめたさ、というものを感じる曲だと、そういうふうに思っている人は多いと思います。

まあ、そういう、風俗や不倫にハマっている男という可能性もありますが、私は、別の解釈をしてみました。

フェイクファーは、死の曲です。



話は変わりますが、もともと、アルバム「フェイクファー」には「スピカ」が入る予定でした。

あの名曲スピカが、なぜこのアルバムに入らなかったのかというと「テイストが違うから」というのが理由だそうです。当時それを聴いた高校生の私は「テイストってなんじゃ?」と不思議に思いました。アルバム「フェイクファー」がどんなテイストの曲で構成されたアルバムなのかがまったく理解できていなかったので、「スピカ」だけ仲間外れにされた可哀そうな曲だとしか思えなかったのです。「スピカ」は明るく元気になれる曲なので、アルバムに入れるべきじゃないのか、と心の底から思っていたのを、よく覚えています。

つまり、明るくて前向きな「スピカ」は、アルバム「フェイクファー」のテイストに合わない。アルバム「フェイクファー」は、暗く冷たいアルバムなのだ、というわけなのです。


振り返ればアルバムの一曲である「運命の人」のMVは不思議でした。メンバー4人は、死体安置所で横たわっているところから始まっているわけですから。他のアルバム曲も、「地獄」とか「タマシイ」とかのワードが入っていたりと、どうもこのアルバムは、死を連想されるような、何かを感じているわけです。

そして、そんなアルバムの名前が、この「フェイクファー」となっています。

フェイクファーとは、人工毛皮のことです。普通の毛皮とは違い、生命のない毛皮のことです。

「偽り」とか「ウソ」という言葉がこの曲に使われていますが、フェイクファーもまた、フェイク、ということを強調したくて、選ばれた言葉だったのかもしれませんが、生命がない、という意味で使われたのかもしれません。


フェイクファーが、死の曲だという観点で歌詞を眺めると、どういうふうになるのか。見ていきましょう。



柔らかな心持った はじめて君と出会った

少しだけで変わると思っていた夢のような

この部分は、生前の君とはじめて出会ったことを表しています。同時に、生前の君の生命は、柔らかな心を持っていた頃に終わっている、つまり早世していることを表しています。

少しだけで変わると思っていた、とは、後で詳しく述べますが、リストカットのことだと思います。少し手首を切るだけで、生命を持った自分が、生命を持たない自分に変わる、ということです。


唇をすり抜けるくすぐったい言葉の

たとえ全てがウソであっても それでいいと 

唇をすり抜けるのは、君が亡霊だからです。僕が見ている君の亡霊は、しかしながら、僕に何か言葉をかけてきています。どんな言葉なのでしょう? 「はやく私と一緒に逝きましょう。素晴らしい世界が待っているから」などでしょうか? でも、ここでの彼女は、たぶん本物の亡霊というより、僕が彼女を想って作り上げた幻想、つまりフェイクの亡霊だと思います。なので、僕がくすぐったいと思うようなことを、都合よく言葉にしてくれているわけなのです。


憧れだけ引きずって でたらめに道歩いた

君の名前探し求めていた たどり着いて

僕は、君に憧れていたんです。それも、君を失ったショックが大きすぎて、君を求めて、街をふらふらと彷徨うぐらいに。

憧れていた、ということは、僕にとって君は、遠い存在だったようです。憧れの、年上のお姉さん、みたいな感じでしょうか。年下の少年にとっては、強く眩しく映りますよね。

でも、彼女からみた僕は、どう見えているのでしょう? たぶん沢山いる少年の中の一人でしかなかったのではないのでしょうか。そして、彼女は、ここまで少年に慕われているということを知らずに、亡くなった。

なので、そんな少年のもとに今更現れて「本当は君のことが好きだった。だから一緒に来てほしい」なんて、亡霊になったとしても、言うはずがないんですよね。仮に亡霊になって出てきたとしても「あっすみません、あんまり関係のない人のところに出ちゃいました。すぐ帰りますので、すみません…」という、よそよそしい反応になるはずなのです。憧れの存在であるお姉さんにとって、憧れてくれていた僕に対する実際の反応は、こういう感じなのではないのでしょうか。

なので、僕がたどり着いた場所にあったのは、僕が作り出した、都合のいい君の幻です。B'zのラブファントムみたいな感じのやつです。「欲しい気持ちが成長しすぎて愛することを忘れて万能の君の幻を僕の中に作ってた」ってやつです。


分かち合うものは何も無いけど恋のよろこびにあふれている

ここで、彼女と僕の、関係の薄さが表れています。彼女のほうには当然、僕と共有できるものはないはずです。一方の僕も、本当の彼女のことを、あまりよく知らないんじゃないのでしょうか。彼女が生前、何の音楽を聴いていたのか。好きな食べ物は何か。どんな人が好みなのか。……。

でも、僕はそれでも、恋のよろこびにあふれています。

よころび、の部分ですが、歌詞では、ひらがなで書かれています。「わ~いわ~い!」っていう喜びではなく、「本日はまことにおめでとうございます」の慶びでもないということですね。そういう明るい雰囲気のよろこびではなく、一人でひっそりと悦に浸る、悦び、という字が当てはまると思います。恋の悦びに、ひとりで溢れているわけです。


偽りの海に身体委ねて 恋のよろこびにあふれてる

今から箱の外へ 二人は箱の外へ 未来と別の世界

見つけた そんな気がした

ここからが、狂気の時間です。

偽りの海とは、水を張ったバスタブのことです。「身体」は、生のからだを指します。誰かに胸を借りるという、精神的な意味での「体を委ねる」ではなく、実際の自分の身体を、バスタブの中に委ねている様を表しています。

そこで、前述したように、「少しだけ」手首を切ることで、生命のある身体から、ない身体へと、変わろうとしています。恋の悦びにあふれながら。

箱の外というのは、あの世ということです。二人は、と僕はもう、僕自身を俯瞰的にみています。自分の魂が僕の身体ものではなくなって、君の魂と二人で、この世の外に出ていく様子を、遠くから見ているようです。すでに別の世界の住民となってしまった君と、二人で別の世界へ。


最後にまたひとつ「柔らかな心持った はじめて君と出会った」で、曲は終わっています。

曲の最初にもこのフレーズが出てきていますが、最初と最後の意味がまったく違っています。最初のフレーズは生前の彼女に出会ったときの様子を表していて、彼女には認識されずに終わっています。しかしながら、最後は、死後の世界で、僕は本当の意味で、君と出会うことができたことを表しています。



この解釈、どうでしょうか?

どうにも救いのない解釈で、気持ちのいいものではありませんね。

これなら、まだ風俗や不倫であったほうが、マシだったかもしれません。

でも、どんな解釈になろうと、フェイクファーに対する気持ちというは、高校生のときにはじめて聴いて以来ずっと、変わることはありません。

スピッツ本人たちは、このアルバムのことを、「苦しくて苦い思いをしている」と言っております。たしかにこの解釈が本当なら、重たい気持ちの要因になっていることも納得できます。

でも、それでもフェイクファーに憧れを持ち続けることができます。

そのぐらい、すごい曲だと思うからです。




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